『スターフォックス ゼロ』について、だらだらと不満をたれ流すのも自分で飽きてきたので、ここらで総評をするよ!
まず。誤解を恐れずに言い切るならば。
このゲームは、未完成品である。
より正確に言えば。本来作られるはずだった姿から、かなりの要素をそぎ落とし、なんとかゲームとして遊べるように計画を縮小してまとめられ、世に出された。……と、想像する。(私の想像ですよ! あくまで想像です!)
そう考える根拠はいろいろある。たとえば『ザ・バトル・ビギンズ』。あのラストであれば、当然ゲーム本編でペパー将軍とペッピーが進めている計画が明らかにされねばならなかったのに、無かった。
不完全燃焼感のあるストーリー。アンドルフ追放とジェームズ、転送装置をめぐるストーリーが、あまりにも中途半端にしか描かれていない。
最初のエンディングを見たあと、分岐で現れるステージの水増し感。
『ゼロ』の製作者たちが十分満足できるまで作り込めたとは、とうてい思えない。
何らかの理由で、当初作られるはずだった全体像をあきらめて、縮小する方向へシフトしたと考える。
その理由が何なのかは、私には知りようがない。
まったく新しい挑戦である2画面を使ったシューティング作りが、思ったより難航したのかもしれない。人員や資金、時間を投入しても当初の目標まで到達できず……そうこうしている間にタイムリミットを迎えてしまったのかも。
Wii UからNXへバトンタッチする前にリリースするため、小さくまとめざるを得なかったのかも。
本当の『ゼロ』の姿を、私は夢想する。
転送装置をめぐる対立。ペパーの正義とアンドルフの正義。復讐心に燃えるアンドルフが惑星一個を改造してつくりあげた転送装置で、なにを成そうとしたのか。アンドルフの追放にジェームズがいかに関わったか。ペパー将軍とペッピーが秘密裏に進める計画、その行く末。ふたたび相まみえる、将軍と科学者。衝突する正義と正義、思惑と思惑。それらが折り重なり、誰も見たことがない結末へとつながるストーリー。
革新的な操作法と、誰も見たことのないストーリーが織りなす、究極の『スターフォックス』。
……きっとそれが、本来の『ゼロ』の姿だった。
製作者の方々も、悔しいのではないか?と、勝手に想像する。
どうだ見たか!これが究極のスターフォックスだ!と、誇らしく掲げるにふさわしいものを作りたかったのではないか。
だが、いろいろな制約に阻まれて、実現できなかった。
あと。操作方法の難しさについて、もう少し改善の余地は無かったのか。
革新的な操作を実現したいのは分かる。同じことの繰り返しでなく、新しいことに挑戦したい気持ちも分かる。
しかし、ファミリー層をメインターゲットにしたゲームで、熟練ゲーマーでないと挫折するような難しい操作を要求するのは……ちと、現実を見誤っているんでないかい。
「スターフォックスは常に革新的操作とともにあらねばならない」という思想……少し、考えなおしてもええんでないの?
これで終わりではないと信じる。
お蔵入りになった『2』から復活したウォーカーの例もある。
Miiだって、10年近く宮本さんが世に出すことを狙っていたものだという。
本当の『ゼロ』を世に出すことができなかった悔しさは、製作者の心にマグマだまりのように残り続け、いつの日か、新たな作品を生み出すエネルギーになる。はず。それが『スターフォックス』なのか、別の何かに活かされるのかはわからないけど。
描かれなかった『ゼロ』の物語は、誰にも知られず眠っている。
いつかきっと、目覚める日が来る。はず。
その日を楽しみに待つ。
ただ待つだけじゃなくて。私もささやかながら、世を彩る作品を何かしら作り出しつづけることにしよう。
スターフォックスが成長して私の前にふたたび現れたとき、私もまた、成長していられるようにね。
本当に、その日が楽しみだ。…………我ながら、気の長いことだ!
まず。誤解を恐れずに言い切るならば。
このゲームは、未完成品である。
より正確に言えば。本来作られるはずだった姿から、かなりの要素をそぎ落とし、なんとかゲームとして遊べるように計画を縮小してまとめられ、世に出された。……と、想像する。(私の想像ですよ! あくまで想像です!)
そう考える根拠はいろいろある。たとえば『ザ・バトル・ビギンズ』。あのラストであれば、当然ゲーム本編でペパー将軍とペッピーが進めている計画が明らかにされねばならなかったのに、無かった。
不完全燃焼感のあるストーリー。アンドルフ追放とジェームズ、転送装置をめぐるストーリーが、あまりにも中途半端にしか描かれていない。
最初のエンディングを見たあと、分岐で現れるステージの水増し感。
『ゼロ』の製作者たちが十分満足できるまで作り込めたとは、とうてい思えない。
何らかの理由で、当初作られるはずだった全体像をあきらめて、縮小する方向へシフトしたと考える。
その理由が何なのかは、私には知りようがない。
まったく新しい挑戦である2画面を使ったシューティング作りが、思ったより難航したのかもしれない。人員や資金、時間を投入しても当初の目標まで到達できず……そうこうしている間にタイムリミットを迎えてしまったのかも。
Wii UからNXへバトンタッチする前にリリースするため、小さくまとめざるを得なかったのかも。
本当の『ゼロ』の姿を、私は夢想する。
転送装置をめぐる対立。ペパーの正義とアンドルフの正義。復讐心に燃えるアンドルフが惑星一個を改造してつくりあげた転送装置で、なにを成そうとしたのか。アンドルフの追放にジェームズがいかに関わったか。ペパー将軍とペッピーが秘密裏に進める計画、その行く末。ふたたび相まみえる、将軍と科学者。衝突する正義と正義、思惑と思惑。それらが折り重なり、誰も見たことがない結末へとつながるストーリー。
革新的な操作法と、誰も見たことのないストーリーが織りなす、究極の『スターフォックス』。
……きっとそれが、本来の『ゼロ』の姿だった。
製作者の方々も、悔しいのではないか?と、勝手に想像する。
どうだ見たか!これが究極のスターフォックスだ!と、誇らしく掲げるにふさわしいものを作りたかったのではないか。
だが、いろいろな制約に阻まれて、実現できなかった。
あと。操作方法の難しさについて、もう少し改善の余地は無かったのか。
革新的な操作を実現したいのは分かる。同じことの繰り返しでなく、新しいことに挑戦したい気持ちも分かる。
しかし、ファミリー層をメインターゲットにしたゲームで、熟練ゲーマーでないと挫折するような難しい操作を要求するのは……ちと、現実を見誤っているんでないかい。
「スターフォックスは常に革新的操作とともにあらねばならない」という思想……少し、考えなおしてもええんでないの?
これで終わりではないと信じる。
お蔵入りになった『2』から復活したウォーカーの例もある。
Miiだって、10年近く宮本さんが世に出すことを狙っていたものだという。
本当の『ゼロ』を世に出すことができなかった悔しさは、製作者の心にマグマだまりのように残り続け、いつの日か、新たな作品を生み出すエネルギーになる。はず。それが『スターフォックス』なのか、別の何かに活かされるのかはわからないけど。
描かれなかった『ゼロ』の物語は、誰にも知られず眠っている。
いつかきっと、目覚める日が来る。はず。
その日を楽しみに待つ。
ただ待つだけじゃなくて。私もささやかながら、世を彩る作品を何かしら作り出しつづけることにしよう。
スターフォックスが成長して私の前にふたたび現れたとき、私もまた、成長していられるようにね。
本当に、その日が楽しみだ。…………我ながら、気の長いことだ!
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