・昭和44年3月4日(火)晴れ(ヒッピーから紳士に変身?)
午前中、部屋でゆっくり休んだ。オーストラリアへ行って、職探しをしなければならないので、『少し容姿を整えなければ』と思い出した。午後、近所で目に付いた床屋へ行った。
ここの宿泊所(YMCA)は、表通りから少し裏通りへ入った所にあった。宿泊所の前は広くないが、餓鬼どもの遊び場として適度な広さがあった。広場右手の方は、古ぼけた汚い民家が並んでいた。
出掛けようと表に出たら昨日と同様、餓鬼ども数十人が頭からつま先まで色々な色に染まりながら又、粉を掛け合っていた。私は粉を掛けられない様にソット行ったが、餓鬼どもに見つかってしまった。「ヒッピー、ヒッピー」と餓鬼どもは、はしゃぎながら粉をぶつけようと、私を追って来た。『掛けられてたまるか』と素早く表通りへ逃げ出した。それにしてもインドの餓鬼には敵(かな)わないよ、と思った。
床屋へ行ったら、直ぐ店主が台に案内してくれた。しかしカットの方法でお互いに言葉が通じ合わないので困ってしまった。店主がカットのサンプルを持って来てくれた。私は裾を刈り上げ、髪を7:3に分けたサンプルを指し、「Leave others to you(他は貴方にお任せします。)」と言った。分ったのか、分らなかったのか、いずれにしても私は『まな板の鯉』の心境であった。
カットして、頭を洗って、髭も剃ってくれた(カットと髭剃りは7ヶ月振り)。しかも髪型は、7:3に分け、ビッシト決めてくれた。理髪代は2.5ルピー(約125円)で思った以上に満足したので、お釣りの50パイサをチップとして渡した。店主は、嬉しそうに店の外まで見送ってくれた。
そして私はYMCAへ。餓鬼達はまだ広場で遊んでいた。餓鬼達は私の顔を見て、キョトーンとなってしまった。そしていつも言っている『ヒッピー、ヒッピー』の言葉も無かった。それに私の変身振りに餓鬼達は粉を掛けるのも忘れていた。「ざまーみろ、紳士になったのだ。餓鬼達にバカにされる覚えはないぞ。」と意気揚揚と建物の中へ入って行った。しかし着ている物とヘアースタイルはアンバランスであった。
〝ホーリー祭〟(ヒンドゥ教の3大祭の1つ。2月~3月頃、春の訪れを祝う熱狂的な祭りで、この日ばかりは誰でも区別なく色付き粉や液体を掛けても無礼講であるらしい。)で今度は、大人達が広場で夜遅くまで騒いでいた。おまけに今夜は蒸し暑く、寝苦しかった。