あけましておめでとうございます。
このブログは思い出したように更新を続けてまいります。
3月末までイオンシネマで映画が見放題になるチケットを、一万円で買いました。
・・・3月が近づくと個人的な理由で色々と忙しくなるので、今のうちに元を取らないといけません。
という訳で、年末年始は映画を沢山観ました。
以下に感想を。
●『仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&鎧武 天下分け目の戦国MOVIE大戦』
ウィザード編は、ウィザードの完結編としてはこれしかないな、という形だった。
コヨミの遺したリングも収まるべきところに収まった。
鎧武編から、MOVIE大戦にかけては……なんか、眠くなってしまった。
平成ライダーいっぱい出てくるし、画面は豪華なのだが、なぜか退屈だった。
……武神鎧武や、御神木の設定がよくわからないし、御神木が雨を奪っているという描写もないから、登場人物に感情移入できない。
盛り込まれる要素が多すぎて、ストーリーがおざなりになっている感じだなぁ。
前年の『フォーゼ&ウィザード』のほうが、満足度は高かった。アクマイザーのキャラクターも、武神鎧武より立っていた。
●『永遠の0』
素直に感動しておけば楽しめるものを、色々と考えてしまってそうできない作品。
全体主義の日本で、宮部久蔵のような生き方が貫けたのかどうかがまず疑問。
さらに、右とか左とか、自分の思想的な立場をどうとるか?と試されている気がして疲れてくる。
できることならこの国の歴史を肯定したい。戦争をしたのは歴史上の必然であったと思う。
……だがこのことについて書くには、自分の勉強が足らなすぎるので、いまは書けない。
●『劇場版 HUNTER×HUNTER ラストミッション』
少年漫画がオリジナルのアニメになったとき、オリジナルの設定が何か気に入らないんだよなー。
この映画で言うと、念〈ネン〉能力に対して怨〈オン〉能力を作ってきたことがまず気に入らないんだよなー。
……しかし、そこを受け入れられないと、この映画が全く楽しめないことになる。
ゴンとキルアが怨能力者の餓鬼と戦う場面は素晴らしかった。
テーマソングの『表裏一体』は、TVシリーズでの人間とキメラアントとの関係を表現すると同時に、この映画でのハンター協会の光と影、ネテロとジェド、さらにはゴンとキルアの関係をも暗示しているんだな。
●『ゼロ・グラビティ』
「極限の状態から、いかにして生還するか」という作品は、ひとつのジャンルになっているよね。このジャンルに名前はないのだろうか?
これを見ている間、地上から遠く離れた無重力空間でただ一人浮遊している感覚になった。あまりの心細さに泣いた。そして試された。
もしも自分が同じ状況に置かれたら、冷静さを保てるだろうか? 論理的に考えられるか? 体力は持つだろうか? 果たして生還できるだろうか。
思ったのだが、ギリギリの状態でそれでも前に進めるものと、そうでない者の差はなんだろうか。
自分の一部のように思える存在を失い、深い傷を負っても、顔を上げて進むことができる者……。
それは一人の人間の生きる理由を越えた、なにかもっと大いなるものに繋がる感覚ではないだろうか。それが何なのか、言葉にしようとすると壊れてしまうから言えないのだが。
●『ルパン三世VS.名探偵コナン』
登場人物が多くて込み入ったストーリーを、よくぞここまで楽しめる作品に作り上げたな!と感心する。
「あーおもしろかった!」と言って帰れる映画。
どちらの作品も長く続いていて、観る方も「どうせこういう展開になるんでしょ?」となんとなく予想している。その予想を裏切ってやろう!とする意識が感じられた。おかげで最後まで飽きずに楽しめた。
お分かりかもしれないが、スタッフロールが終わるまで席を立ってはいけない。
●『清洲会議』
これが一番面白かったな。
秀吉が大泉洋、柴田勝家が役所広司。
清洲会議には今まで注目していなかったが、この映画を見るとこれが歴史の重要な転換点だったのではと思えてくる。
笑いがある一方で、あたりまえのように柴田勝家や織田家を滅ぼすつもりでいる秀吉に、恐ろしさも覚える。
やろうとしていることは恐ろしいのに、それでも悪人に見えない秀吉は不思議な存在だ。あっけらかんとして悪びれない、それが原因だろうか。他人を騙そうとすれば、普通なら抱くはずのうしろめたさが、秀吉からは感じられない。後ろめたさを感じる機能が欠落しているかのようだ。
天才とは、ある種の才能を「持っている」ことばかりではなくて、ある種の才能が「欠落している」ことも重要な要素なのかもな。
……あ、こんなことを考えなくとも楽しめる映画なので、ぜひ観てください。