『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

 いやな日本語〜 「感謝です」 に再ダメ出し❌

__ブログ『伊勢-白山 道』に投稿して、掲載されたものと不掲載だったものをまとめてみる。個人的にはよく出来ていると思ったのだが…… 

 

「感謝です」は、敬語ではない

ーこの間、新庄ビッグボスがこう発言した

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに【感謝です】」

 

個人的には、「感謝のことば」には敬意を込めるものだと思う

そして、「感謝のことば」は、ぞんざいな話しぶりであってはならないと思う

 

それで、私は「感謝しております」を使うのだが……

この場合、「おります」と謙譲(へりくだり)の表現を添えているので……

「感謝しております」は、敬語である

それに対して、「感謝です」は、普通に気持ちを述べているだけで、尊敬あるいは謙譲の意味は含まれていない

つまり、「感謝です」は、敬語ではないのである

「感謝」に「です」を付けただけの丁寧語である

 

同じような言い方に……

・「お世話様です」(目上には使えない、メールの冒頭にも使えない)

・「お疲れ様です」(秘書検定では、目上にも使ってよいとされている)

・「ご苦労様です」(目上から目下にしか使えない)

・「恐縮です」(この言葉自体に身を縮めるような畏れや謙虚さを含んでいるため、正式な場でも使ってよい)等がある

 

わたしが、そのなかで特に「感謝です」という言い方に、異様なほどの違和感を抱くのは何故なのか、いままではっきりと分からなかった

しかし、どうやら「感謝です」という言い方には、当然あってしかるべき「敬意」が込められていないことにようやく気がついた

「感謝」という厳粛な気持ち、真心をこめて発するのが「感謝のことば」なのだと思う、そこには相手に対する敬意が伴うはずである

 

たとえば「生かして頂いてありがとうございます」は、「頂いて」が謙譲表現、「ございます」が丁寧表現で、立派な敬語である

神に対し奉っても、ご先祖に対して発しても、ふさわしい言葉・言い方となっている

それに対して、「ご先祖様に感謝です」と言ったらどうなのか

「ご先祖様に感謝します」でも同様である

要は、この二つは普通の丁寧な言い方なのであって、そこに敬意は込められていない

「感謝しております」「感謝いたします」ならば、謙譲の意味をもった敬意表現である

「感謝する」で、一語の動詞なのである

その「感謝する」を丁寧に言ったものが「感謝します」である

そして、動詞の「感謝する」の頭のみ使って、末尾の「する」を省略して、軽〜く言い回して、丁寧語の「です」を付けたものが「感謝です」である

 

ー「感謝です」って、随分と軽薄な言い方なのだとお分かり頂けるだろうか?

「感謝です」と口から出てくる、その薄っぺらい日本語感覚、中身の無さが問題なのである

わたしは50代の読者だが、「感謝です」なんて言っている人は到底日本人とは認められない

さらに云えば、たとえ「感謝しております」と正しい敬語を口にしたとしても、相手に対する直接的なお礼表現である「ありがとうございます」を必ずそこに添えるべきだと思う

 

 

こういう日本語は語り継ぎたくない

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに❌感謝です」(日ハムの新庄ビッグボス)

  「一度プロ野球選手として死んだ身。

僕をもう一度生き返らせてくれたファイターズに❌感謝です」(トライアウトから日ハムに入団した古川選手)

__ そして、

忙し◯こと◯も、感謝が大切です。

そ◯成れる健康にも❌感謝です

__ これは、リーマンさんの記事から引用しました[※  私注;『伊勢-白山 道』から引用するのは禁止されているので、一部伏せ字にしました]

上記のお二人は、大学教育をうけていませんから、リーマンさんと同列に並べるのは不公平かも知れません

でも、お三人とも同じレベルの日本語です

以前、これからリーマンさんのブログを研究する者があらわれるとの予言がありました

わたしは、一日本人として、この手の日本語を後世に伝えたくはありません

そういう思いを懐いている者がいることを、ここに表明しておきたく存じます

「感謝です」なんて、文章に書く時代が来るとは……

本の形で、あるいはデータとして残ることに同じ日本人として恥かしさを覚えます

ただし、こうして文句を云えることにも感謝いたしております

 

