こんにちは。
(仲良く水を飲んでいます)
ご無沙汰しちゃっております。
本当はもうちょっと早くブログを書くつもりでしたが、
バタバタな日々になってしまい、
5月の末日になってしまいました。
皆さま、お元気でお過ごしてしょうか?
ちなみにうちのヤドカリさんたちは
元気です。
(仲良く水を飲んでいます)
さて、私ごとではございますが、
タイトルの通り、
じつは半月ほど前、
父が虹の橋を渡って行ってしまいました。
享年77歳でした。
2年ほど前に、このブログで
父が入院したことを書いたのですが、
あれからますます
心臓も内臓も弱ってしまい、
今月3回目の入院をして
3日目でその日を迎えました。
今日はその
悲しいお話をさせて頂きます。
入院したのはちょうど
5月12日の母の日。
昼ごはんを済ませてから
実家の母に花を届けようと、
ざるそばを作っていたら
母から電話がきた。
『悪いけど、今、時間ある?』
「あ、ちょうど今からご飯食べて、
それからお母さんに花を持って行こうとしてたとこだよ」
『それはいいけど、お父さんが調子が悪くなって
タクシーを呼んだけど、なんでか1時間しても全然来ないから、
ご飯の後でいいから病院に連れてってやってくれん?』
と言われて、これは家族のピンチだ!と思って
「すぐ行く!」
と電話を切って、
オットに話して慌てて支度して、
さぁ行こう!としたら、
オットが、
『救急車で行ったほうが、優先的に見てもらえる
から、お母さんにそうやって電話したほうがいいよ!』といわれた。
あ、そうだった!
2回目の退院の時、
医師から
『しんどくなったら、救急車を遠慮なくよんでください。』って言われたやん!
と、思い出して
すぐに電話を掛け直したら
母も
『あ!そうだよね。そのほうがいいね』と。
そして救急車は直ぐに来てくれたらしく、
日曜日なので
近所の人たちが沢山出てみえて
どうした?どうした?と
見守る中、
父は道路に止まる救急車までは、
スタスタと歩き、
しかし自力で乗り込めなくて
担架をおろしてもらい、
乗せてもらったらしい。
わたしは
家族と昼ご飯を済ませて
ざっと片付けてから
母にどうなった?と電話したら
まだ父はERで検査中で、
母は待ち合いの廊下で
座って書類を書いていると言っていた。
「わたしもそっちに行こうか?」
と言ったら
『まぁ、どっちでもいいけど
来てくれれば心強いなぁ』と
毎回のごとく、
ふにゃふにゃとチカラの抜けて
ぼんやりした、頼りない声で言った。
流石に3回目なら
母もどんと構えてるかな?と
思ったけど、そうでもなかった。
すぐに駆けつけて、合流し
ベンチに座って書類をチェックして
長いこと待った。
看護師さんから呼ばれて、
ERの中にいた父の所に案内された。
ベッドの上の父は
先月会った時よりさらに痩せ細ってた。
目も白く濁ってて、
それを見た瞬間に
わたしは不謹慎にも
“あぁ、もう父は自分の足で歩いて
元気に自宅に帰ることが出来ないだろう”
と、直感的に思ってしまった。
父に何か元気づけるようなことを
話しかけたいのに、
声を出したら一緒に涙がふきだしそうで
何も言えなかった。
父はまだ入院が決まったばかりなのに、
『先生の話しだと、今度は4週間から5週間の入院だって。
6月5日には、退院できるから』と
かすれた声で言ってた。
なんか計算が合わないなぁ?と思ったけど、
あえて突っ込まないでおいた。
母は『今から入院するのに、退院の話しなんて、ずいぶん気が早いわねー』と笑ってた。
ふと見たら、入院グッズのカバンがカゴに入っていた。
実は父は10日くらい前から調子が悪かったのに、
我慢していたらしい。
母が何回も『病院行こうよ』と諭しても、
父は『まだ大丈夫。我慢してたら治る。ただの風邪だから』と、怒り狂って断固拒否。
だけど母はいつ入院してもいいように
荷物をまとめていたそうだ。
その後しばらく父と母が
荷物の中身のことをあれこれ話して、
しばらくしたら
看護師さんから
『部屋が決まって移動するので、
お身内の方は、そろそろ退出をお願いします』
と言われた。
「じゃあ、頑張ってね!お父さん。お大事にね!」と
無理に笑顔を作ろうとしたけど
泣いてしまいそうで、
そんな顔を父に見せちゃいけないと思い、
震える声でそれだけ言うのが精一杯で、
いそいで待ち合いの廊下に出てしまった。
だけど、それが父に会えた最後になった。
あの時、泣いてもいいから
もっとしっかり、父と話せばよかった。
ちょっと話がそれるが
ここからはオカルトっぽい、
虫の知らせの話し。
実は今回
父が入院する前の一週間くらい、
毎晩、風呂の壁に直径8センチくらいの
茶色のクモがいた。
先月ヤドカリの水槽にいたコより
ずいぶん大きなクモだった。
ちょっと怖いけど、
下に降りて来ないなら
べつに気にしなくていいやーと
追い出したりせずに入浴していた。
そしてその期間、
なぜか入浴中に
亡くなった祖母の声で
左耳の後ろから
『…£∂∀¿…親切は長く…♯*§@…続…ない』
と、いう途切れ途切れのメッセージが
毎日降りてきて
「一体何のこと?親切は長く続かない?
