☆お茶目なオカヤドカリ観察日記☆

オカヤドカリを飼う50代主婦の様々な備忘録的ブログ

小さなお葬式の火葬式

2024-06-09 22:00:00 | 近況報告
こんばんわ。
今朝7時、雨のそぼ降る中
なんと町内草刈りが決行されまして、、、

クタクタで帰宅してから
昼寝(っていうか朝寝?)していました。

しかも、雨だから町内の皆さん、

「回覧板に書いてあったように
たぶん来週に延期するだろう!」

と思ったのか、
役員の人が町内をガランガランと
ハンドベル🔔をならして
練り歩いたにもかからず、

出席者がめちゃくちゃ少なく
いつも50人くらい集まるのに、
たった15人くらいしか居ませんでした😅😅😅

来週じゃだめだったのかな?
って、出席したまじめな人たちはみんな
きっと思ってたにちがいない。
🤢🥴😑🫤😤😓😶🥱😫😕😔☹️🤔😞



さて、今日は【小さなお葬式】をあげた時の
備忘録と感想を書きたいと思います。

どなたかの参考になれば幸いです。

(話は前回の続きからです)

病院のICUの家族用の待合室で
兄とわたしで
葬儀屋さんをどこにするか
焦りながらスマホで検索し

生前の父の意向で
「葬式なんてやらなくていい。
とにかくシンプルに火葬してくれるだけでいい」
ということで

兄が選んだのは
小さなお葬式の中でも最安値の
「ちいさなお別れ葬」



この写真を見てわたしは
えー😱しょぼすぎる。そりゃ無いよ。

せめて仏具のセットとお花と
あとお坊さんにお経をあげてもらう
でしょ?

どんなに省いてもこれくらいは↑
選ぶのだろうなーと思ってた。

なので母が反対するかな?と
思ってたら
「お兄ちゃんがそう言うならそれでいいよ」
と言い、

兄が葬儀屋さんに電話をかけて
話しが進んだ。


1時間くらい待っていたら
看護師さんが
『葬儀屋さんがお見えになりましたので
こちらに来てください』と廊下に呼ばれた。

廊下には
棺に入った父が乗ったストレッチャー(キャスター付きのベッド)と
担当医と看護師さんたちとともに

スーツ姿の葬儀屋さんが2人みえて、
(1人は営業マン、もう1人は霊柩車の運転手)
営業マンから名刺を渡された。

驚くことに、名刺には
地元で有名な大きな葬儀屋さんA社(地元で何店舗かある葬儀屋さん)の屋号が書かれてた。

(あとで話をきいたら
【小さなお葬式】というのは
それを行う葬儀会社を全国で募集してて
たまたまうちの地域は、A社が担当してるということだった。
まるでJAFみたいだなって思った🚗)

そして今後の流れと、遺体の安置(火葬する日まで預かってもらえる)のために今から一度A社に来てくださいと言われた。

そして父の乗ったストレッチャー
とともに、
一般の人が通れない通路をゾロゾロと歩いて
エレベーター🛗に向かった。

エレベーター前で
担当医と複数の看護師さんたちに
お世話になりましたと挨拶をして
下の階へ降りた。

ナビ役の看護師さんが
複雑な道順を案内してくれて
暗い出口に着いた。

何度も訪れた事があるその病院に
こんなふうに悲しい専用出口があることを
初めて知った。

そこにとめてあった霊柩車に
父が乗せられて
一足先にA社に運ばれて行った。

ナビ役の看護師さんが
わたしたち家族を一般の出口まで
案内してくださって
わたしたちもA社に向かった。

駐車場につくと先ほどの営業マンが
「こちらの事務所にどうぞ」と
案内してくれた。

4人がけのテーブル席で
プランの確認と書類の記入などをした。
死亡届けの手続きはやってもらえるらしい。

病院で書いてもらった死亡診断書のコピーも
複数枚、用意してくださった。


火葬場の予約が翌日14時でとれて
本当に火葬だけの
通夜式なし、告別式なしで申し込みが完了した。


父の遺体は一晩
A社で預かってくださって、

明日、火葬場まで運んでくださるということだった。

(A社では、たしか2泊まで無料で預かってもらえて、
それを超えるとドライアイスを足すから追加料金が発生するらしい)