[ 悲しい追加:2022-10-14 の拙稿より

ついきのう、テレビ画面をみて、烈しくSHOCKを受けたのだが……
50周年のユーミンのアルバムが、ランキング一位になって、彼女が御礼のコメントを述べる映像を観ていたら…… なんと、あのユーミンがですよ、
「❌感謝です ♪」と言っておった。
あの、言葉の魔術師との形容がサマになる、数少ない作詞者であるユーミンが、近年流行りの短縮化表現「感謝です」を口にするとは、何たる時代なのだろう。そのうち、公の席でも使うようになるだろう。
(私は、厳かな感謝の気持ちを短縮して言うのは大反対である、「感謝です」に感謝の意は乗らない) ]

 

 

__ ことばは丁寧ながら、われながら充分皮肉のきいた辛辣さではあるね、後段の投稿“こういう日本語は語り継ぎたくない”は、不掲載でした

「悪貨は良貨を駆逐する」とゆー諺は、言葉にもあてはまりそーだ

一般大衆から広くつかわれるよーになった言葉は、たとえ伝統的な日本語と比べておかしくても、また文法的に間違っていたとしても、その言葉が定着してしばらくすると辞書にも書き加えられる

だから、日本語とくに口語は、国民の総意で決まるのである………… (以前に、「顔晴れ(=頑張れ)」と書いていたスピ系団体があったが、伊勢白山道でも「ありがとう御座位ます(=ございます)」と書いていたことがあり、いまだに呪文のよーにそのまま書いている読者が存在する……   日常的に本を読まずにネットでも限られたブログしか読まない無学な人は、ほんとうにそー書くものだと思っているから手に負えない、フォロワー数の多いブログ主は自分の記事の文章について、社会的責任を果してもらいたいものだ)

それだけに、後世の日本人に手渡せる言葉をつかいたいとゆーのは、私の偽らざる心情である

 

『うっせいわ』とゆー十代の若者がつくった歌が流行ったが、あれを彼女が生涯歌い続けなければならないことに、私は切に同情する

一時の気の紛らわしのために、こんな幼い歌をリリースして世間でヒットする、これは有名税どころではない負債を背負いつづけねばならない

この歌をピックアップして流布させた大人には、より責任があろー

日本は、なるほど「子どもの国」である

            _________玉の海草

 

コメント一覧

玉の海草
“ 羨ましいゼ、大金星 ♪ おめでとう ”
米沢興譲館卒のイケメン俳優、眞島秀和をご存じですか?
山形県から二枚目俳優を輩出するとは、意外な感じがしました。
二宮くんの『フリーター、家を買う。』で、香里奈の憧れる設計士の先輩役を演じたのが初見で、『るろうに剣心』でも明治の警官してましたね。
あとは、『おっさんずラブ』や、『おじさんはカワイイものがお好き。』では、ゆるキャラを密かに愛するサラリーマンをタッキー&つばさの翼くん(名演でした)と共演していました。
いまは、『#居酒屋新幹線🍶』で、内部監査のサラリーマンが帰りの新幹線で地元グルメを食する番組の主演です。

なにが「大金星」かとゆーと、倉たま『だめんず・うぉ〜か〜』に出てくる美人雀士「ヨーコ会長」と結婚したらしいのです。
その、渡辺洋香さんは実際に雀士なのですが、すこぶる美人で品がありやり手で、倉たま(倉田真由美)が師事するよーな女傑なのです。
あのヨーコ会長を妻に迎えるおとこならば、真の二枚目といってもよい証しでしょー。
何を隠そう、わたしはさの昔、ヨーコ会長の著書『ヨーコ会長の恋愛勝負』を入手して(写真付き)愛蔵しているほどなのだ。
いやー、大したものだ、あのオンナを口説くとは!
眞島の「眞」が旧字体なのも、正統派イケメンらしくて佳い。
どーか、おふたりさん、お仕合せに ♪
玉の海草
『週刊現代』入手 ♪、お知らせありがとう御座います。
「ナイーブすぎた悪役」とは、言い得て妙にして、こーした見識のある筆者はいまどき珍しいと感服つかまつりました。
ナイーブだからこそ、とりつく島も無いほどの非情を演じられるのでしょー。
あの、俳優座時代の繊細な表情はいいですね、こんな成田三樹夫だからこそ白洲正子が惚れる頼長卿や烏丸少将など歌人的人物がサマになるのです。
この透明感とゆーかナイーブさを、姪っ子の佐世さん(私の同級生)は受け継いでおられましたね。
最近、時代劇チャンネルでテレビドラマ版『柳生一族の陰謀』が放映されているそーです、梅津栄が出る(たぶん)第6話で、「おじゃる言葉」の応酬が観られるはずです。
成田三樹夫は口跡がよくて、お公家さんも似合いますが、この梅津栄との遣り取りが「おじゃる」の最高傑作だと思います。
高校時代のわたしは、腹筋が肉離れを起こすのではと心配したほど、笑い転げました。ネチネチと公卿のワル口は巧妙でまた長いのです、そんな風情がまことによく現されていました。
「工藤ちゃ〜ん」は品がなくて、メンズニシムラの軽々しい語りも好きではありません。ドスの利いた風流人の凄みが真骨頂だと思います。
この『週刊現代』には、松田優作の特集ページもありましたが……
奇しくも、こんな週刊誌上でも共演していて、さすが天下の松田優作が唯一尊敬する悪役だけのことはありますね。

