ガレージのoff life

体力と根性の無いオイラのOFFタイム

オラ!東京さイグダ〜!!

2011年06月27日 | Weblog

チャリンコ持って東京に行ってきました。

浅草 今までに一度も行った事なかったのです。

とりあえず 雷門へ!  仲見世通り 芋を洗うような人混みってカンジです。

アズキのアイスモナカなんか食べて観音堂でお参り 賽銭あげて きました。

御利益あるかna〜

合羽橋を経由して上野に行き昼食をとってから 上野公園にある国立博物館を見学

そして、念願の国立科学博物館へといきました。

去年ここに行ったとき なんと\(◎o◎)/ 休館で観れなかったのでした。

その、悔しい気持ちをはらしに来たのです。

ここは 期待を裏切らない素晴らしい展示内容でした。

生命の進化のスゴサ 自然の素晴らしさ、全ての生き物の命の尊厳

自分も 虫けらと 同じ チッポケナ命を授かってこの地球の上で必死に生きていること

そんな自覚、認識しました。

恐竜テラノサウルスの化石 一億年前まではこんな生き物が存在していたって スゴイ!!

足の骨なんか直径30センチぐらいあって巨大な生き物がこの地球を支配して、

見上げる大きさnandesu!!

像や、キリンの大きさとは格が違いすぎます!!

後ろにマンモスの骨がいます。この時代になると人類もボチボチ現れているんでしょうne

文化施設としては日本での最高峰なのでしょう 見るものが多すぎます。

子供たちは目を輝かせて楽しんでいました。

オイラも期待を裏切らない 施設で 大変楽しみました。

でも、残念なことに時間が少なすぎます!!時間は3時半 予定ではもう一箇所観るところがあるのです。

早々に切り上げて(また来ます。)上野を後に六本木に向かいました。

日曜日でホコ天やっていて 秋葉原を通過すると「AKB48」の聖地ドンキホーテのビル発見

記念に写真を撮って  (いい年コイテ ミーハー なもので すみませんm(_ _)m デス)

六本木にある国立新美術館です。

ここも、3.4年前に来たのですが休館で観れなかったとこなのです。

安藤忠雄が設計した建物で彼の発想の豊かさが感じられる作品です。 

今、「ワシントン ナショナル ギャラリー展」をやっていて印象派の絵画が一同に観られるのです。

モネやルノワール、晩年のドガなんかいいですne!

ゴッホの「薔薇」も メチャクチャに良かったdesu!

閉館の6時までいて夕食はイタリアンのレストランに入ったのですが

パスタとサラダを注文して水を頼んだら帰るときレシートに水750円と記載されていました。

水 が なんと 750円  これ オイラの感覚にはありません。

いくら 六本木と言えど ボッタクリdesu 田舎者には理解できないことです。

ヤヤ フユカイな気分 

最終の新幹線に乗って帰らねばとチャリを飛ばしていると

目の前に東京タワーが輝いて建っていました。

チョット 見とれて 急いで東京駅に 途中迷って方向が解らなくなりながらも

新幹線に間に合って山形へと無事帰ったのでした。


山里の風景

2011年06月19日 | Weblog

3時頃から蔵王に登ってきました。

温泉街で饅頭を食べて足湯に浸かって降りの山道で目の前がキラキラ輝いていました。

なんと、棚田の水面が夕日を浴びてオイラに光を降りそそいでいたのでした。

チャリを止めて棚田の風景に見とれていました。

この様な風景って何処にでもあったのに

今は捜さないと見つけられないくらいに少なくなって・ ・ ・ ・ ・

山里の夕日を浴びた風景です。 田んぼが四角くないのがいいですne

山の斜面に合わせて 無理のないカタチなんですne 

自然に逆らわないで出来た形って美しくなるものです。

棚田を眺めて また、チャリを走らせていると真っ赤な花が飛び込んできました。

ケシの花です!!道路脇に沢山咲いていて  チャリを停めて・ ・ ・ ・ ・

またまた、今度は黄色い花に合い

気がつくといたる所で色んな花が咲いていました。

これは、公園の中じゃないですyo!道路脇に咲いていた花なんです!!

自然の風景や田園だったり、地域の人達が作意的に植えた花などが

日本の美しいい風景を造っているんdesuネ!

災害にあった地域に行くと見渡す限り破壊された景色がひろがっています。

僕が行った牡鹿半島も震災前までは何処にでもある穏やかで美しい風景が広がる

人々の心を包んでくれる場所だったのに・ ・ ・ ・ ・

また、元の風景、元の生活、元の社会そして、自然に恵まれた環境を取り戻すためには

日本中の人々が小さな事からでも少しづつでも 被災地のために

何かをしてあげることが大切なんですne!


ボランティア第2弾

2011年06月14日 | Weblog

2回目のボランティア6月3日から行ってきました。

前回と同じ牡鹿半島です。二回目なので要領も解って不安もなく出発しました。

木工、造作の工具とチャリンコ、食料など持って・・・・・・・・

流されて逆さになった家から漁具を取り出す作業を愛知県から来た高校生と一緒に

やりました。100Mもある網を瓦礫の中から取り出すのは思った以上に大変で

10数人でも持てないのです。女の子も一緒になってガンバっていました。

写真の左にいる方が校長先生で休みを取りながらも若い人と一緒に網を担いでいました。

作業を完了して皆で記念写真となりました。

「鮎川の街のガレキで詰まった側溝を水が流れるようにしようプロジェクト」です。

こんな作業を重機もなくスコップとツルハシやれるものかと疑問を抱いていたのですが、

大学生、高校生、新入社員の研修生など大勢の人たちがコツコツと少しずつ

作業をすることで側溝がきれいになって水が流れるようになっていくのです。

恐るべしボランティア!!一人一人の作業は小さくても皆が協力すると

大きな力になるんですネ〜!!

潜水の漁師さんの家にお手伝いに行った時

作業がPM10時までかかってしまってお礼の食事を頂いてきました。

なんと!! ウニ、アワビ の食べ放題なのです。

ついでに、風呂もいただいて、帰りには冷たいビールのお土産付きでした。

車中泊なので 車の中でビールをご馳走になってご就寝でスZZZZ!!

被災地ではガレキの中から太陽が昇りガレキに太陽は沈んでいきます。

自然の残酷さと自然の美しさを同時に僕たちの前に見せつけてきます。

美しい自然も残酷な自然の現象も地球に住む生き物たちはそれを受け入れ

辛さ、悲しさ、、楽しさ、喜びを皆で共有して助け合い、分かち合い

過酷な自然に負けないで太陽に向かって力強く生きていきたいものです。

ボランティア最後の日に新山浜でお手伝いでした。

ここ、新山浜は被害が少なかった事もあってボランティアが誰も入ってこなかったのです。

災害から3ヶ月もたっているのにでスヨ!!   おどろきました!!!

支援物資も、炊き出しの食事もの人達 誰一人 一度もその恩恵を受けていないのです。

地域格差もここまで来ると呆れるばかりです。

行政は何をしていたんでしょう????広報とか、回覧板とか職員が出向くとか、

なんで、しないんでしょうか??

新山浜の人達は皆で助け合ってその土地で暮らしていたのです。

そのような状況の中でタマタマ僕が新山浜ボランティア第一号となったのでした。

マスコミが入ってきて作業中取材を受けインタビューされ

この日は三ヶ所ほど回って慌ただしく一日が終了して

早々に山形の帰路に就いたのでした。