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会社の行事で200名弱で参加。あいにくの雨の中でした。
昨年は暑くて、今年は少々肌寒かった1日でした。
祭りの躍動感をなかなか撮りきれません。音感が悪いのか?
シャッタースピードが遅いのか
動きあるもののとる難しさを再認識した1日でした
下記がおはら祭り公式サイトです。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/kanko.nsf/0/64537c497d762ee549256c5600260eac?OpenDocument
■おはら祭りとは
おはら祭は鹿児島市制施行60周年の記念として、昭和24年、戦後の街興しに燃える 市民の中で生まれました。
スタート当初は、おはら節の踊りのほか、自動車仮装パレードが主体でしたが、 昭和36年に、現在のような踊りが中心となる祭りとなって今日に至っています。踊りゾーンの場所や踊る曲目の変遷を経て、平成13年度には節目となる第50回を迎え、総踊り等参加者約2万2千人が集う南九州最大の秋祭りに発展しています。
(祭りの主な変遷)
昭和24年 市制施行60周年を記念行事としてスタート
自動車仮装パレードが主体。(JR鹿児島駅→JR西鹿児島駅)
昭和27年 「おはら節」の踊りパレードが始まる。
昭和29年 春の「みずほ祭」、夏の「港まつり」とともに併合され、「おいどん祭」と名称変更される。
昭和32年 「おいどん祭」から「おはら祭」へ名称変更
昭和36年 現在のような「踊り連」方式を採用。自動車仮装パレードは中止。
進行コース2か所方式に(JR西鹿児島駅・JR鹿児島駅→照国神社)
※踊り連方式により、祭りが大きく変化
・婦人会中心→町内会・職域の増加へ
・商工振興→市民レクレーション→鹿児島を代表する祭りへ
昭和38年 「鹿児島はんや節」が踊る曲目に加わる。
昭和41年 進行コース3か所方式に(JR西鹿児島駅・松方橋・JR鹿児島駅→照国神社)
昭和43年 祭りの日を11月3日(文化の日)と決定
昭和47年 「国体前前夜祭」と銘打ち、10月21日に実施
昭和48年 踊りゾーンの歩行者天国(高見馬場~朝日通り)スタート
昭和50年 踊り参加者10,000人突破
昭和52年 初の夜まつりを照国通りで実施、11月2日・3日の2日間開催となる。
昭和58年 踊りゾーン変更(高見馬場~朝日通り・東本願寺前)
昭和59年 踊り参加者20,000人突破
昭和62年 夜まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~照国交差点)
平成元年 夜まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~いづろ交差点)
平成2年 本まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~桟橋通り)
フランクフルトのマイン川岸祭りでおはら祭交流
平成3年 おはらおごじょ太鼓スタート
夜まつり踊り参加者5,000人突破
平成6年 You遊広場スタート
平成12年 ヤング踊り連スタート
平成13年 第50回開催。「国際芸能祭」など記念行事開催
夜まつり踊り参加者8,000人突破
平成14年 「ダンスタイム『オハラ21』」初実施。夜まつり参加者9,000人突破。
平成15年 ようこそ!新幹線(九州新幹線開業記念)
平成16年 祝!新鹿児島市誕生(吉田町、郡山町、松元町、桜島町、喜入町との合併記念)
平成17年 さつまいも伝来300年記念
平成18年 伝統芸能スタート
昨年は暑くて、今年は少々肌寒かった1日でした。
祭りの躍動感をなかなか撮りきれません。音感が悪いのか?
シャッタースピードが遅いのか
動きあるもののとる難しさを再認識した1日でした
下記がおはら祭り公式サイトです。
http://www.city.kagoshima.lg.jp/kanko.nsf/0/64537c497d762ee549256c5600260eac?OpenDocument
■おはら祭りとは
おはら祭は鹿児島市制施行60周年の記念として、昭和24年、戦後の街興しに燃える 市民の中で生まれました。
スタート当初は、おはら節の踊りのほか、自動車仮装パレードが主体でしたが、 昭和36年に、現在のような踊りが中心となる祭りとなって今日に至っています。踊りゾーンの場所や踊る曲目の変遷を経て、平成13年度には節目となる第50回を迎え、総踊り等参加者約2万2千人が集う南九州最大の秋祭りに発展しています。
(祭りの主な変遷)
昭和24年 市制施行60周年を記念行事としてスタート
自動車仮装パレードが主体。(JR鹿児島駅→JR西鹿児島駅)
昭和27年 「おはら節」の踊りパレードが始まる。
昭和29年 春の「みずほ祭」、夏の「港まつり」とともに併合され、「おいどん祭」と名称変更される。
昭和32年 「おいどん祭」から「おはら祭」へ名称変更
昭和36年 現在のような「踊り連」方式を採用。自動車仮装パレードは中止。
進行コース2か所方式に(JR西鹿児島駅・JR鹿児島駅→照国神社)
※踊り連方式により、祭りが大きく変化
・婦人会中心→町内会・職域の増加へ
・商工振興→市民レクレーション→鹿児島を代表する祭りへ
昭和38年 「鹿児島はんや節」が踊る曲目に加わる。
昭和41年 進行コース3か所方式に(JR西鹿児島駅・松方橋・JR鹿児島駅→照国神社)
昭和43年 祭りの日を11月3日(文化の日)と決定
昭和47年 「国体前前夜祭」と銘打ち、10月21日に実施
昭和48年 踊りゾーンの歩行者天国(高見馬場~朝日通り)スタート
昭和50年 踊り参加者10,000人突破
昭和52年 初の夜まつりを照国通りで実施、11月2日・3日の2日間開催となる。
昭和58年 踊りゾーン変更(高見馬場~朝日通り・東本願寺前)
昭和59年 踊り参加者20,000人突破
昭和62年 夜まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~照国交差点)
平成元年 夜まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~いづろ交差点)
平成2年 本まつり踊りゾーンの変更(高見馬場~桟橋通り)
フランクフルトのマイン川岸祭りでおはら祭交流
平成3年 おはらおごじょ太鼓スタート
夜まつり踊り参加者5,000人突破
平成6年 You遊広場スタート
平成12年 ヤング踊り連スタート
平成13年 第50回開催。「国際芸能祭」など記念行事開催
夜まつり踊り参加者8,000人突破
平成14年 「ダンスタイム『オハラ21』」初実施。夜まつり参加者9,000人突破。
平成15年 ようこそ!新幹線(九州新幹線開業記念)
平成16年 祝!新鹿児島市誕生(吉田町、郡山町、松元町、桜島町、喜入町との合併記念)
平成17年 さつまいも伝来300年記念
平成18年 伝統芸能スタート