・人生(旅)の話(昭和43年10月25日付けの友達へ送った手紙の一部)
前文・・・は省略します。
旅に出て、『人生とは』と考えるのも大事であると思うのです。旅の仕方も十人十色あるように、人生も人それぞれ違ったその人の人生がある、と思う。従って、『人生とは、こうあるべきだ』と定義する事は出来ないと思う。又、定義出来ない所に人生の面白さがある、と思う。よく人は人生を旅に例えますが、私も旅をして実感し、本当にその通りであると思った。何故なら、『旅は、プロセス(過程)であり、人生もプロセスである』と思うからだ。
しかし、今までの私の人生は、意義ある又は楽しんでいる人生であったのか。それはむしろ、プロセスでなく、毎日が決まりきった、若しくは繰り返しの生活であった。これは何も私だけでなく、多くの人達もその傾向があるように思われた。それは昨日無事に過したように、今日も無事に過し又、明日も同じように過す。そこには、人生の意義や楽しみ、と言う概念が存在していなかった。それはただ、穏便に過す様な、或いは砂を噛む様なあじけない繰り返しの生活、これも人生と言うのでしょうか。
私はこの様な味気ない生活、人生に飽きし、いつも旅に出たい、外の世界を見てみたい、と思っていた。それは取り敢えず、何処でも良かった。日本を脱出して、1人で静かに人生について、自分の人生について考え、又その様な情緒に自分の身を置いてみたかった。そして若い時には、この様な時期があっても良いではないか、と思っていた。幸いにも私は文通しているシーラがロンドンに居たので、ここまで来る事が出来た。そしてその出会いは私の人生で2度と無い、ドラマチックなものであった。ここ(外国)から日本を、そして自分を見つめ直した時、色々な事を思い、そして感じた。そして何はともあれ、この旅を実現させた事は、自分自身の勝利である、と思ってる。
私はまだ旅の途中で、『今後の自分の人生について、かくあるべきだ』と言う、答えを見出してないのです。否、見出してないと言うより、今何も考えられない、と言った方が正しいかもしれません。『今後の自分の人生、生き方』を考えると、如何しても就職、仕事の事へ行ってしまうのです。男の人生は、仕事を抜きにして考えられないのであろうか。経済的確立を抜きにして、人生について論じても所詮、それは絵に描いた餅に過ぎないのであろうか。とすれば、旅の途中に於いてこの事について考えても結局、ナンセンスなのであろうか・・・。
否、そうではない。長い人生に於いて旅をする事は、必要であると私は思いたい。その人の経済的や仕事の状況によって、長期間の旅から1泊2日程度の短期間の旅、或はブラットした日帰りの旅も旅なのだ。その旅先で1人じっくり、人生の事を含めて色々な事を考えて見る、それが大事である、と思う。
そこで改めて言いますが、ここで言っている『旅』は、旅行ではありません。旅行と旅は、本質が違うと思うのです。旅とは、心にゆとりを持ち、日程、時間やルートに拘束されず、自分の行きたい所を気ままに移動する事である。そして旅行とは、日程、時間、ルート、行き場所、交通手段、宿泊施設等が前もって決められ、それらに拘束されて移動する事である、と思うのです。
我々は時に友達や職場の仲間達と短い旅行をする事がある。その旅先で色々な事を考え、仲間と話し合ったりする事もある。時には人生について論議する事もある。それは大切な事であると思う。そしてその根底にあるものは皆、仕事や生活基盤を持っていると言う事である。しかし、今私は旅の途中、職も生活基盤も持たない自由人、ここに大きな相違があります。この相違こそが曲者なのか。今、私がそれは考えると堂々巡りになってしまうから、結論を見出せないのか・・・。
今まで旅を通して色々な物を見て、体験して、或いは色々な事を感じて、大いに人生勉強になった、と思う。そしてこれからの旅もその様にありたい、と自身願っているのです。その様な事であるとすれば、『今の時点で、人生とはかくあるべきだ、と結論すべきでないのかも・・・』と思うのです。
私は間もなくロンドンを去り、再び旅に出ます。そしてその旅を通して色々な事を体験、経験する事が当面の課題である、と私はそう思っています。
末文・・・は省略します。