・昭和43年7月21日(日)晴れ(黄金のバルト海)
パン、ミルク、キュウリ、そして、トマトで朝食を取った。ソ連の旅行は、ホテルでナイフとフォークを使ってのコンチネンタル・ブレックファーストであったが、個人の旅になると食事内容も貧しくなった。
船でストックホルムへ行く為、タクシーで港の船会社へ行った。私と鈴木は既に日本でヘルシンキ~ストックホルム間の船切符を買ってあったが、照井と鶴島さんは、まだ買ってなかったので買う事になった。その鶴島さんは、四国の松山で個人商店を営んで
いる人で今回、ストックホルムのホテルでボーイをしている弟さんに8年振りに会いに来たと言う事であった。鶴島さんは英語が分らないので私に、「明日、船で行くから弟に迎えに来て貰いたいので、電報文を書いてもらいたい」とお願いされてしまった。そこで、私が英文を書いて船会社の人にこれを電報にしてくれるよう、頼んだのであった。それにしても、彼は自分の事を人に頼まなければ何も出来ないで、よくこちらに来たものだ、と思った。
午後2時の出航なので、まだ4時間程あった。我々は荷物を船会社の事務所に置かせてもらい、市内へ散歩に出掛けた。
その後、我々4人は港に戻り乗船した。出航の際、先程知り会った自称学生で写真家の『青木さん』が大きな日の丸を振って我々を見送ってくれた。異国の最果ての港で日の丸の旗を振って見送ってくれた青木さんを、私はいつまでもデッキで見ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2c/24d7fe73f05092498507455c1369e60b.jpg)
・ヘルシンキ港にて出港前の私と鈴木
鈴木の部屋で我々3人は、これからの旅行について話し合った。例えばドイツで100ドルずつ出し合って中古車を買って旅行しようとか。しかし人それぞれ旅の仕方がある。私のユーレイル・パスは1ヶ月間有効の物でその後、イギリスへ行ってシェイラに会う計画がある。鈴木は2ヶ月間有効のパス、そして照井はパスを持ってないとの事であった。そう言う事で我々はいつまでも一緒に旅が出来る訳がないから、『出来る範囲で、そして、外国が慣れるまで共に行動しよう』と言う結論になった。
船の中は、国際色豊かであった。日本人は同じソ連ツアーの仲間が9人居た。夕食は食堂で2日振りにナイフとフォーク付きの食事で、ポークソーテ、ポテトチップス、ミルク、そして、パンが出た。これは、船賃の中に含まれていた。夕食後、1人デッキに出た。静かな海であった。暫らくしたら、太陽が水平線に沈みかけ、辺り一面黄金色に染まったバルト海がそこにあった。それは何とも言い表す事が出来ない光景で、ただ感嘆するだけであった。
黄金に染まったバルト海を眺めていると、日本でセコセコとやって来た思いが吹き飛んで行くようで、何か心の奥底までがスッキリして来た。『私は今、最果てのバルト海の真只中に居るのだ。あれ程までに行って見たいと想っていた外国・ヨーロッパの地に』と想うと、私は胸が熱くなり、涙が出そうになった。
バルト海を眺めながらの夢の実現に、
胸が熱くなります♡
祥さんは、語学が堪能なのですね。
自分の学生の頃を思い返すと、英語の授業は好きでしたが、学校の授業だけでは、英会話までは到底及びませんでした。
英会話の力は、どの様にして身につけたのですか?
7月12日に投稿(旅の心構え)で申し上げた通り、私の英会話力は中学生の英語の教科書程度以下で、junさんが言っていた様な堪能とは、恥ずかしいですが程遠いです。
英会話力(テクニック)を上げるには私の旅経験から
1,男は度胸、女は愛嬌で相手と向かい合う事、飛び込む事。
2,恥ずかしがらない事。
3,自分の知っている言葉(単語)でまくしたて て、自分のペースにして話す事。
4,謙虚さ、相手と同等である認識、見下されない事。
5,相手を褒める、尊重する、相手が嫌な事は話さない等々。
6,自分は日本人、英米人ではないので英語は上手くないのは当たり前、と大きな面をする事。
7,分からない、理解できない事はハッキリ相手に伝える事。
*1,2,3が大事ですね。
参考になれば嬉しいです。
From Yoshi
私も愛嬌で英語が伝わるかしら?
でも今となっては…
単語が覚えられません(⌒-⌒; )
以前、娘と韓国へ言って、韓国人とデタラメに話していたら「お母さん、日本語と韓国語と英語が、ごちゃ混ぜになってるよ」と、言われてしまいましたよ😅
祥さんは、この7つのコツで、旅を続ける度に語学力が上達されたのでしょうね👍
From Yoshi