『 自然は全機する 〜玉の海風〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「生きてるだけが仕合せだ」🍎

いま, 日本語を壊している現行犯〜 伊勢白山道の 「リーマン語」

2025-02-19 18:09:08 | 気に懸かる心配事

__ このブログでも頻出する、

伊勢白山道リーマンさんは私の大恩人である。10代より30年間も精神世界に彷徨して、試行錯誤を繰り返してきた私に、オカルティストとしての生くべき道筋を照らしてくださった御方である。

満腔の感謝を捧げる、いまもご存命の男性である。

彼のブログ『伊勢-白山 道』によれば、

彼の年齢は、発言から推定すると、昭和38年生まれのアラ還暦の新人類世代である。(私も同世代で、たぶん先輩である)

 

現在、ブログ『伊勢-白山 道』は、毎日5〜10万人くらいは訪れており、gooブログランキングや人気ブログランキング、FC2スピリチュアルランキングはずっと継続して一位を維持しつづけている。

まー、少なからぬ影響を日本に与えているのである。

 

だからこそ、

彼の記事によって、間違った日本語が流布している現状を大いに危惧している。

リーマンさんご自身には、私の投稿を通して50回じゃきかないな、100回以上にわたって……

「この日本語はおかしいですよ」と、識者のエビデンス(データ)を添えてクレームを入れている。

即座に直したものもあれば、そーでないものもある。

 

思い出深いのは

リーマンさんが「生きれる」と書いた時だ。

勿論、正しい言葉は「生きられる」である。

新人類の初老近い男(2008年当時)が、こともあろうに、

人生の「生きる」という厳粛な言葉について、

「生きれる」などと、最近の若僧のつかっている言葉を書いたのだ。

 

わたしは冷静に反駁しました。

言霊を大切にする神道家として

「生きれる=いきれる=息切れる」とも耳に響く言葉(音霊)を不用意に使うのかと。

その時は、即座に書き改めて「生きられる」と表記して、それ以降「生きられる」と書くようになりました。

 

そーした経緯もあり、リーマンさんに語学力が欠けていることがはっきりと判りました。

信じられますか? 聖者のレベルにあると目されている人物がまともな文章を書けないのですよ。

近代にあらわれた聖者たち、

グルジェフにしても、学者でもあるルドルフ・シュタイナーや一流作家でもあるアレイスター・クロウリーは勿論のこと、

聖ラマナ・マハリシでも、煙草屋のオヤジだった無学のニサルガダッタ・マハラジにしても、

いやしくも真理の言葉を伝える者は皆、

文章に、おかしな自己主張するようなクセは見られません。

 

ところが、伊勢白山道リーマンさんは違うのです。

変なクセがあって、読みにくい悪文を書きます。

釈尊や聖ラマナを対等に評論し、自分の前世はゾロアスター、老子や阿難尊者だと告白しているリーマンさんが、

なんでこんなお粗末な文章を書くのか、

またなんでこんな文章しか書けないのか、ずっと不思議に思っていました。

たとえば、菩薩には「後得智」(悟った後に身につける智)

とよばれるものがあります。

菩薩位にあるものは、なんでも知っている菩薩として生まれつくのではなく、菩薩としての能力を備えて自分が生まれついた後に、

コノ世のしきたりや知識を一般人と同じように努力して身につけるというものです。

 

リーマンさんにあてはめれば、最初から何でも知っている聖なる者として生まれるのではなく、

生まれてから一般人と同じように学校に通い勉強しながら、

コノ世の知恵(後得智)を身につけるということになります。

つまり、リーマンさんがこれだけおかしな日本語を書くということは、

学生時代に「国語」を勉強しなかったということです。

 

たしかに、彼は霊視で一瞥(べつ)するだけで本の内容を観ることができるから、読書は滅多にしないと言っていました。

この、「読書しない」ということは、国語の学習において致命的な過ちなのです。

 

「読書百遍、意自ずから通ず」という諺も

ありますし、日本語のリズムに身体ごと親しむ意味はあるのかも知れません。

読書しないことが、リーマンさんのおかしな日本語の根本原因であるようです。

 

 

ここからは、実例を添えて、具体的に指摘して行きましょう。

リーマンさんの文章は、いろいろな面で拙い文章ではありますが、

特に二つの点が誤っているのです。

❶ 助詞の使い方がおかしい。

❷ 主語・述語・目的語といった文型上の問題であるが、

目的語を文頭におく傾向がつよく、文型の語順がデタラメである。

 

 

❶助詞の悪例から、

 

リーマンさん> そして、気に鳴りますことは、最近に富士山の上空で、赤龍が撮影されています。

 

リーマンさん> 最近に多いのは、結婚年数が浅い段階でローンを組むと、

もし離婚になった場合が揉めます。

 

リーマンさん> 東京大学卒の才女らしい意見思います

[※ 後述するが、リーマンさんのは「だ抜き言葉」とも違うのだ。

「…… だと思います」➡︎「…… に思います」「…… を思います」

おそらく、前例がないと思う]

 

リーマンさん> このような報道が出ることが、「予告」だと謙虚に受け止めるべきに感じます

 

リーマンさん> 改めて大阪は、恵比寿(エビス)という福の女神に愛されている土地に感じます

 

リーマンさん> よく洗浄したお米を、出来るだけ長時間も水に浸けてから、新しいお水で炊く。

 

リーマンさん> 御米が不足している状況ならば、古米を新米だと偽装して販売している可能性も、注意が必要に思います

 

リーマンさん> つまり、富士山の周辺が揺れだせば、関東での地震に注意を思いますが、

 

リーマンさん> これを停電状態でも出来ますように、管理運用の確認と、避難訓練が大切に思います

 

リーマンさん> 日本は、嫌なことには目を閉じる傾向を思います

 

リーマンさん> この半額の誘導期間以外でも、新幹線に乗らなければ生けない人は多数もおられます。

 

リーマンさん> 今日は心配なニュースを複数も見ました。

 

 

拙稿>

大祓詞が大事、

言霊が大事、

話し言葉も書き言葉も大事。

 

日本を護ることは、日本語を守ること。

で、「だ抜き言葉」はどうなの?