これはわたしの対人関係の注意喚起?」と、
ちんぷんかんぷんで過ごしていた。
父が入院した日の翌日、
月曜日の朝は雨だった。
息子が大学にいくので駅へ送ろうと
朝、玄関ドアを開けたとたん、
上からクモがツーーー
っと糸を垂らして降りてきて
家の中に入ってきてしまった。
風呂にいつも居るのより
ひと回り小さいクモだった。
急いで箒🧹を持って追い出そうとしたけど
下駄箱の下に入り込んでうまく追い出せない。
電車の時間がせまっているので
そのままオットに🧹クモのことを任せて
出発した。🚗
帰宅してからオットに
クモは?と聞いたけど
『それが全然みつからない💧』と言った。
わたしも家中を探したけど
じつは今日のいまだに
全然出くわさない。
なんなら父が入院したその日からは
風呂のクモも居なくなった。
ちなみに、不思議なことに
オットは風呂のクモを一回も見かけていないそうだ。
わたし限定で出現していたらしい。
それにしても
クモがよく出現するのは
スピリチュアル的な意味でなに?
と、ググってみたら
色々な意味があるようだけど
『神のお告げ』とか
『お釈迦さまのつかい』とかもあるそう。
まさしく虫の知らせではないか?!
そして
おばあちゃんのメッセージが
なんだったのかは
まだはっきりわからないけど
多分、この2年のあいだ、
精一杯の力で
父を守っていてくれたんだと思う。
でも、それも限界が来ちゃって
長く続けられなくてごめんね
もう、連れて行くよ。
と言いたかったのかな?と解釈してる。
(2年前のブログにも書いたけど、
父の体調不良をわたしに知らせてくれたのも
おばあちゃんだった。)
話しを元に戻して、、、
入院して2日後の火曜の夕方、
どうなったかな?とふいに気になって
母に電話したら
『ちょうどさっき
病院から呼び出しの電話が来て
向かっているから、、、
あんたも来る?』
と言われて
慌てて駆けつけた。
父は
ICUに移動してて、人工呼吸器と点滴と
何かのモニターのコードに繋がれていた。
担当の医師からの説明で
『現在、
血圧が普通の人の半分しかなく、
色々な薬(点滴)をして
回復するのを期待していますが、
これより悪化することがあれば
心臓マッサージなど延命措置を
ほどこしますね』
という様なことを言われた気がする。
兄が同意書にサインしたが、
なんの書類かよく思い出せない。
多分、延命措置のことだったのかな?
