多摩日記(続・薩摩日記・越後日記) 写真で綴る多摩(関東)

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20081206 椿山荘 結婚式へ 

2008-12-11 22:35:55 | Weblog
ここ10日間で、別府に4泊 指宿白水館に1泊、また別府に1泊
そして今回東京に1泊ととにかく目まぐるしく駆け回りました。
 その間、結構撮りだめができました。朝日・夕日・富士山・東京湾の夜景
紅葉・別府の夜景・クリスマスツリーなどなど
しばらくこのとりだめをアップします。

まず椿山荘での結婚式から 結婚式をアップしたいが・・・・
ここでは綺麗だった庭をアップします。しかし微妙に色が見た目と違います
http://www.chinzanso.com/about/history.html

■椿山荘の沿革
椿山荘の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころ から椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれてい ました。
江戸時代初期には、神田上水の水役として出府した松尾 芭蕉が、深川芭蕉庵に移るまでの4年間、椿山荘に隣接す る関口竜隠庵(のちに関口芭蕉庵)に住んでいました。

安政4年(1857年)の切絵図によると、現在の椿山荘の敷地は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷で あったことがわかります。
山縣有朋が明治11年(1878年)に私財を投じて「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名します。
山縣は明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を招き、椿山荘で国政を動かす重要な会議を開いていたようです。


大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎました。
しかし、昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。

幸い丘の木立に囲まれた三重塔は焼失を免れ、今もその曲線を空に映しています。
昭和23年(1948年)、藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」の思想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。
昭和27年11月11日、ようやく完成した椿山荘で盛大な披露パーティが行われました。以来結婚式場の名門として、また大小宴会や日本を代表するガーデンレストランとしてたくさんのご利用をいただいています。

昭和58年(1983年)椿山荘新館(現プラザ)がオープン。
昭和62年(1987年)庭園の中の数寄屋造りの料亭「錦水」が、また翌年には庭園内にあった美術館を改装して「新チャペル(現バンベール)」がオープン。常に最新の設備と行き届いた温かいサービスで、椿山荘は着実に歩み続けてきました。

平成4年(1992年)ヨーロピアンスタイルのラグジュアリーホテル「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」オープン。
平成10年(1998年)庭園の中のクリスタルチャペル「ルミエール」オープン。
平成15年(2003年)露壇式庭園改装。
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