・「大切であると思います」 ➡︎⭕️

・「大切だと思います」 ➡︎⭕️

・「大切と思います」 ➡︎❌

 

  「大切と思います」を「だ抜き言葉」と言います。

「ら抜き言葉」と同様に、文法規範から逸脱した言い方です。

話し言葉では許容されても、書き言葉では避けたほうが良いでしょう。

 

(Yahoo!知恵袋)> 「に」が表すのは、時計やカレンダーで特定できる時間であり、今との関連で決まる時間は表せないからです。

例えば、 ⭕️420日に行きます」とは言えますが、

❌「明日に行きます」

❌「昨日に行きました」とは言えません。

「最近」も「今」と関連して決まる時間なので使えないのです。 その他に、今以外の『ある時』で決まる時間一定の幅のある時間にも使えます。

⭕️「昭和の日の翌日に行く」

⭕️「来年の春に行く」

❌「最近に」

❌「最近には」

⭕️「最近になって」

 

①「抜き」言葉(「ている」の「」を抜いた言葉)

ex. 「 書いてます」 ➡︎⭕️書いてます

②「入れ」言葉(5段活用動詞の使役形に「」を入れた言葉)

ex.  「書かせていただきます」 ➡︎⭕️書かせていただきます。

③「足す」言葉(5段活用の可能動詞に「」を足した言葉

ex.  「書ける」 ➡︎⭕️書ける

④「入れ」言葉(無用な「」を入れる言い回し)

ex.  民主党の代表を辞めることを決意《》致しました。➡︎⭕️決意致しました

※ 引用文献 ▼

「だ抜きことば」? | ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 | NHK放送文化研究

 

 

 

 

 

❷の、文型の語順がデタラメ

 

リーマンさん> 特に、災害が発生した際に、時間経過に応じてどのような行動をとるべきかを事前に考えて決めておく、防災行動計画を「タイムライン」は本来は指すとされていたことが意外でした。

…… 「…… に考えて決めておく、「タイムライン」とは本来はそういう防災行動計画を指していたことが意外でした」でしょ。

 

リーマンさん> 企業側には、動画CMのほうがメリットが多い時代に、今年からは切り替る時代にも感じます。

…… 「今年からはメリットが多い時代に切り替わる」でしょ。

 

リーマンさん> 「何でも自由自在に彼を出来る」

…… 「彼を何でも自由自在に出来る」でしょ。

 

リーマンさん> 御米を炊けば、強い加熱が当然にされます。

…… 「御米を炊けば、当然強く加熱されます」でしょ。

 

リーマンさん> ただ、そういう人には、不干渉で離れることに、守護霊が強い人は自然となります。

…… 「そういう守護霊が強い人は自然と、不干渉でいることによって離れることになります」でしょ。

 

リーマンさん>事前に知ることで避けることが、縁ある人は可能とのことです。

…… 「縁ある人は、事前に知ることで避けることが可能だとのことです」でしょ。

 

 

 

 

__ リーマンさんが使っているだけでも迷惑な「リーマン語」なのだが、ブログ『伊勢-白山 道』は開設以来18年も経っているものだから、追い追い(物を知らない)読者もリーマンさんの口調(つまり文体)を真似はじめる。

 

「おだやかなお正月を迎えられて、先祖に感謝です。」

 

「この間は返答してくださって、ありがとう御座位ます。」

 

「八幡宮のお札は最近にいただきました。」

 

久しぶりに◯のある肺が違和感です。」

 

まー、こーゆー変な日本語のオンパレードとなるわけです。

わたしは、リーマンさんと同時代を生きている先輩として、

リーマンさんによる日本語の乱れを指摘して、強く改善を求める責任があるように感じました。

年下の者は面と向かって言えないからです。

ましてや、霊能相談で観てもらってアドバイスをもらっている御恩がありますし、一般人は力のあるものに靡くものです。(私は個人的な「霊能身の上相談」にはのってもらっていない)

 

いちおう、ご自分で言っている限りでは大学(医学系か?)を出ているらしい。大卒ならレポートやら卒論やらで、おそろしい分量の文章を書かなければならなかったはずだ。

馬鹿でも書いているうちに、改善され上手くなってゆくものである。それが、いまだにこの低レベルの作文を書いているようじゃあ、ほんとうは日本人じゃないんじゃないかという疑惑さえも芽生えてくる。

年少期を外国で過ごしてから、日本に移住した在日ならば充分にあり得る。

そーではないことを切に願っているが、そー思わせるような日本語の言語感覚であるのは確かである。

大変失礼なことを申しました。日本という地に住まい、日本の風土に帰順して、立派な日本人となっておられる在日外国人の方々は沢山おられます。在日という事実が責められるべきことではないのです。

もし、ちゃんとした日本語が使えないのなら、日々修得に励んでもらいたいだけです。日本語脳🧠とは日本語を正しく使うことで養成されるからです

リーマンさんの場合は、御自ら「言霊」に厳しい御仁なので、ことさら腑に落ちないのです。

言霊の幸う国で、この体たらくはないんじゃないか。

リーマンさんには猛省をうながしているが、

あれでなかなかアカデミックな事柄には頑固に抵抗するクセがある。

神使としての誇り(驕り?)か、神の特権なのか?

 

そもそも読書しないから、アカデミックな見解を知らないのだ。(仏教を語るときにも、「大蔵経によれば」とか、道元を「曹洞宗の開祖」といったりして、仏教史をまるで知らないのだ)

でもそれ、世間的には通用しませんよ。

世間の定説といわれるものは残らず知っておく必要があるのだ。(反対するには、詳しく知っておくことが不可欠である、リーマンさんは記事にする前にもっと下準備が必要である、勉強不足だ)

 

わたしは、「霊視はエビデンスにならない」とつねづね心に言い聞かせている。

狂信者は、社会のアウトサイダーなのだ。

良き社会人でもあらねばならない。

伊勢白山道は、そのへんのバランスが取れていないように思った。

だって、自殺志願者に、「自殺すると、生前の10倍の苦しみが待っている」と言っても、もしその霊視を信じられなければ無意味なのだ。

 

まことに残念なことだが、

霊能者の「霊視」と、議論における「価値観のおしつけ」とは、コノ世の社会では同じ意味である。

霊視を信じない人に向かって、自分の霊視したことが真実だと幾ら訴えたところで、馬の耳に念仏である。

 

リーマンさんが、ご自身の神能を疑わないのは頷けるが、リーマンさんを信じない庶民に押しつけることは出来ないのだ。

釈尊や孔子が、奇異(ミラクル)をつかわずに、あるいは論ぜずに、生き方を説いたことは傾聴に値する。

かれらは、自分しか観えないものについては、その霊能を根拠にして、ものごとの摂理を語ったりしなかった。

いまのリーマンさんは、これとは違う。

リーマンさんのエビデンスを示す者が誰かいるわけでもない。

いくら未曾有の神能をおもちでも、疑う者にはそれは権威にはならない。つまり、従えないのだ。

まー、もっとおおらかに、全世界を包容する勢いで説いてもらいたい。

ことば使いにこだわったり、頑なにあらためない姿勢から感じることは、リーマンさんってそれほど賢くないんじゃないかという正直な疑問である。

(だって、リーマンさんの写真集を拝見する限り、この人は無我で撮っているのが伝わってくるのに、書く文章の方はなんでこんなにも我が強く入っているの?と真から不思議に思うもの)

全部全方位みえるのなら、なんでそんなに余裕がないのかな?(量子力学が発動するためには、リーマンさん個人への帰依が絶対必要なものだからか?)

すこしでも自分を否定する者は、遠ざけなければならないものなのか?(量子力学のベクトルを、一つの方向に集注させるためかな?)

なんで、なんでも出来そうなものなのに、

日本語の文章が下手で、和歌も詠めないのかな?

そもそもその学力のなさはどこから来るのだろうか?

