__ どこよりも自由な投稿空間である、伊勢白山道のコメント欄📝でも、3年ほど前から「不掲載」になることが多くなった。
ブログ主は、そうする理由を本記事のなかで、丁寧に説明してくれたが、なぜそうなるのか、なぜそうしなければならないのかがよく分からなかった。
「見ざる、聞かざる、言わざる」に徹して、よけいな言及は一切しないでくださいとの事だった。
個人を特定して、その危険思想を察知できるほどに精密になった 「AI による監視の眼👁️🗨️」のことなんだろう。
要するに、「ブログ存続のために」やむを得なく、そうせざるを得ないということであった。
今回、はからずも 「ダウンタウン事件」の、予想を超えて世間に波及してゆくのを眺めて、その裏表がハッキリと掴めたような気がした。
オタキング・サイコパスおじさん、岡田斗司夫のお蔭である。
「団塊の世代」 (75才位)
↓
「ポスト団塊ジュニア」 (50才位)
↓
「ミレニアム世代」 (25才位)
…… と三世代に渡って、受け継がれ、洗練化されてきた
「リベラル・デモクラシー」 であって、
現在の主役 「ミレニアム世代」 は、昭和・平成の「生き方」に、あからさまな 「NO」 を突きつけている。
それの本質が、岡田斗司夫が 「ホワイト化」 と称しているものである。
かれが、それに加えて 「ホワイト革命」 とまで云っていることは、注目しなければならない。
「革命」 とは、それ以前の体制では想像すらできなかった価値観が、革命以後は 「あたりまえの価値観(生き方)」 になるという意味である。
戦前 「お上」 が絶対だったのが、戦後 「権利」「民主主義」 を覚えて、自由にわがままに、すべてに逆らうようになったのと、
いま始まっている「ホワイト革命」 とは、歴史的な転換点だということ。
これは、グローバルで圧倒的な外圧ということもあるが……
成る程と頷けるのは、それ以前とそれ以後の人口分布であろう。
第二次世界大戦・前後の日本🇯🇵における、価値観の大転換、まさに 「革命的な変化」 に優に匹敵する大変化が令和のいま起ころうとしているのだから……
それは、ただしく 「ホワイト革命」 といってよいだろう。
【荒川和久氏が作成した「年齢別死亡者数の長期推移」図】
スクショしたので、目を👀凝らさないと見えないのだが、
グラフ📈は、
ヨコ軸に1899年〜2067年までの4年毎の数値が記されている。
タテ軸は、30万人ずつ6段階で最高180万人まで表示されている。
グラフ📊の左側は、「太平洋戦争」 の間隙で仕切られていて、右側の 「現在」 の矢印がついた、タテの白線は、
2019年(この動画がアップされた当時)を指している。
このグラフ📉で、現在の2024年あたりを見てみると、
死亡者数は、150万人台に到達している。
つまり、
年間死亡者150万人越え(太平洋戦争時なみ)が、あと50年間は続くという 【推計】
となっている。
そして死亡者の70%以上は 「高齢者」 である。
【多死時代】が、既に到来している。
[※ 加筆🖌️ (20240227) 実際の話、
厚労省の『人口動態統計』によると、国内死亡者数は2022年に初めて150万人を超えて、2023年に過去最多を記録している。
2022年死亡者数ー158万2033人
2023年死亡者数ー159万503人 (2024年2月27日発表)
葬儀場は、今現在1週間待ちが普通のようです。新たな葬儀場の建設を予定している自治体が多いとの事。]
その結果、年齢別人口分布は、徐々に若年層が厚くなってゆくわけだ。
それゃあ、「ホワイト化」 が進むであろう。
なんということだろう。
__ 岡田斗司夫さんご自身がまとめられた、
「ホワイト革命」 の動画をリンクする。
【概要欄から、詳細を引用しよう。
岡田斗司夫が今後訪れると予言するホワイト化社会。 それがどのようなものなのかを解説した本放送と2ndチャンネル含めた3本をまとめました。 コ○ナ、キャンセルカルチャー、ミュートと縦横無尽に解説しているため やや難解ですが十分お楽しみいただけると思います。
~~~~~~お品書き~~~~~~
