9月になりました。
我が家のにゃんの一周忌(=このへんではむかわりという)の月です。
今年の夏は暑かったですね(+_+)
人間が生きているだけでも大変な暑さだったと思います。
あちこちのにゃんさん達は無事だったでしょうか。
初盆には久々にお気に入りだった猫缶を
いつものように取り分けて何回かに分けて供えました。
台所で生きていた頃に洗っていた用具に改めて触れると、
まるで今もそこに愛猫がいるように思えました。
久々の感触。
猫缶のお供えは初盆だけにしようと思ったけど、
この感覚がまた味わいたくて、むかわりの時も
お供えしようね、とにゃんの写真に向かって
語りかけたのでした。
まだにゃんが元気だったころ、読んだ猫本に
「猫の魂は亡くなってもお気に入りのところで
留まって遊んでいる」とありました。
それは今はより、信じていたい。
これからも、1日に何度かは、にゃんの名前を呼んで、
魂をここに留めたいと思います。
写真は、亡くなる1年前の9月の写真。
パソコンの画面に触れると、
すぐに毛並みの感触が蘇ります。
「これからも、ずっと一緒にいるよ♪」
我が家のにゃんの一周忌(=このへんではむかわりという)の月です。
今年の夏は暑かったですね(+_+)
人間が生きているだけでも大変な暑さだったと思います。
あちこちのにゃんさん達は無事だったでしょうか。
初盆には久々にお気に入りだった猫缶を
いつものように取り分けて何回かに分けて供えました。
台所で生きていた頃に洗っていた用具に改めて触れると、
まるで今もそこに愛猫がいるように思えました。
久々の感触。
猫缶のお供えは初盆だけにしようと思ったけど、
この感覚がまた味わいたくて、むかわりの時も
お供えしようね、とにゃんの写真に向かって
語りかけたのでした。
まだにゃんが元気だったころ、読んだ猫本に
「猫の魂は亡くなってもお気に入りのところで
留まって遊んでいる」とありました。
それは今はより、信じていたい。
これからも、1日に何度かは、にゃんの名前を呼んで、
魂をここに留めたいと思います。
写真は、亡くなる1年前の9月の写真。
パソコンの画面に触れると、
すぐに毛並みの感触が蘇ります。
「これからも、ずっと一緒にいるよ♪」