(ブログ開設初期には、物凄い博学の手練れが押し寄せていたものだが、最近は高学歴の輩は来ていないようだ。文章の格がレベルダウンしている。おそらく、真のインテリはリーマンさんの文章は読まないのではないかと思う。文章でもって、知性の質は推し量れる。論理性に乏しいシャーマンみたいな文章では、社会的な信用は得られないよ。)

いつか記事でキチンと説明してもらいたいものだな。

リーマンさんがずっと先を行っているのなら、いまの世に合わせて知性の質を下げられるはずである。

それなのに、いまの世界の日本語すら修得できないのは、何故なのだ?

これは、笑い事では済まされない。

 

__ 最後に、リーマンさんや私の世代(新人類)のほぼ10歳下の「団塊ジュニア世代」の犯した日本語破壊行為を振り返りましょうか。

 

❌「注文の方、よろしかったでしょうか?」
(過去形で言っているのが✖️)
 ➡︎「ご注文は、これでよろしいでしょうか?」


❌「どちらにいたしますか?」
(お客様に「いたす」という謙譲語を使っているのが✖️)
 ➡︎「どちらになさいますか?」


❌「お待ちいただく形になります」

(形のない「現在の状況」を形と言い表しているのが✖️)
 ➡︎ ex. 「ただ今満席でございます。申し訳ございませんが、30分ほどお待ちいただく事になりますが、よろしいでしょうか?」

 

…… こーした慇懃無礼で、距離をとった表現(距離が近づくと怖いそうだ)が我が物顔で闊歩していた時代は、

飲食店チェーンに勤める「団塊ジュニア」が30代くらいで、現場のリーダーをしていた頃にあたるんだよね。で、一歩踏み込んで考えると、そーした馬鹿げたお客様対応をするためのマニュアルが作られたはずだよね。

そーした基本マニュアルを認定するのは、当時40代の課長世代だった新人類世代ではなかったのだろうか?

団塊ジュニアと組んで、GOサインを出したのが新人類世代でないことを祈る。

 

リーマンさんの、言葉に対する無頓着さを見ていると…… 

団塊ジュニアを助長したのも、同世代の無責任な者どもではなかったかと、疑ってしまう。

「注文の方」と「方」と使って曖昧表現にして断定をこわがった「団塊ジュニア」はしかし、対面のお客さん接待は実際にしているわけだ。

が、その子供世代になると、もはや電話で会話するのですら怖くて、メールの「。(句点)」も怖いと来ている。

退職代行に依頼して、面と向かって「辞職」することも避けるようになる。

こわいのは、ほんとうに他人の人間なんだよね。

だけど、怖いから自分の安全のために近づいてゆくもんだと思うんだけど。

殴り合いのケンカもやったことのない、無機質なつきあいしかできない輩は、戦場を生き延びることはできない。

人間は、いつ牙むくか分からないものだよ。

「自分の身は自分で守れ」が身についているのは、『宇宙戦艦ヤマト』世代の新人類あたりまでかも知れないね。ヤマトは、地球のみんなの為(他者のため)に戦うのよ。

でもその下の団塊ジュニアの『機動戦士ガンダム』は、自分を守るためにさえ戦わない。戦いたくない世代なので、あんな持って回った接待コトバを考えついたんだと思う。

すべては恐れから、来ているね。同情の余地はあるかも知れん。

 

その点、リーマンさんの言葉破壊には、人間的な情状酌量の余地はないようだね。

読書しない霊能者が、書物の文章の歴史に敬意をはらわずに、

自分勝手に、じぶんに都合よく改変を加えたというところだろうか。

「最近に」の「に」なんかは、言霊の観点から加えられているのか、一度問い正したくもなるね。

でも、リーマンさんの文章を音読してみたら、「足らわず(不足、欠損)」なのが即座にわかる。

音読に堪え得ない文章は、未だ達していないのだ。

どうせなら、英語で書けばいいじゃんね。誰か日本語に翻訳して記事にしたらいいんじゃない。

散文は詩情に欠ける分、構造的に分かりやすく組み立てられていなければいけません。リーマンさんは、韻文も散文も両方苦手なんですね。

 

__ 最後に、何冊も出版しているリーマンさんには、当然出版社の担当編集者がついているはずである。

製本📚するまえに、校正をおこなうはずだから、校正者にも責任がある。

公的に出版されている書籍📖は、著者・筆者が文責を負うのは当然だが、

編集者や校正者にも、それを見逃した責任があるはずだ。

現在リーマンさんの書籍を出版している(株)観世音は、ほとんどリーマンさんにおんぶに抱っこだから、何も言えないんじゃないのか。

メルマガの収益でも大お世話になっているし、おそらく頭が上がらないのだと察する。

でも、後世に瑕瑾をのこすから、ちゃんとした日本語の文章に仕上げるべきだと思うな。

いくら内容が前代未聞で深淵を覗いた素晴しいものでも、いまのままでは教科書には断じて載せられない。

学校🏫の入試問題にも、採用されはしない。

長年の読者としては、その点が非常に悔しいし、まことに遺憾である。

さらっと平易で、たんたんと真に迫る文章を書けんものかな。

それが出来たら、リーマンさんの文章を小さいうちから素読させる学校ができても、私はおかしくないと信じている。

        _________玉の海風

 


“ さよならサンキュー ” (アンミカ)〜 感謝とは 「 お別れの言葉 」

2024-12-31 23:46:46 | 小覚

__ むかし好きだった女の子から、人生初のXmasカード🎄をもらって舞い上がってしまって…… hahaha

なぜなら、何十年ぶりにおたよりを出したからなのです。

 

年取ってからは、知人に連絡は取らない方がよいとは聞いているのだが、どーしても過去に大お世話になった恩人には一言感謝の気持ちを伝えたかったので、

最後のおたよりを出したのです。

20人くらいいたかな。おたよりを出す住所ですら分からない恩人も10人くらいいました。勿論、亡くなられた恩人にはもう出せないのが哀しいです。

わたしの人生を変えた、邂逅ともよべる、特別な出逢いであっただけに、ネットでは大っぴらに発言できない裏情報(=真実)につながる機縁となったらよいなという気持ちもありました。

 

こんな誰も見向きもしないような、ちっぽけなブログでも検閲の👁️‍🗨️は光っています。

直接書くわけにはいきませんから、情報の出所を暗に示すしかできません。

そのへんの機微を、汲みとっていただきたいと思います。そこへ至るルートはリンク🔗されてありますよ。

 【 MAZE “IWanna Thank You ” 、R.I.P. フランキー・ビヴァリー(真ん中の白いオジサン、2024年77歳で逝去。Wanna=want to は「感謝したい」よりも「いままで、きみへの感謝が欠けていた(want の原義=欠乏、不足)」を意味するのだろう。】

 

__ さて、それでは「感謝と別れが同期する」という消息を述べてゆきましょう。

 

🔴 2024-09-14

     『感謝ではじめ……』

小学生になる息子が、去年のクラスが最高すぎて、ことし新たに一緒になったクラスに全然なじめないという母親のお悩みについて……

精神科医・名越康文が云うには、

すべてのものは過ぎゆく。過ぎゆくから感謝できる。

 

