3日に開催された第33回那覇マラソンに参加してきた。
9年振り、2回目の参加。当日は娘の風邪がうつったのかノドが痛くて微熱のある状態だった。しかし、およそ2万5千人の会場の熱気に走らずに後悔するより走った方がマシだと、スタート集合位置についた。
午前9時、満を持してスタート。8分/kmをキープしようとするが、周りのペースが速くてなかなか難しい。
なるべく後半に疲れを残さないように、SUUNTOの心拍計の数値を見ながらペースを落とし、序盤から少しの坂道でも積極的に歩きを入れて、回復を図った。
ところが、予想より早く20キロ手前から足がツッパリはじめて、不安がよぎった。そんな時、沿道からの声援がものすごく励みになり、子供たちのタッチから元気をもらった。
30キロから先は、脚が鉄の棒のようにパンパンになり、一歩進む度に激痛が走った。自分との戦いでほぼ歩きにならざるを得なかったが、終盤は家族や同僚のの応援のおかげもあって、なんとか諦めずに完走出来た。
結果、9年前より数分ではあるが自己ベストを更新することができた。
やらずに後悔はしなかったが、やってリタイアしていたらもっと悔しいだろう。
丸2日続いた激筋肉痛も治まり、そのつらさよりも、沿道からの応援のありがたさや完走した時の達成感の方が記憶に残りつつある。こうやってまた次回走りたくなる、それが那覇マラソンというものだ。
9年振り、2回目の参加。当日は娘の風邪がうつったのかノドが痛くて微熱のある状態だった。しかし、およそ2万5千人の会場の熱気に走らずに後悔するより走った方がマシだと、スタート集合位置についた。
午前9時、満を持してスタート。8分/kmをキープしようとするが、周りのペースが速くてなかなか難しい。
なるべく後半に疲れを残さないように、SUUNTOの心拍計の数値を見ながらペースを落とし、序盤から少しの坂道でも積極的に歩きを入れて、回復を図った。
ところが、予想より早く20キロ手前から足がツッパリはじめて、不安がよぎった。そんな時、沿道からの声援がものすごく励みになり、子供たちのタッチから元気をもらった。
30キロから先は、脚が鉄の棒のようにパンパンになり、一歩進む度に激痛が走った。自分との戦いでほぼ歩きにならざるを得なかったが、終盤は家族や同僚のの応援のおかげもあって、なんとか諦めずに完走出来た。
結果、9年前より数分ではあるが自己ベストを更新することができた。
やらずに後悔はしなかったが、やってリタイアしていたらもっと悔しいだろう。
丸2日続いた激筋肉痛も治まり、そのつらさよりも、沿道からの応援のありがたさや完走した時の達成感の方が記憶に残りつつある。こうやってまた次回走りたくなる、それが那覇マラソンというものだ。