とつぜんですが
本当にとつぜんですが
金太郎が虹の橋を渡りました
3月2日午前1時50分
母上の腕の中で
ゆっくりと息を引き取りました
退助や将太や、たくさんのこども達がお世話になっている
動物霊園で葬儀を行いました
2月28日の午後から急にちゃんと歩けなくなり
(午前中は普通だったそう)
たった1日半…あっという間でした
こんな姿を写真に残すのは…と思って
28日の夜は写真を撮りませんでしたが
ほかの子供たちが今までと同じように
き○たまに寄り添っている姿を見て
これは残しておくべきじゃないかと思い、撮りました
珍しい!本当の母子の2ショット
(心美の目つきがちょっと気になるが)
仲良し龍ちゃんがやって来て
背中をナメナメしてくれました
こんな寝顔は今までとな~んにも変わらないのになぁ
おねいちゃんも横になってナデナデ
そしたら
ふふふ、やっぱり来ましたね
めぐたんがお顔をナメナメ
そして…
めぐたん、それはマズイだろ
骨皮しかないき○たまが壊れるわ
これは最後のお写真かな
3月2日になったばかりの時間だったかな
慎太郎と一緒だとガリガリが際立つなぁ
このあと、よろよろと立ち上がったので
どこへ行きたいのか顔の向きを見ると
自分んち(ピンクのケージを自分ちだと思ってる)の中のトイレ
そばまではオシリを支えてもらいながらも自分で歩き
そっと抱き上げてトイレに入れてやりました
お砂にお手手を入れて
ちょっと踏ん張る格好をしましたが
力が入らずに突っ伏してしまいました
母上が支えながら抱き上げた時…
そのとき、息が止まったようです
その後10分くらいの間は
まだ心臓も頑張っていましたが
1時50分
本物の天使さんになりました
大きな声をあげることもなく
穏やかに眠りにつきました
おうちに帰ってきた金太郎
(後ろの吉牛は腹ペコの母上とおねいちゃんの)
お写真はスーパー太っちょだったときのにしました
いつものベッドで寛いでいると、愛ちゃんがご挨拶
そうそう
お葬式に行くまでの間は直吉がずっとそばについててくれました
おねいちゃんはお花を買いに行ったりしてたので
残念ながらお写真はありませんが
エイズの最後は壮絶だと
覚悟をしつつ恐れていましたが
金太郎は最後の最後までいい子でした
本当は辛かったんだろうけれど
急激にあっという間にガリガリになってしまったのは
明らかにエイズの痩せ方なので
発病していたのは間違いないと思うのですが
母上と私は決めていました
病院には連れて行かない
これに賛否両論あることは承知してます
けど
今までに数え切れない辛い思いをしてきた金太郎
病院で治療を受ければもう少し長く生きられるのは
間違いないだろうけれど
検査や注射や投薬
細い腕や喉にチューブを入れられる
辛い思いはもうさせたくない
治る病気なら別だけど
将太の最後は1週間毎日病院に半日入院で点滴をしました
それは痛みや苦しさを取る為のものだったので
当然やってよかったことなのですが
最後の日は車に乗せるのも無理で
病院へ行かず自宅で息を引き取りました
もしも無理して連れて行っていたら
きっと間に合わなかった
行っていれば持ち直した可能性もあったかもしれないけど
でも大好きな母上の腕の中で逝けた
万が一、金太郎が入院なんてことになったら
(この姿じゃ間違いなく入院でしょう)
そしてもしもその時が入院中にきて
私たちが間に合わなかったら…
痛みや苦しみが酷くなれば連れて行かざるをえなかったけど
できるだけ、家族と一緒に逝かせてあげたかったんです
いつもの部屋で自分の部屋で
このときには体臭がかなりきつくなり
(今までみたく口臭じゃなく)
鼻の良いこども達には強烈だったはずなのに
みんないつもと同じようにしてくれた
だからこれでよかった
心からそう思っています
それに
死はお別れじゃない
生まれる前にいたところに帰るだけ
ちょっと前の家に行って来るね!
またあとでね!
そういうことだから
先に行って待っててよね、き○たま
「わかったニャ」
「ちょっと先に行って待ってるニャ~」
みなさま、いままで金太郎を可愛がってくれて
本当にありがとうございました
この後しばらくは
金太郎の追悼記事(?)にしたいと思っています
よければあられもないき○たまの姿に
お付き合いください
あられもないのは元々ですが