このプランのデメリットは
遺体は安置をしてくれるけど、
親戚とかがお参りしたいと
問い合わせしてきても絶対に対応は
してもらえないこと。


遺体安置場所がどんな部屋が
わたしには想像はつかないけど、

おそらく
祭壇のあるような場所ではなくて
スタッフのみが立ち入れる
室温低めの地味なお部屋なんだと思う。



ところで余談だが、
火葬の予約をとってもらってる間に


50代でいまだ独身の兄が
礼服を持ってるのか気になって
聞いたら
「あ〜、あるよ」と言った。

けど母が、
「あんな成人式のスーツなんて、サイズがもう変わって着れないでしょ!?
あれは紺色のスーツで、礼服でもないし。もう礼服くらいは持ちなさい。前から買いなよ!って言ってたのに。」と言った。

どうやら兄はこの30年間、
とても平和🕊️に過ごしてきたらしい。
羨ましい話しだ。

葬儀社の事務所から出たら午後になっていた。

お腹すいたから3人で何か食べに行くだろうと
思ったら
このまま兄の礼服を買いに行くから
ここで解散ねと母に言われて帰宅した。


翌日は火葬場に直接来てくださいと
葬儀屋さんに言われた。

わたしの息子(父にとっては唯一の孫)も
参列したいということで
大学をやすんだ。

本当なら夫も参列するべきだったのだけど
じつは白内障の手術を受けたばかりで
安静にしてなくてはいけない期間だったので

式は、母、兄、わたしと息子の4人だけが
参列した。

そもそも父は友達も少なく、
退職してからずいぶん経ち、
会社の仲間との付き合いも薄れてたし、
親戚も少なく、妹とも仲が悪く
呼ぶような人が全然いなかった。


せめて棺になにか入れてあげて
賑やかにして送り出してあげたい。

たしか数年前に参列した葬儀で
故人のお顔まわりに
お花をたくさんいれてあげたことがあった。

火葬場によっては断られるかもしれないけど、
だめなら持って帰ってこればいいからと思い、

朝イチで花を買いに行って
ゆり(匂いがある花は仏様にはダメだと言われるけど、父の産みの母親がユリさんという名前だからわざと選んだ)とか菊とかカーネーションとか沢山買った。

母は泣き崩れてるし
兄はのんびりしてるから

火葬したあとに父のお骨を連れて帰宅しても、
祭壇に飾ってあげる花の用意なんてしてないだろう。

なので自宅祭壇用と火葬式用に
花を選り分けた。

そういえば、母はあちこちの神社参拝して
ご朱印を集めていたけど
父の分はあるのかな?
あと、数珠も入れてあげれるはず。

あと持たせてあげられるものは?

あぁ、そうだ手紙✉️書こう。
と、父への手紙を書いた。

大した思い出なんてないと思っていたのに、
便箋を目の前にすると
涙でなかなかペンが進まなかった。

小学生のころ、
風呂上がりの父に
「はい牛乳🥛!」って
米の研ぎ汁をグラスに入れて渡したら
「わぁ、ありがとう!」って
素直に飲んじゃって、
志村けんみたいにぶーっ吹き出して
めちゃくちゃ怒られた。
あの時ごめんなさいとか
そんなことも書いた。

忘れてしまっていた
色々な思い出が鮮やかに次々浮かんだ。


午後、実家に一旦立ち寄り
兄の車に乗り合わせて行くことになった。

御朱印帳と数珠の話しをしたら
母が「ああ、あるよ!」と出してきたので
花を入れてきた紙袋に一緒にいれた。

母がなかなか礼服に着替えないので
どうしたんだろうと思ったら
礼服が見つからないと言っていた。

実は数珠も見つからなくて
前の晩にわたしに貸してと電話で
言ってきた。

『物が多いと困る』という仮説は本当だ。

物が物に紛れて、必要なものが見つからない。

落ち着いたらこのゴミ屋敷
汚家を必ずなんとか改善したい!
母の頭がまだはっきりしてるうちに。

結局、母は黒いTシャツとカーディガンとズボンを着て参列した。

火葬場についたら、A社の女性スタッフさんが
入り口で待っていてくださった。

そして直ぐに火葬の部屋に通された。
そこは個室になっていた。
学校の教室くらいの広さの部屋で、
床も壁もグレーの大理石で
その片隅のレールの着いた台の上
父の棺があった。