そのあと
睡眠薬で眠る父のベッドの脇まで案内されて
看護師さんから
『話しかけてあげてくださいね。
よかったら手を触りますか?』と
言って貰えた。
父の手には体温があり、
母はまだ回復するよね?と
涙目ながらも期待していた。
その日は一旦帰宅した。
翌朝5時ちょいすぎ、
母から電話がかかってきた。
嫌な予感で飛び起きたら
やはり
『病院から呼び出されたから、あんたも来れる?』と言われ
取るものもとりあえず、駆けつけた。
ICUに行くと
父のベッドのそばに行く前に
別室に案内された。
そこで医師の説明を受けた。
今朝5時に急変して、
あれこれ手を尽くしてますが
“透析”はできない状況。
現在は
心臓マッサージを施しています
と言ったような内容だったけど
詳しく覚えてない。
もしかしたらとは
思ってたけど、
早すぎる!もう一回くらい
お見舞いに来て喋るチャンスが
あるだろうと思ってたから
呆然とした。
そして父のベッドわきに案内された。
びっくりしたのは
心臓マッサージは、
人海戦術をイメージしてたけど、
なんと、機械だった。
こういった感じの物だった。↑
その機械の圧が強すぎるように見えて、
痩せた父の胸骨が折れてしまいそうで
痛々しかった。
『人工呼吸器と、心臓マッサージ機が
稼働しているので、
モニターの数値が動いて
見えますが、
脈の確認のため止めてもいいですか?』
と医師に聞かれて
はいと言うしかなかったし、
痛そうで、早く止めてあげて欲しかった。
そして
機械が止まったとたん、
モニターの数字もゼロになった。
医師が脈や目を丁寧に確認して、
テレビドラマみたいに
腕時計を見て時間を読み上げ、
虹の橋を渡って行ったことを
告げられた。
そして
看護師さんたちと一緒に
深く頭を下げられた。
なんだか夢の中のシーンのようだった。
母はびっくりするほど泣き叫んだ。
『やだよ、起きてよ。6月に退院するって
言ったでしょー。行かないで。
わたしも連れて行ってよ!置いていかないでー』
と、ICU中に響き渡るほど大声で。
わたしも隣で静かに泣いた。
兄は熊みたいにウロウロしてた。
その後、看護師さんが
一旦待合室に案内してくれた。
機械を外してから改めて
対面させてくださるということだった。
機械を外してもらった父は
ただ寝てるだけに見えた。
母はまた大声で泣き叫んだ。
先月、母とふたりで
ご飯を食べに出かけた時、
父の悪口を散々聞かされて、
お父さんのこと、嫌いなのかな?と
思ってしまうほど文句いっぱいだったのに、
そんなにも泣くほど好きだったんだ。
「お父さん、愛されてたよ、よかったね。」と
思った。
しばらく悲しみに浸っていたけど、
病院はいつまでも置いてくださらない。
葬儀社を決めて、午前中に引き払わなくてはならないと説明を受けた。
こういう時、大抵
病院着きの葬儀社が何社かあって
紹介してもらえるらしいと聞いた事があったけど、
看護師さんに聞いたら
この病院では、そういうのはありません。
と言われた。
慌てて
兄とスマホで検索しまくって探した。
母に予算とか聞いたら
『お父さんはいつも
葬式なんかしなくていい。
火葬して、骨は海に撒いて、墓は建てるな。
息子(兄)が独身だから墓守が大変になるから
いらない!って言ってたから、
こじんまりでいいと思う』
と言った。
だけど棺の周りをお花で囲んで
お坊さんを呼んで
お経をあげてもらうくらいするよね?
と思ってた。
でも兄が
『じゃぁ1番シンプルで。
俺、喪主とかよぅやらんし』と
少年のような発言をかまして
まじで何もない、火葬式を選んで
電話してサクサク決めた。
通夜も葬式もナシ。
火葬場で簡単な式をして終わり。
本当にお父さんはこれでいいの?と
娘としてはやや不服だったけど
父は🚗車道楽、🍶酒、🚬タバコ
でパーっと使う人で、
わたしが保険屋をやっていた時ですら
「生命保険なんか入らない!」
と言ってたから
葬式のお金すら本当に残さなかったらしい。
なので
テレビのCMの文字通り、
【小さなお葬式】をあげることになった。
さて、今日はこの辺りで。
続きはまた書きますね。
こんな暗い話し、
付き合ってくださってありがとうございます。
ではまた
ちなみにわたし、
めちゃくちゃ泣きましたが
現在は、だいぶ元気に戻りました。
ご飯ももりもり食べて、
夜もちゃんと寝れるようになりました。
ご心配なく☺️
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