天下御免のすっとこどっこい

自分が読み返して「楽しかった」と思えることを書き綴っています。

「名残の橋づくし」散策 その2

2013年12月08日 | 旅行・お出かけ
去る6/30「心中天網島」の「名残の橋づくし」散策その1に行ってきましたが、昨日(12/7)その続き京橋~網島~大長寺まで、秋が過ぎ本格的な冬を前にやっと行ってきました。

「大慈大悲の普門品妙法蓮華京橋を」

天満橋から土佐堀通沿いを歩き、京橋東口交差点を南へ一本は行った筋をまっすぐ歩いて行くと京橋南詰なのですが、その途中にこんなものが。


「豊臣時代大阪城三の丸北端の石垣 移築復元」と案内板にありました。

こんなところに石垣が。乱積みになるのかな?多分。

筋向かいの日本経済新聞大阪本社ビルの角にも石垣が!


「旧大和川左岸護岸用石垣移築保存」

案内板によると、「石垣が出てきて、専門家によると旧大和川の左岸護岸用石垣であることがわかった」とありました。

やっと到着の京橋。



西側にも橋が架かっています。大阪橋という橋だそうです。歩行者の方は皆さんこの橋を渡っていきます。理由は橋を渡ってからわかりました。

土佐堀通の信号が長いのです。大阪橋は土佐堀通も超えて歩道橋のようになっています。


「仏の姿に身を成橋」
御成橋、つまり備前島橋なのですが、架かっていた鯰江川が埋め立てられていてどこが跡だか全くわかりません。大阪市さん、何とかして欲しいです。

今架かっている京橋が仮に当時の場所そのままにあったとすれば、京阪電車の線路をもぐる地下通路あたり?ということでお茶を濁すことにいたしました。



「南無網島の大長寺」

さて、ここらかは網島町で、当時は大長寺の敷地が広がっていたのですが、大阪市公館とか藤田邸庭園とか太閤園とかになっています。





とりあえず、藤田美術館入り口。

ここで紙屋治兵衛と遊女小春は心中したわけですね。

そしてもう少し北に行くと大長寺。



ものすごく狭くなっていて、建物も近代的な学校のような建物になっていました。
ちょっとわからなかったです。

比翼塚


天満橋から大長寺まで約1時間ほどの散策でございました。

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