「感謝」することは「さよなら」といつも同時

 

「この稀な出会い、稀な時間をありがとう」と、「感謝する」ってことは同時に「さよなら」って言っているんですよ。

 

聖なる瞬間、それはその人が素直になれる瞬間ですよね。

[※ YouTubeの『名越康文TV』より]

 

…… と応えていました。

つまり感謝でしめくくれば、その思い出に執着することはなくなると。

いつまでもその思い出が心に巣食うことはなくなるのです。

新しさ(未知)をおそれず、前向きになることが出来ると言うのです。

 

2:40 「ストレス」という言葉を命名したハンス・セリエ博士🎓は、「西洋人には希薄だけど、東洋人独特の “ 感謝の気持ち ” をもつことが心を安寧にし、ストレスをとるのに一番大切」と、「御恩」「おかげさま」文化を推奨して自らも実践していた】

 

「さよならサンキュー」とは、大阪のアンミカさんの言葉であるが(K国系はあまり好きではないのだが)、見事に本質を撞いた一言であったのだ。

 

近代哲学の祖といわれるイマヌエル・カントにも「少年カントの悟り」とも云うべき「さよならサンキュー」的な逸話がある。

 

哲人カントは、幼い頃より身体が虚弱な子でした

背中に瘤があり骨が変形した「くる病」気味でおまけに喘息持ち、脈拍数はつねに120〜130もあり「苦しい、息ができない」と、その塗炭の苦しみを周りに撒き散らし、ご両親の心を傷めつけることを繰り返しました

或る時、彼を診断した医師が、非情に告げます

あなたの苦しみを除く手は(今の処)ないこと、

苦しみを露わして助けを求めても誰人も助けてあげられないこと、

そして「苦しい、辛い」と訴えたからといって、苦しみは少しも軽減されぬこと

むしろそう言えば言うほど、両親は心配し、自分も辛くなるだけ…… 

それよりも、心が健康であることを喜びなさいと

諄々と真摯に語りかける医師の眼に、その『真実』を直観した彼は……

いつも「なんで自分だけがこんな身体に生まれたんだ」と親のせいにして顧みなかった親不孝な自分を見つめたのです

それ以後― 決して苦しむ態を人目に、特に家族に見せないよーになりました

その医師から余命2年と宣告されたカントは、「さよならサンキュー」と子どもながらに過去の不満だらけの自分と訣別して、どうせ考えるならば善い方へ善い方へと、何事も神の与えた試練だと心を明るい方に向け始めると、一年後にあのひどかった喘息は見事に治っていたそうです

虚弱児に生まれたカントだったが、子どもながらに自分で定めた「自律(自分律)」によって、みずからを養生して、80歳の天寿を授かった

 

──感謝ではじめ、感謝でしめくくる。

 

 

🔴 2024-04-27

    『大谷選手のもたらすもの』

今朝も、オータニさんの7号ホーマーで爽やかな朝☀️を迎えました。ありがとう、おたにさん♪

 

別に大谷がホームラン打ったって、わたしの手柄ではないし浮かれてんなよ、と自戒するのが昨日までの私でした。

オリンピックの金メダルだって、自分が取ったわけでもないのに、日本の誇りだとか何とか、所詮はヒト事でしょと冷めた目をしていたものです。

 

でも、これって真相はストレスと関係するんですな。

名越康文さん(アドラー心理学)が言っていました。

人生において純粋な喜びなんてない。(近傍にはね)

 

…… 近傍ってのは、自分の身の回りにはないということ。少し遠くにはあるんですな。

たとえば、阪神が優勝したとか、いう時。

遠いところにある、ある種の幻想の中でならば、のんきに全力で楽しむことができる。

つまり、人間の場合、そうした幻想の中にしか本当の喜びはないといってもいいそうです。

なぜなら、動物はちがいますが、人間は良いことも悪いことも、どちらもストレスになるからです。

 

1970年代にアメリカ🇺🇸で行われたストレス調査で、「人間がストレスを感じる20項目」が公表されたのですが……

親しい人の死別や会社が潰れるという項目のほかに、結婚や子どもが生まれるといった慶事もまた上位に入っていたそうです。

マリッジブルーなんか該当するのかどうか、いずれにしても喜び事の折りには、くれぐれも注意しなければならないそうです。大きすぎる喜びはピンチなのです。

 

こうしてみると、誰かの推しだとか、エンターテイメントやスポーツ等の祭典は、人間にとって自分の身近な事ではない為に、【ノーストレスで純粋な喜び事】なんですね。

ヒト事ゆえに、全力で喜べる貴重な機会なんですね。

人間は、遠い幻想でしか思いっきり喜べないのですね。ひとって儚いものです。

【始まって、3分30秒で「1970年代にアメリカ🇺🇸で行われたストレス調査」、7分00秒で「人生において純粋な喜びなんてない」についての話】

 

だから、大谷ハラスメントなどではなく、ちゃんとした需要が視聴率となって表れているのでしょう。

オータニさんのホームランは、景気がいいもの♪

もう限界で、日々のストレスに耐えられない人びとを大いに喜ばせて鼓舞しているのでしょうな。

さすが、オータニさんは神さま(氏神の転生者だとか)ですな。拝礼。

 

 

…… 二つ目のYouTubeで、

「体癖」という整体の専門用語が出てきますが、

名越康文は、心理学者でありながら「体癖」の正統伝承者でもあるのです。

長年に渡り、同じところで整体師をつとめ、地元の人々を何世代も総合的に看てきた野口晴哉(はるちか)という一箇の天才が、東洋医学のひとつの偉大な体系を打ち立てた。

それが「体癖」という、腰椎の骨と臓器が対応する影響という生理的な条件から、その人の本質的な人物類型をみちびきだした唯一無二の「身心論」なのです。

「体癖」というから、身体の事を中心に分類されているのかと思いきや……  性格や思考や行動パターンまで、腰椎と特定の臓器🫀の影響を精確に被って、まるで「性格分類」のようにピンポイントでその「体癖」の特徴があらわれるのですから唖然とします。

 

 

簡単に例をあげれば、

偉大な文学作品や映画、舞台におけるキャラクターの「体癖」はハッキリと判るそうです。

例えば、スタンダール『赤と黒』の登場人物レナール夫人は、明らかに10種体癖の特徴をもっているそうです。野口晴哉は、インド🇮🇳のシタールの名手ラヴィ・シャンカール(下の写真)が演奏するのを見て、自分とそっくりで体癖も同じであるのに驚いたといいます。(ともに9種体癖)

名越康文さんもまた、この9種体癖で、おそろしく集注力に富み、物事に細かく緻密で、考えるより直観が勝り、早食いで計算が不得手、百年も恨みを忘れず、グレー色を好み、昔の日本人に多かった下半身がしっかりして脚力がつよい達人型、小柄だが野生のカンに優れたいわゆる天才型の人物類型だそうである。

腰椎と関連する臓器🫀の働きを整体的に看ることによって、ここまで内面が解るなんて信じられません。勿論、その身体の生きる方向に沿って、起こりやすい身体の異常や病気も診断できる。人生に臨む生き方までも、体癖によって判明する。その体癖に共通する口癖があるものだと云う。

