・リキシャマン(リキシャのおじさん)の話
(注)1ルピーは49円(公定)、39円(闇取引)
リキシャとは、リヤカーに似た2人用の座席がある二輪車を自転車で牽引する乗り物で、人力車の自転車番である。リキシャ・マン(以下「おじさん」と呼ぶ)は、そのリキシャの運転手の事です。リキシャはインド中、至る所で走っていた。都会の駅前はリキシャでいっぱいであった。大通りをリキシャが車の合間を縫って走っていた。便利で安く、大衆向けの乗り物であった。しかし、私はタクシーより必ずしも安いと思わなかった。
リキシャの料金はキロ制で、1キロまで60パイサ、以後1キロ毎に50パイサであった(たぶん)。しかし別に料金メーターが取り付けてある訳でないので、交渉次第で値段はいくらでも変わった。黙っていれば何倍もの料金を請求(通常4~5倍吹っ掛けられる)されるので、交渉が大事であった。されど大体に於いて言葉が通じないのだから、交渉は難航であった。「1ルピーで行け」と決めておいても、後から「2ルピーだ」と請求して来た。そこで又、言葉が通じ合わないが、交渉のやり取りが始まり、実際大変であった。
私が初めてリキシャに乗ったのは、パキスタンからインドへ入国し、国境からアムリッツァルのバス発着所へロンと一緒に乗った時であった。ほっそりと痩せこけたそのおじさんのスタイルは、上半身は裸(人のよって汚れた白シャツ)、下半身は腰巻一枚(人によってロングスカートの様な物、又は薄汚れただぶだぶズボンを履いていた)、そして素足(全てのおじさんは素足)で、全てのリキシャのおじさん達はこれに似た様な格好であった。そのおじさんにとって上り坂の時、大変であった。汗を掻きながら「フゥ、フゥ」言って、一生懸命にペダルを踏んだ。そしてとうとう踏めなくなったおじさんは、降りてリキシャを引っ張った。痩せこけ、腹を空かしたおじさんにとっては、大の男2人(時には3人4人も乗る事もあるが、定員は2人まで)が座席にドカーンと乗っているので大変だった。私としてもそんなおじさんを見て、乗っていると何となく悪い様な、罪悪を感じてしまった(この時、私はインドに慣れていなかった)。リキシャ代は1ルピーであったが、そのおじさんは最初、5ルピーの値を吹っ掛けて来た。しかしインドの事情を知っていた旅仲間の関さんがいて、1ルピーまで値引きさせたのだ。はっきりしないが、乗った距離は2キロ前後の様な気がした。
おじさん達は腰巻だけのスタイルであったから、前から来るおじさん達が自転車のペダルを踏んでいる姿を見ると、チッラチッラとおじさんの何(オチンチン)が見える事もあった。
今日(S44,2,27 パトナーにて)、我々は前もって、「○○まで1ルピーで行ってくれ。」と言って、おじさんも承知したので乗ったのだ。着いたら、「2ルピーだ。」と言い出した。おじさんの吹っ掛けが、又始まったなと思った。我々も負けてたまるか、闘志が湧いて来た。そして1ルピーの攻防が始まった。
私と渡辺は、約束通りの1ルピーの主張を貫いた。相手も生活が掛かっているのか、『前の約束なんて糞食らえ、取れるものなら取るのだ』と言う感じで、2ルピーを請求した。言葉なんてお互いに通じないのだ。唾を飛ばし、大きい声で我々は英語で、彼はヒンディー語かベンガル語か、何か分らない言葉でお互いに主張し合った。
その内に何処からともなく人が集まり、その数70~100人が輪になって、我々とおじさんを取り囲んだ。そしてその1ルピーの攻防の成り行きを楽しそうに見物していた。見物人が見ていては、我々だって余計に負ける訳には行かなかった。大声で我々は主張し、言い分を断固として固持するのみであった。相手も負けていなかった。たかが1ルピー、見物人が現れる程までやらなくとも、1ルピー出せば解決したのだ。でも相手の理不尽な要求に、私はここで負けたくなかった。「2ルピー渡せ。」「否、1ルピーと言ったので1ルピーだ。」と言い放つ、主張の攻防は続いた。
そうすると間もなく、輪の中からターバンに髭を生やしたシーク教徒の方が現れ、「如何したの。」と英語で我々に尋ねて来た。「1ルピーの約束でここまで来て、降りたら2ルピーだと言われ、言い合いになり困っています。」と事情を説明した。彼は頷いて今度、おじさんの耳元で何かを言っていた。おじさんは納得したのか、私から1ルピー受け取り、シゲシゲと去って行った。見物人達も、何もなかった様に立ち去った。私はシーク教徒の紳士に深くお礼を言った。攻防に勝った(?)のであるが、どっと疲れを感じた。トラブルになってシーク教徒の方が現れて本当に良かった。インド滞在中、彼等に何度も助けて貰ったが、彼等のその存在は大きいと感じた。
所で、働いてもまだ貧しい代表的なのが、リキシャのおじさん達であった。50パイサ、1ルピーを必死になって稼いでいた。大勢いるから競争率は、非常に激しかった。そんな彼等だから、金を持っていそうな(?)外国人旅行者が乗ると、1ルピーでも余計に取ろうと必死になった。当然、1ルピーの攻防になるのも仕方なかった。
おじさん達は仕事が終ると家に帰る、と言う事は無いみたいであった。夜、おじさん達は自分のリキシャの中で寝ていた。深夜や早朝、そんなおじさん達のリキシャが駅前や街のあちこちにたくさん見掛けた。彼等はカーストの最下層が殆どで、リキシャを買えるお金がなく、『1日いくら』と言う様に元締めから借りているようで、いっぱい稼がないと借り賃も出ない。彼等の1日の手取りは2~3ルピー、悲しいかな1日働いてタバコも買えない、ビールも飲めないのだ。安いタリーを2回食べて、チャイ一杯を飲んだらなくなってしまう額。だからおじさん達は、食堂へ食べに行けない。食べても1日1食程度(そうではないと打算が取れない)だと思うのだ。
今日の事だって、あんなに張り合う必要はなかったのだ。1ルピーやれば彼は喜ぶし、我々も功徳が積めたのにと思った。しかし、『筋を通す事に容赦(情け・同情)は、無用』と割り切る事がインドでは大事な事であった。それにしてもインドは、リキシャに乗るのも疲れるし、大変であった。