0:00 コ○ナ戦争とホワイト革命 イントロ
2:30 日本は本当に清潔になった
5:46 コンビニのおにぎり
7:14 キーワード1 見た目は正しい
13:48 キーワード2 汚いものは正しくない
20:39 コ○ナは第三次世界大戦
29:20 メンタルのホワイト化
33:57 汚いものに本質がある
40:39 キーワード3 不潔なものは体に入れないようにする
43:06 (2ndチャンネル) ホワイト化みんなの証言
43:18 ミュートについて
43:50 ホワイト革命の世代差
44:25 上司のカラオケにモヤッとする
44:49 K-popアイドル
45:52 クジラの郷土料理
46:39 かつての街の中華屋の汚さ
47:03 ホワイト化社会が不安
49:10 コ○ナは第三次世界大戦part2
51:00 (本放送)80年代のCMよりわかること
53:02 進むミュート化
54:07 僕はホワイト化に前向き
56:14 錯綜する情報による死者
1:00:45 中年でさえ許されない
1:02:02 暴言もホワイト化対象 】
__ もはや、「ホワイト化」 の浸透は、わたしの日常生活にも及んでいるんだな。
今クールのドラマで、大好きで観ているのが
・『不適切にもほどがある!』
・『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』
のふたつは、もろに 「ホワイト化」 推進ドラマじゃありませんか。「❗️」がどちらにも付いているのが可笑しい。
【アップデート】 がテーマなんだよ、「社会のお荷物」 になりたくない主人公のお話みたいだね。
アップデートするのは、若者に合わせるためや追随するためではなかったんですね。
生き残るためにする、アップデートもあるんですね。
そう素直に思えたのは、いまは、現実が見えているのかも知れないなと思いました。
こう生きたいではなくて、生き延びるために、「生きられる」 選択をしようとしているのは、生命体としては正しい生き方ではないでしょうか。
とはいえ、ホワイト化というものは、私には抵抗のあるものではない。
平成の御代となったとき、昭和のおどろおどろしい靄がかかっていた 「霊的なバリアー」 がクリアになったのを肌で感じて、心底驚いた覚えがある。
それまでは、神社⛩️仏閣でも、なにかしら「呪い」とか「闇」 が建物や空間に染み付いていたものだ。漂う空気に澱みというか、奥行きのある落とし穴のような不気味さがあった。
平成を迎えたら(90年代になってから)、その類いの「うら悲しい」 ものや 「うらみの磁気」 が希薄になったような気がした。
それは、一面では情緒が薄まったような寂しさを内包していたのだが、昭和の情熱が薄められたようで少しイヤだったものだ。
しかし、『カラマーゾフの兄弟』 のような毒々しいまでの遺伝🧬的な粘着質の「怨念(生き霊)」 が、伊勢白山道の供養によって、薄められていたのが幸いしたのかも知れない。
お盆の時期に、きまって襲われていた「死にたくなるような意気消沈」 も、二系統のご先祖の墓を合祀してから、あらわれなくなった。
そんな、希薄な軽やかさ、ホワイト化は、昔求めて得られなかったものでもあった。
なんら問題はない。
ただ、本音のドス黒い塊はどうしたものかな?
わたしにも心奥にある「繊細さ」 を見て見ぬふりをして生きてきたツケも払わねばならんだろうな。
ホワイト化は、わたしの志向と一致する処もすくなくない、かならずしも逆らうものではないので、けっこう新しい世界🌍が開けるかも知れない。
でも、表面的な付き合いに終始しそうな気もするな。
ホワイト化は、いわば泥のついていない野菜🥦だからなあ。
本質はくらませないものだから、有機物(つまり臭い存在)としてどうなんだか、腐ったような臭さを嗅いで安心するような処もあるからなあ〜
一番キライな 「使い分け」 に追い込まれるかも知れんな。
まー、直面することが大事ですわ。
_________玉の海草
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