野口晴哉は、ほんとうに「何でもできる人」で、ご自分は習ってもいないのに武道家に指導したり、各界のいろんな分野に弟子のいた大人物であった。勿論、驚くべき治癒実績も並行して遺しているのである。

つまり作家は、非情なる観察眼によりその人物の本質を見抜き、映画監督やディレクターはそのキャラの「体癖」にあわせて俳優をえらぶことが出来るということです。

別の角度からいえば、

いい役者とは、その脚本にあらわれた「体癖」を、みごとに体現化する能力に長けているひとのことを云うのです。

体癖は、おおきく12種に分かれています。

❶❷[上下型]一種/二種《腰椎1番》

❸❹[左右型]三種/四種《腰椎2番》

❺❻[前後型]五種/六種《腰椎5番》

❼❽[捻れ型]七種/八種《腰椎3番》

❾➓[開閉型]九種/十種《腰椎4番》

(11)(12)[過敏反応]十一種/[反応遅鈍]十二種

 

これは、日本に「整体」という言葉を初めて導入した、市井の天才・野口晴哉が、何十年もかけて、ひとつずつ解明して加えていった結果、12種になったわけです。

たとえば、一種ニ種とは、腰椎一番の正反応・負反応といった対になる身体反応を描写したものです。

 

名越康文さんは、この野口整体の創始者・野口晴哉の息子さん、野口裕之氏から直接指導を受けている、稀有な心理学者(なおかつ精神科医)でもあるのです。

名越さんのYouTubeチャンネルで、

セガの裏社会アクションアドベンチャーゲーム『龍がごとく』のキャラを詳しく体癖分析しているものが幾つかありますのでご参照ください。▼

 

名越康文TV シークレットトークyoutube分室

精神科医・名越康文の「ここだけ」の話! 「名越康文TVシークレットトーク」https://yakan-hiko.com/meeting/nakoshitv/心理学、仏教、哲学、文化……枠組みを超えて人の生...

YouTube

 

「精神科医・名越康文のゲーム実況」のコーナーにありますよ♪

 

西洋哲学の巨峰イマヌエル・カントは、

心理学は科学になれないと言ったそうです。

(カントは科学信奉者ですが、当時の抜群の霊能者スウェーデンボルグのことは意外にも認めているような、柔かい頭脳🧠の持ち主でした。ヨーロッパの大賢カントのこの一言は、現代の心理学者たちも肝に銘じている程、いまだに大きな影響力をもっています)

カントはニュートン的科学を優れた科学のモデルだと考えており,心や魂について扱う学問は科学たりえないと考えていたのです。数学が適用できること,実験ができること,これが科学の要件でした。

 

…… しかし、この野口整体の「体癖」を組み入れた心理学(名越さんはアドラー心理学が専門)ならば、厳しいカントのおメガネにも適うのではありますまいか。

人間とは、意外と身体の捻れとか癖、内臓の強弱などに支配されているものだとは確かに言えるのです。

そのへんの人物描写が、ハッキリ際立っている作品は、名作として永く読み継がれるものだと思います。

 

  【 MAZE  “ Silky Soul ”  、「好き、好き♫、ソウル・シンガー」ってね】

 

身体と心は、人間の生存において両輪なんですよ。

こころを整えるために、身体を操るのがむしろ「正攻法」だと思います。

無形の心は扱いづらいからです。

刻印された思い出は、実に厄介なものです。

 

 

この曲、日本語タイトルは「夢魔へ」となっているんです。

ところが原題は、

Let's Just Say Goodbye - David Sanborn (Voyeur, 1981)

「ただ、さようならを言いましょう」って、「さよならだけが人生さ」とよく似ています。

「さよならサンキュー」もそーだが、「Just Say Goodbye」も、さようならを言っている対象は、思い出(幻影、夢魔?)なんだろうと思います。

別れ(サヨナラ)は人(他者)に向かって告げるものではなく、自分の思い出に言うのかも知れない。

思い出の造形(造影)は、自分そのものだから、つまるところ自分に言っているのだ。

なんとまあ、自分にさよならを告げるのが人生だったのか。

まー、自我に気づいて、真我に目覚めるのと同じ消息なのかもなとは思う。

さようなら(左様なら)は、ひとを奮い立たせるものなのだよ。

音楽も、別れ(分かれ)の曲に佳曲が多い。

MISS, LOST, LAST, GOODBYE 等のワードが含まれる曲は、豊かな風情を湛えている。この悲曲に名曲が多いのは、洋の東西を問わないようだ。

懐かしいのだ。懐しいはずだ、最初の別れは、神との分かれだったのだから。

西洋なら「エデンの園追放」、日本なら「分け御霊」である。

林檎🍎を齧る、智慧の実をからだに入れる。

別れた自分に、別れを告げる。

「サヨナラだけが、人生さ」って、なんとも深淵を覗いているようだ。

神縁に臨むのもおなじだ。サヨナラできるのは無執着(アサンガ)をあらわす。

さて、ほんとうに出来るかな?

この曲つくったD.サンバーンも亡くなってしまった。「シカゴ」の感じ、サンボーンには四角張ったアゴ(=労働者)と広い額(=哲学者)を同時に感じるんだよね。

1981年、80年代の初頭に答えを授かっていた感覚だね。

阪神高速の橋梁のしたに、つつましくも温かかったボロアパートの一室で、サンボーンやデオダードや大野雄二を聴いていた瞬間を想い出すと、

その豊潤たる深淵(目眩く明るい太陽光🔆に晒されながらも、真冬の雪原🧊のような無音のホワイトアウトが吹き荒ぶ、ブラジル🇧🇷固有の哀しみ、奴隷貿易で連れてこられたアフリカ系のグルーヴ)に過呼吸になったものです。

 

00:00 | Route 246 04:54 | Southern Dream 11:40 | Metallic Moon 13:50 | Lollipop Train 19:53 | Manhattan Life 23:48 | As You Like It 30:42 | Michy's Walk 35:23 | Rainbow Dinner

 

そーゆーことだったんだと、今にして思います。これは良いことです。

やっと、梅田の旭屋本店が亡くなったことを見つめることが出来ます。

ぼくにとっては、あのビル丸ごと本屋さんは、夢の宮殿みたいなものであったから。

いい本屋だったねえ、さようなら旭屋本店、すべては私の内に。

さよならサンキュー、思い出す自分にさよならする儀式ですね、さようならは気持ちのいいものだったんだね。風前の灯は、熱く燃え上がる。

      _________玉の海草

 

 

 

 

 

 

 


フィギュア・スケートの未来〜 浅田真央 ・冬巻⛸️・

2024-12-08 16:44:02 | 神のごとき

__ ひとりの女性を、20年間推すって、もはや自分の分身みたいな目でみてしまいますね。

真央ちゃん推しの記事も最終回を迎えます。

 

 

⚫️ “ また、この場所で ” (王ゝのミ毎)

2018-04-28(伊勢白山道記事:2018-04-27

 