母校の先輩として、清川八郎・石原莞爾・大川周明の三英傑の轍をふみ、庄内人らしく、あくまでも「脇役」で輝かざるを得なかった成田三樹夫先輩でしたが……
辛口先輩は、自信はおありなんだろーが、正面切って主流を引きずり下そうとする日陰者の恨みが、裏日本的なひがみが酷くて辟易します。
近年、酒田の本間家のご当主で、こんな悪人顔した辛酸を舐め尽くした体のおとこがいました。東京では「味のある顔」で苦労人として尊敬を集めていました。
湊町酒田は、気性が粗く、人相が悪いのを子どもの時分から感じていました。東京で知り合った名古屋商人は、「酒田は殿様商売だからダメ」と云っていました。
そんな土地柄だからこそ、そこでもまれた、繊細な御仁もあらわれるのです。
亀ヶ崎の阿部千万多(ちまた)は素的ですね、『回天の門』にも颯爽とあらわれて、官軍の手違いで短命に終わったは遺憾です。
あの頃、吉田松陰や桂小五郎とも付き合っていて、頭抜けた見識があり、「風采端正(ふうさい)・王侯の師表の風あり」と評された偉才で……
同じく上京していた八郎や本間郡兵衛とも付き合いがあったよーです。
庄内の志士たちは、よくモテたよーですな ♪
辛口先輩が、司馬遼太郎を批判して、「よく司馬を批判したものだな」と小松左京に褒められた逸話は好みですが……
司馬遼太郎『奇妙なり八郎』に対して、お門違いな批評をしていたのには呆れました。この人読解力がないのか、と。
司馬遼太郎が、清川八郎に注目していたことは龍馬以上だったと思います。
ただ「奇妙なり八郎」と分からないものだから長編に出来なかったのです。
司馬は、作中絶妙な冴えでもって「八郎の優しさ」を描写しています。
神道精武流(武田惣角の祖父も伝承者に名を連ねる)の達人・佐々木唯三郎との対比において、司馬は清川を高く買っています。筆致に親しみが感じられます。
それを、「無位無冠」の清川を評価していないと読むのだから、辛口先輩も困ったものです。
商人としての偉才・坂本龍馬や清川八郎を評価できるのは、農民の藤沢周平や侍の子孫たちでは敵わないのです。
司馬や辛口先輩などに頑張ってほしいのに、もー、酒田は底意地のひん曲がった人も多いです。在郷の者は何かにつけて蔑視された歴史があります。
旧酒田市街地の特権意識(三十六人衆はギルドです)は、排他的に過ぎるのです。
だから、これだけの歴史ある湊町なのに、てんでひとつにまとまらないのです。
まとめる仁徳のある人物が育たない風土です。
長い間、労働組合をつくらせないよーに、もって行ったお偉方がのさばっていたのも致命的でした。
夜、酒田市街地に呑みにゆくと、その地が吸ってきた哀しみの波動が、零能の私にもビンビン伝わって来ます。日和山の下あたりは真にまずい空気のときが間々あります。
酒田は町造り当初は浄土信仰で町割りされたのに、大火の跡に目立ったよーに稲荷信仰の拝金主義になってしまったのです。
大阪の飛田で、わたしは同質のものを感じ取りました。
まー、それだけに失われた花街の風情が魅力的だとも云えましょー。