棺のふたは外されて
壁に立てかけてあった。


火葬場の女性スタッフさんの案内で
荷物を壁際の椅子に置いたら
こちらの床の線に
横一列に並んでくださいと言われた。

そして簡単な挨拶と説明があった。

そして線香を一本ずつ受け取り、
線香置き場に捧げて
父の棺のそばにいった。

白いきれいな掛け布団で
すやすや眠っているような父を見て
母がまた大声で泣きだした。

わたしもつられて涙が出てきた。
父の頬を触ったら冷たくて、
あぁもうここにはいないんだなぁと
実感が湧いた。


「お花や御朱印を持って来たので入れていいですか?」
と聞いたらもちろんどうぞと言ってもらえて
4人で花を飾りつけた。
父の御朱印は2冊もあって、
スタッフさんに
身体の左右にずらりと長く開いて入れて貰えた。

最後に数珠を胸の真ん中にのせて、
わたしの手紙も添えた。

長いこと母が泣いた。
思い切りわんわん泣いた。
家族しかいないから
誰に気をつかうことなく
子供みたいに泣いていた。

この点が、小さなお葬式にして本当に
よかったところだと思った。

親戚とか父の友達がいたら
こんなに気前よく泣けなかったと思う。

わたしも遠慮なく泣いた。
勝手に涙が出て、なかなか止まらなかった。


そして
火葬場のスタッフさんといっしょに
みんなで棺の蓋を閉じた。

棺が火葬の炉にスライドされて
分厚い扉が閉められ、鍵をかわれた。

撮影は、当たり前だが
禁止なので
下の画像はネットでお借りしたものだけど
だいたい似た感じで


こんな感じだった。

そして鍵を🔑受け取って
別の部屋に案内された。

テーブルと椅子が沢山ある、
60人くらい入れる待合室だった。

ガラス張りでも明るすぎない
落ち着いた部屋で
4人でひとつの席についたら

まず、お会計をした。
母がクレジットカードで支払った。
お値段は
約17万円だった。
ちなみに、資料請求をしておけば5万円引きらしい。不謹慎ながらも、しておけばよかった。と思う。


そのあとお茶を入れてくださった。

菓子器は使いますか?
と、わたしの紙袋(和菓子屋の名前が印刷された袋だった)を見て
聞いてくださったけど、
花とか朱印帳しか入れて来なかったので、
「使わないです」とこたえた。

そうか、こういう待ち時間につまめる
お菓子はあったほうがよかったなと
反省。

もう1人若いスタッフさんがいて、
アンケートのご協力お願いしますと
紙を渡された。
でも、まだ火葬式の途中だから
点数の付けようがない。

兄が半分記入して、わたしに押し付けてきた。
未記入の欄は終わってから書けばいいかなと
思ってたら
ジーッとそのスタッフさんが、
扉のそばからこっちを見続けてくる。

え?火葬が終わるまで見つめられてる感じ?
と思っていたら10分ほどまって、
「アンケート、書けましたか?」と回収にきて
未記入があってもそのままお礼を言って帰って行った。

なんだ、そうならそうと言ってくれればよかったのに。

火葬は
約1時間半から2時間くらい待ったと思う。

待ってる間、思い出話しを沢山した。

火葬がおわり、クールダウンの時間が過ぎて
先ほどの大理石の部屋に案内された。

父はガリガリに痩せていたわりに
骨がしっかりと太かった。

母はお骨を見るなりフラフラしてしまい、
椅子を近くに持ってきて座らせた。

お参りしたあと、

葬儀場のスタッフさんが骨を選んで
鉄板のトレーの上に置いてくれた。

それを家族で交代しながら
箸で骨壷に入れた。
母も頑張って立ち上がり、
泣きながらお骨を壺にいれた。

最後に喉仏の説明をしてもらった。

本当に仏様の形をした骨で
びっくりした。

そのきれいな骨が壺に納められて
蓋を閉じた。

残った骨は
福井県のなんとかいうお寺に運ばれると
説明をうけた。

小さくなった父を母が受け取り、
セレモニーは終わった。

スタッフさんに駐車場まで案内されて
帰路についた。

以上が
わがやの小さな火葬式でした。

火葬場の滞在時間は3時間くらいでした。

身内だけで気を使わなくて
純粋に悲しむことができて、
本当に気が楽でした。

お経もないなんて?!
って思ったけど、
そんなこと、式の最中
全然思い出しもしませんでした。

では、このあたりで。

じみな話にここまで
付き合ってくださったあなたに
感謝してます!

























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