もはや若くもない私だが、「週刊プレイボーイ」はなんやかや云いながらも、欠かさずチェックしている

何よりあの表紙が佳い、なにか時代をそのまま写し撮ったよーな生き生きとした切り取り方がよい

GW超特大号を手にとった、大好きな表紙を味わいながら表紙の見返しをみて、わが眼を疑った……

なんと、浅田真央ちゃんのグラビアが……

いやいや、この52日発売予定のフォトエッセイ『また、この場所で』からの大きな一枚の写真でした

週プレといえば、姉の舞ちゃんのグラビアには度肝を抜かれたことがあっただけに、独りでなんや焦りまくって仕舞いました

 

これ、「撮影/川島小鳥」って、あの『未来ちゃん』を撮ったカメラマンだよね

        【写真集『未来ちゃん』より】

世界一の可愛さの童女を活写された方が、今度は菩薩級の真央ちゃんを被写体にしてかあ〜

 

まーね、何年かぶりに真央ちゃんの写真一枚のために、週プレを買って仕舞いましたよ

 

まー、われらが真央ちゃんにおかれましては、さんまちゃんのご指摘にありましたよーに、「いい子」ちゃんに留まっておられてはあきまへんな

ひとの模範になる必要などないのです、ひとから決めつけられるイメージに何の価値がありましょー

ご自分の表と裏、光と影を存分にお楽しみくだされよ、

 

 

 

⚫️ “ 余波余震 ” (王ヽのミ毎)

2019-02-01(記事:2019-01-31

 

面白おかしく、沈んだ心持ちを若干浮揚させて、真央ちゃんの公開されたばかりの動画でも拝見しましょー

【『メリー・ポピンズ リターンズ』オリジナル・パフォーマンス、浅田真央 魔法のエキシビション ” __ あいかわらず、真央ちゃんの天上的な滑りは「エアリー」(織田信成の評)な美しさ

 

 

 

⚫️“ 「妙好品」ってのもある ” (王ゝのミ毎)

2018-11-03(記事:2018-11-02

 

棟方志功をいちはやく見出した、「民藝」芸術運動の主宰・柳宗悦には、実に面白い浄土真宗論がある

そのなかに妙好人を論じたものがあり、思想家としての柳宗悦の面目躍如たる処がある

きょうの記事にある「妙好人」とは、数ある仏教宗派のうち、なぜか浄土真宗に多く輩出される不思議愛されキャラなんです

「妙好」は白蓮華を意味して、浄い蓮の如き信者、一般に田舎にいて別に学問もないながら、あつく安心を頂いている人々を讃えて「妙好人」と呼びます

 

幕末の「信女おその」のエピソード> 

ある婦人が、信心が得られずして苦しんでおりました。何とか信心を頂きたいともがいておりました。

これを見たおそのは、その女の人に、

「私がきっと安心できる秘伝を授けるで、二・三日やる気はないか」と申しますと、その婦人は大変喜んで、

「安心さえ出来ることなら、いかなることでも致します」と。

するとおそのは、

【お差支えなし、御注文なし】という言葉を二・三日いいづめにしなされ」と申しました。

婦人は喜んで帰り、右な言葉を繰り返しました。二・三日の後にまたやって来て申すには、

「仰せに従うて三日間朝から晩までいいづめに致しましたが、何とも御座りませぬ。胸の中は相変わらずおかしなものでござりますが、こんな心でもようござりますか」

おその「お差支えなし、御注文なし」と。

「それでも何とも御ざりませぬ。へんてつもない心中で御座ります」というと、おそのは、また、

「御差支えなし、御注文なし」と申しました。

婦人はその時、凡夫そのままでお救いにあずかることに始めて気附き、喜び勇んだと申します。

おそのは、こんな簡単な言葉や、方法で苦しんでいる人々を導きました。

[※『柳宗悦 妙好人論集』岩波文庫- より]

 

民間の名もなき職人たちの作る工芸品のなかに、巧まざる美を見出してきた柳宗悦は、それらのなかに「妙好品」とも云える境涯に至った作品があることに驚きます

 

今朝は、6:30 よりNHK総合で、インタビュー『浅田真央 〜私の 幸せの場所〜』が放映される

勝った、負けたではなく、氷の上で生き様を見せる

‥‥ これは、真央ちゃんのご母堂・匡子さんの凛としたお言葉である

生き様は無様 (ぶざま) なものでも一向にかまわない、偉くないままでもOKよと、この懐の深さ、妙好人ですなあ、どっちに転んでも、既に掬われているってね

 

正確に引用すると> 「フィギュアスケートは勝った、負けたではないと思うんです。生き様をどう氷の上でみせるか。それがフィギュアではないですか」

( 浅田匡子、真央ちゃんの母上のお言葉)

 

 

 

⚫️ “ まったく思いも寄らない体験 ” (王ゝのミ毎)

2018-11-10(記事:2018-11-09

 

きょうは、最後の園遊会にお出ましになられた両陛下を拝見して、

NHK『真央が行く』で、パラ (障がい) ・アスリートを訪れた真央ちゃんを思い出していた

今上陛下のあの、相手に全人的に寄り添われるご姿勢とまったく同じ風韻を、真央ちゃんの面談から感じたからだ

アスリート同士の共感ってのも下敷きになっているかとは思うが、

包み込むよーに自然で、自分が自分がとゆー突出した目立ち方がまるでなくて、老練な翁のよーな、相手に緊張させない間積りで、ゆったりとした刻が流れていた

真央ちゃんは、意識を渡らせる範囲が途轍もなく広くて、普通一般の人々のレベルとは隔絶している

陛下に相似た雰囲気をまとわれるほどに、超一流のアスリートは天下人に近づくのかも知れん

陛下も真央ちゃんも、異業種・異文化・異世界へためらうことなくすっと入っていかれる

挑戦とは、新しい体験が出来ることを歓喜している言葉なのかもしれない

 

 

⚫️ 2020-08-08(記事:2020-08-07

 

「 無思考」と言われて思い出すのは、ソチ五輪フィギュアスケートでの、真央ちゃんのフリー演技である

久しぶりに、真央ちゃんが引退発表されたときの『報道ステーション』の特集の録画を観た

そのなかで、ソチフリーでの真央ちゃんを実況した各国のアナウンサーたちが、偉大なアスリート・浅田真央に対して懐いている敬慕の念が尋常ならざることをあらためて知り、こんなにも世界中の人々から親しみを込めて敬愛された選手もいないもんだなあと感慨を深くした

 

たんたんと無思考で臨まれたソチ・フリーは、今回もまた観ていて不覚の涙あふるるを止めることが出来なかった

なぜか貴い印象をいだくのは、真央ちゃんのお母さんを思う真情が自我を消して、母性回帰真我へ一体化する運動(流れ)となっていたからではあるまいか

ゾーンは無思考の賜物のよーに思う、この場合思考は遅すぎて対応できないからだ

 

 

⚫️2020-09-26 03:20:18 (記事:2020-09-25

真央ちゃんも、晴れて30才に成られた由、おめでとう御座います

30才になられただけで、ニュースになる、さすが真央ちゃん

 

