葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

分岐点は?

2006-07-18 01:33:42 | 仕事
 以前の記事で、「布団とベッドの違いは、按摩とマッサージの違いのうちでも根本的なものではない」と書きました。実際そうだと思うのですが、ひょっとしたら按摩とマッサージの本質的な違いを作る分岐点にはなったかもしれません。

 機動力の低い正座や中腰の姿勢では、動きの大きいマッサージのような技法は発達し難いでしょう。

 逆に立位では、じっと静かに按ずる技法が中心では、機動力が生かせません。

 いや、国民性とか民族性の方が、より根本的な分岐点かもしれません。

 マッサージはヨーロッパが発祥の地です。ヨーロッパでは、例えばサッカーが盛んですが、このスポーツはリズミカルで攻守が目まぐるしく入れ替わり、とても躍動感があります。また、音楽もリズミカルなのは勿論、スウィング感、ドライヴ感に溢れています。この辺りの感性がマッサージの技法と重なって見えるのです。

 ヨーロッパと比べると、按摩の発祥の地である日本の文化は、「リズミカル」というよりは、「拍子」や「間」といった「静」のイメージが濃厚です。「拍子」や「間」だってリズムには違いないのですが、スウィング感やドライヴ感となると、やはり苦手でしょう。もっとも二十世紀終盤からは、日本にも西洋的なリズム感が現れてきたようですが。

 ちなみに、按摩のルーツは中国の「推拿」という手技ですが、私の知る限りでは「推拿」は按摩よりはマッサージに近い、リズミカルで動きのある技法のようです。という事は、マッサージは「ヨーロッパ的」というよりは、「大陸的」という方が、少なくとも動きに関しては正しいのかもしれません。

 「動きに関しては」という、持って回った表現になってしまったのは、マッサージと推拿ではベースとなる理論が別物だからです。で、理論については、按摩は推拿の理論をよく受け継いでいました。相当な過去形ですけど。この辺りの考察は、またの機会に。
 
 湿度などの気象条件は、現在よりも昔の方がダイレクトに影響したのではないでしょうか。入浴の頻度は昔の方が少ないでしょうから、オイルを塗るという発想にかなり影響しそうです。

 そして現在、生活習慣の西洋化や法律等で、日本では按摩とマッサージはゴッチャになっています。さてさて按摩の行く末は・・・?
  

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