言葉にならない、祈り
自慢することではないが、クリスチャン歴だけは長いくせに、ときどき、何をどう祈っていいのやら、わからなくなる。精一杯を通り越して、心が溢れかえっちゃった時。この世の悪と不条理に、圧倒される時…。
そんな時、都合よく思い出すのが、この聖句。ご聖霊(御霊)の働きについて語られているところだ。
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」(ローマ人への手紙8章26節)
そこで私は、神様の前で「どう祈ったら良いか、わかりませ~ん。ご聖霊さま、あとは、よろしく~!」と、祈ることになる。
しかし、この絵本を読んで、びっくりした。そして、気付いた。自分の祈りに気をとられるあまり、私は、他者の「どう祈ったらよいのかわからない」呻き、他者の言葉になる前の祈りには、ずいぶんと無頓着だった。
言われてみれば当たり前のことだが、何をどう祈ったら良いかわからず呻いているのは、私だけではなかった。この世界には、無数の、言葉にならない呻き、祈りになる前の言葉があふれているのだ。おそらくそれは、幼子からお年寄りまで、この世に生きる人の数だけあるのだろう。私には思いもよらない、想像もつかない呻き、願い。それらをご存じなのは、神様だけだ。
この絵本。開いたところから、サイレント・ムービーのように、まずは絵が雄弁に語り始めます。そして読者が状況を把握したあたりで、とても静かに、わずかな言葉が、独立した「詩」として入ってきます。
絵と言葉が、初めからまったく別次元にあって、一言の固有名詞も語られぬまま、物語は展開していきます。もう、「お見事」としか言いようがありません。
この素晴らしい絵本の、ネタバレは絶対に避けねばなりませんので、多くは語れませんが…。
誇りをもって仕事をしながらも忙しく、我が子との関係に悩むお母さん必読です。きっと「あさがくるまえに」、新しい力をもらえるはずです。