 

⚫️   (玉の每水)

2021-05-24(記事:2021-05-22

 

真央ちゃんの『サンクス・ツアー』も、この一年中止を余儀なくされたり、紆余曲折があったんですね

生まれ育った故郷で、最後の千穐楽を迎えることが出来て、何より良かったと無事にやり遂げられたことを心より嬉しく存じます

 

信夫コーチの選手時代は、「コンパルソリー」の高手で素晴らしく正確な「フィギュア (図形) 」を氷上に描かれる御人であったが……

    【真央ちゃんが、テレビで実演したコンパルソリー】

やはり、真央ちゃんはその美技をひそかに伝承しておられるのですな (よっ、正統伝承者 )

 

精確無比なステップが根底にある、真央ちゃんのしなやかで滑らかなステップ・シークエンスは、優しく流れるんだよね、目に優しい流水 (移ろい) なんですね

真央ちゃんの踊るバッハは、初めて観る

蝶々夫人もパートナーとのアイス・ダンスの方が、一層しみじみと別れ (分かれ) が感じられますね

よくぞ、おひとりで立案・実行なされました、ご苦労様で御座いました

興行主としても、意外にたくましい母の力 (生活力) をお感じいたします

まー、真央ちゃんについてゆくお仲間は大変だったでしょー

真央ちゃんの「アタリマエ」は世界トップレベルだから

それにしても、フィギュア・スカートは人間の動きを超えて、天上的な動きの出来る稀有な表現様式だとあらためて感心しました

 

 

 

⚫️ “ それでも‥‥ ワリエワが観たい ” (8´11´22)

2022-02-16(記事:2022-02-15

 

なぜなら、彼女はしっぺ下がりの泣きベソ顔したタタール人 (韃靼人) ですが……

その技は、入神の域に達しているからです。

 

カミラ・ワリエワの、まるで天から糸で吊されたマリオネットのよーなスクッと立った体軸と脱力、回転と滑走のスピード感、すべてをリッポン・ジャンプ (両手挙げジャンプ) でこなし、全身をつかって流れるよーな滑らかな身体のつかい方は、まさに達人のそれです。

手脚の長い容姿にも恵まれて、彼女の佇まいから醸し出される静けさが尋常一様のものではありません。

 

他の4回転ジャンパーとは明らかに何かが違うのです。

アイスダンスの世界チャンピオンだったアレクサンドル・ジューリン (ロシアのコーチ) は、フィギュアスケート史上、ワリエワほど優れた才能を持ったスケーターはいなかったとまで云っています。

技のすべてが理想的な出来栄えで……

その超高難度のジャンプは技術が高い上に「高さ」もあり、何より驚くべきことは高い芸術性を兼ね備えている処、スピンの美しさはプロのバレリーナ級で、身体の柔らかさも相まって、完璧なラインを描き出すことが出来ると。

 

欠点の見当たらない完全無欠のフィギュアスケーターであると、讃辞を惜しみません。

【プルシェンコの異名は「皇帝」だが、ワリエワは「絶望」である。なんと恐ろしい渾名であろう、一緒に滑る選手たちに「絶望感」を抱かせる程に、圧倒的な才能と実力をもっているからである。】

 

ロシアには、民族的にロシア人に次いでタタール人が多いらしいのですが、ワリエワはカザン汗国の末裔で、チンギスハーンの元朝つまりモンゴル系も入っています。

著名人では、バレエダンサーの神ルドルフ・ヌレエフや、プーさんの愛人の噂のあったカバエバ (体操選手) 、サッカーのイズマイロフ、フィギュアでは秋田犬好きのザギトワもタタール人である。

ザギトワによると、目の前にある課題が困難であればあるほどいいのがタタール人気質で、ご両親もそーであるとか。

司馬遼太郎の歴史長編に『韃靼 (だったん) 疾風録』があるが、あの「韃靼人」がタタール人の中国名である。

 

今回の「ROC」の個人戦メンバー三人は、すべて4回転ジャンパーだが……

ロシアの女子フィギュアは層が分厚い。

「ロシアの最高傑作」と称されるワリエワが、たとえいなくとも、全然心配なく金メダルを狙えるほど盤石である。

ワリエワより歳がわずかばかり上の「天才トロイカ(三人娘)」と呼ばれた、トゥルソワシェルバコワコストルナヤ  (今回出場なし、4回転は出来ないがトリプルアクセルが得意) によって、

女子の「4回転時代」が到来した。

【トゥルソワに指導する鬼コーチ、人呼んで「鉄の女」、エテリ・トゥトベリーゼ女史。マジで喰われそうなほど怖いです】

 

女子のショートプログラムって、いまだに4回転ジャンプが禁止されているんですってね。

上記の「三人娘」の活躍により、ザギトワやメドベージェワ (セーラームーン好き) ですら脱落し、トゥクタミシェワ (25歳、妖艶女王 ) は今回補欠に甘んじなければならなかった。

ワリエワ (15) より下でも、14歳のアカチエワ (4回転・3回転アクセル会得) が抬頭してきていて、ロシアの首位は当分動かないみたいだ。

リプニツカヤとかソツコワとかのトップスケーターでも、20歳あたりで引退しているから、ロシア女子フィギュアの寿命は45年しか保たないよーだ。

 

きのうのSPでは、ワリエワもよかったが、わが邦の坂本花織さんも随分と魅せておられました。

このお二方には、端的に「芸術性」があるのですよ。

これは、やっぱり真央ちゃんの偉大な足跡のお蔭であろー。

かのタラソワ・コーチは、真央ちゃんに出逢って以来、自らの方針を改めて「少しだけ日本人になれ」と指導しているそーです。

ユヅ君にしても、真央ちゃんにしても、世界のフィギュアスケーターから尊敬されている処は、その「負けん気 (逆境に立ち向う) 」であるよーです。

意外なんだが、強い意志でもって睨みつけている鋭い視線のフォトに世界的な人気がある。

>  負け犬は誰も相手にしない!

「負けたけどよくやった」なんてのは日本だけのメンタリティだ!  (落合信彦)

 

__ ワリエワは、あんな可愛らしい顔してても、国際競争の呵責ない厳しさを、よく分かっておられるのだ。

 

そんな中にあっても、史上最高のワリエワの演技は「無心」のよーな感じがする。

彼女の演技の、いづれの一コマを取り出してみても、どれも美しいと思う

「古賢能書の筆のつかひ様は、いづくにも精霊有りて弱き所無し」

訳;昔からよい書というものは、どこもかしこも生きていて、弱いところがない

[※ 尊円親王が著した『入木抄』(1352) より]

 

…… この伝でいけば、さしずめこーなる。

ワリエワのスケーティングは、どこもかしこも全身をつかった美しい所作に魂のこもった「生きた」ダンスで、指の先にいたるまで弱々しい処がない。

 

…… 現在のカミラ・ワリエワは、ちょっとふっくらして重くなったため、4回転ジャンプを跳べなくなってしまったようだ、いつぞやNHKの特集で見かけて、えらくショックを受けた。