酒田の優秀な人材は、のこらず都会に流出しています。
ほんとうに残念です、正直いって寂しいです。
中町には三年くらいは足を踏み入れていません、中空のドーナツ化現象です。わたしの好きな酒田は、世知辛い街場の花でしたが、いまや面影すらありません。
酒田に最初に進出したコンビニ「ファミリーマート」で、「いらっしゃいませ、こんにちわ ♪」と初めてお客さんを迎える言葉は発してから、やっと酒田にも「いらっしゃいませ」のおもてなし心が根付いて来ました。
昔のよーに、酒田の商人はツンケンしていません。
それがよいことか否か、何とも言えませんが、酒田よ、いまのまま亡びても、味のある田舎町には到底なれないぜ。
Unknown
懐かしい写真満載のブログ「あなたの知らない過去の酒田」に安神堂さんからのコメントがあり「安神堂の慎思録」を知りました。「ふるさと東北」にもあります生石は、惹かれる土地です。
『西遊草』を校注した小山松勝一郎氏には、高校時代一年間でしたが臨時に現国を習いました。印象深く記憶にあります。

自宅待機でヒマでしたので机周りを整理したら、丁度一年前2021.2.26の読売新聞の夕刊が出てきました。
『読者のニュース写真』 佳作「大天使現れる」
玉簾の滝の一部が、天使の姿の様に凍る珍しい様子を収めた。「観音様に似た氷は撮れることもあるが、背中に羽のある天使のような姿は初めて」と酒田市の杉山さんは声を弾ませた。
まさしく天使の羽です。

表紙の「コロナ後の日本を上手に生きる」にひかれて直近の週間現代を買いました。パラパラめくったら、なんと脇役家業第4回が、8ページに渡り成田三樹夫ですぞ。
酒東後輩のカラクチさんが「反骨精神を宿して」と一文を寄せ、紳士服の名門メンズニシムラの祝50周年の広告も載ってます。

そういえば玉簾の滝の近くにあった里の駅「白山」、飼われていた犬の名が「コロナ」だった。
玉の海草
南北朝時代の年号(1342年)の刻まれた鰐口がありますので、14世紀には「鳥海山」と呼ばれていたよーですが……
> …… それ以前はどのように呼ばれていたのか。
「飽海岳(あくみだけ)・北岳(きただけ)・北仙嶽(ほくせんだけ)」などの呼称が散見するが、
和歌の世界では「宿世山などいなむやの関をしも隔てて人にねをなかすらむ」などと詠まれ
「宿世山(すくせやま)」として著名であったようである。
現在に残る地名吹浦の「直世(すぐせ)」は明治9年の合併に際し仏教色を避けて佳字をあてたという。
[※ 続「庄内のかたち」秘話 あれこれ−より、土蔵サロン語り人・春山進さん]

__ どうも、「大物忌神」とのご神名も、大和朝廷から通達があって定めたもののよーです。
「鳥海山」は、『物部文書』にある「鳥見山」から来ていると思っていますが、古代朝鮮語由来の可能
性も捨て切れませんね。(茨木のり子さんは、庄内弁と古代朝鮮語との一致を示唆しておられますーブログ『安神堂の慎思録』の中のタグ「ふるさと東北」をご参照下さい、この御方は酒田の生んだ在野の偉才ですね、大川周明ばりの視野の広い卓見には脱帽ものです)
伊勢白山道によると神武天皇の東征の北限が鳥海山とのことで、出羽の国府が出来た西暦700年頃よりずっと以前から「越(こし)の国」経由で朝廷には割合と知られていたよーです。
新潟から秋田にかけて海沿いに、「古四王(=越王)神社」が多いそーです。
> 「出羽国」の国名は、越後の北方に突出した先端の国「出端(いでは)」が、由来と考えられる。
[※ 同上書より]
__ とゆーいきさつから、羽前・羽後の出羽国は、大和朝廷が恐れる「陸奥国」には含まれないのです。われらが庄内が「みちのく」ではないなんて、ちょっとショックでした。
東北の奥地に棲む田舎者ぶってはなりませんね ♪
してみれば、「北の若」も、古代東北の鳥見山の勇姿を偲ぶ佳き名かも知れません。

ー「七郎」は、食後のアイスの印象が強くて、味をよく覚えておりません。
庄内のラーメンも、三鷹の聖地に進出して、なにやら嬉しくもあります。しかし、気軽に食べられる中華そばであってほしいです。眉間にシワよせた拘り自慢の店主がつくる、一杯千円もする支那そばなんて食べたくはありませんもの。
Unknown
大相撲十両「北の若」の勝ち越しが嬉しい。面構えが良い。
先日、本町の眼鏡屋に寄ってその話をしたら親がお客さんでした。
当初考えた四股名が「鳥海山」だったと…
市に相談したら秋田県のイメージも有るからと取りやめに。
それでも気持ちが嬉しい。

吹浦、菅里橋わきの「七郎」を昨年知りましたが、私には「ちどり」と双璧です。
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