ワリエワのお母さんがまた、毒親といわれるほどにキツ過ぎるお人柄らしいのも心配である。

韃靼人は、やっぱりサイヤ人みたいに戦闘民族だから、しょーがないと言えば、それまでなのだが。

 

やはり、母子二代にわたる執念は、コノ世ならぬマスターピース(神の傑作)を生み出すようだ。

「孟母三遷」の孟子の母に始まり、美空ひばりの母に、宮沢りえの「りえママ」、卓球🏓女子の母親たちもそうですね。

子どもというのは、最愛の母親の笑顔をみるために、命懸けで頑張るものなんです。

『ウィンター・ローズ』の稚い子どもの、大人たちを遥かに上回る決断には感動したものです。

 

真央ちゃんも、お母さんを喜ばせるために、懸命に滑っていたんだものね。

男女の別なく、ヒトは母性というものを強く希求するという摂理があります。

それを、競技なりパフォーマンスなりに表現するのが、アスリートの本質なのかも知れませんね。

 

真央ちゃんが、わたしたちに如実にみせてくれる神話には、御母堂の匡子さんの情愛が、太陽のように満面に真央ちゃんを照らしているのです。

「あの子は性格が男なんですよぉ」と、いつも笑っておられたと云ふ。(嬉しかったのだろう)

父息子は、父の壁を超えて成長しなければなりませんが、

母娘は、おなじ方向を向いて、これ以上ない強い絆で結ばれている、稀有な生命ユニットです。

「おかみ」とは、女将と書きますが、「将」を育てるのは同性の将なのです。

 

真央ちゃんは、世界最高峰の女将から育てられてきました。きっと、育てられたように、後輩を育てるのです。

おそらく、『サンクス・ツアー』などに同行した素人さんがたは大変だったでしょう。

でも、そんな真央ちゃんが育てる女性フィギュアスケーターも見てみたい気もする。

 

代々積み重ねられる秘伝は、凄まじい神妙さであろうと思うんだよね。

高等剣術である柳生新陰流の理合は、端倪すべからざる妙技を生み出すし、現在ロシア🇷🇺に蓄積されたスケーティング技術は他国の追随をゆるさないものであろう。

伝承するのは恒に「ひと」だから、その人を育てなくてはならない。

 

真央ちゃんはその辺、如何様に考えておられるのだろう?

マオリンクを介在して、真央ちゃんのやりたいことが達成できたらいいなと思う。

案外、フィギュアスケートから一切手を引くという幕引きかも知れないが、それもいいだろう。

真央ちゃんは、あのフィギュア大国ロシアが理想とする「スケーティング」を魅せつづけてきた個人史がある。

やり切ったといっても、ゆるされる歩みを実現させた。

だから、日本人にとって「神話」と成り果せた(なりおおせた)のである。

 

それは、いいようもなく素晴しいこと。

意外だが、岡本太郎の「対極主義」を実践された、

【大いなる変態】が、真央ちゃんなのです♪

(勿論、私のなかでは最大のほめ言葉です)

 

なんとなれば、

>  ノーミスと、トリプルアクセル

人々を魅了した浅田のスケーターとしての姿勢は、この2つの言葉抜きには語れないだろう。

 

…… 完璧に演技するのが信念の真央ちゃんが、取り組んでいたのが、男子でも難しい「トリプルアクセルジャンプ」なのである。

これほど無謀な挑戦者は、めったにおるまい。

最も難しい技をえらぶ、そしてそれを完璧にモノにする。それはほとんど神の領域です。

その挑戦自体が、すでに入神の力業なのです。

 

わたしは、真央ちゃんに「神」を観ました。

それだから、伊勢白山道のコメント欄に真央ちゃんについての投稿をするのは、いたって正しいことだったのです。

この16年間、投稿しつづけられる「推し」が、誰か他に求められようか。誰もいやしない。

そんな稀有なる「推し」に出逢ったわたしは倖せ者だし、そんな偉大なる「推し」を見つけられたわたしは、存外に凄いんじゃないかと思っている。

     _________玉の海草

 

 


祭りの後で、 天上の羽衣〜 浅田真央 ・秋巻🍂・

2024-12-08 12:44:58 | 神のごとき

__ あれよと “秋巻” になってしまった。

では、時系列で並べます。

 

 

⚫️ “ 天上のかろみ ” (王ヽのミ毎)

2016-11-06(伊勢白山道記事:2016-11-06

 

BSジャパン『 美の巨人たち 』で、親・自分そして吾が子と三代にわたって柴又帝釈天に木造彫刻 ( 透し彫り ) を奉納なさった名人・加藤寅之助の作品を拝見した

親父殿が二天門、ご自身は帝釈堂に「法華経説話彫刻 ( 胴羽目 ) 」の一部そして渡り廊下にご子息の作品が観られる

それらの精緻な超絶技巧には感嘆の声を発しながら惹き込まれる様に魅せられてやまない

なんたる職人藝であることか、高次元すぎて人の仕業とは思われないほどに見事な仕上振りである

鬼気迫る、鬼神の業めいた流麗な彫り跡には惚れ惚れと見入り身入り、なにか随分と疲れる ( 憑かれる )

さらっと、宗達の『風神雷神図』みたいな、愉快に軽みのあるものが恋しくなったりする 

ー真央ちゃんのスケーティングもまた、そーゆー処がある

高度なジャンプの緻密なシークエンスも、鬼神の舞として私は愛するが、

‥‥ こないだ見せたダブル・アクセル ( トリプル・アクセルを怪我で飛べなかった ) の天上的な軽やかさには敵わない

まるで重力の圏外にいるかの如き、天女の羽衣感 ……

あれこそ、天上の舞だよね ( たとえ採点は低くとも )

週刊誌で、好意的なコメントではあるのだろーが、私のよーな年配のおじさん連中の声〜もう十分に踊って貢献して来た、ありがとうご苦労様的な〜いたわりの声が聞こえてくるであろー

アイスショーでのしなやかな演舞もおじさまからは人気が高い

しかし、納得のゆく滑りが未だ出来ていないから復帰されたのでしょー

ぜひ、得心のゆくパフォーマンスまで御自らをもっていって頂きたいですね

難度の高い技もかろやかに舞って夢見心地にしてほしいです

悔いなく集中、心置き無く現役時代を過ごして戴きたいものです

もー、真央ちゃんは別格・越格なのよ ♪、いつでもいつまでも応援しつづけるのよ、日本人として……

ーいまが、フィギュア・スケーターとして一番美しい時と存じます

中宮寺の半跏思惟菩薩に匹敵する妙味があります

 

 

 

⚫️“ 日本人は○○が好き ” (王ヽのミ毎)

2016-12-25(記事:2016-12-24

 

なんだろー、イチローもそーだけど、一所懸命で謙虚な求道者が日本人は好きなのだと思う

伊勢白さんの見立てでは、このかたも前世がそーでしたが……

クリスマスに『明石家サンタ』を楽しんで観ました

視聴者に電話して、ことし一番の不幸話を訊き出す番組なんですが……

随分と長寿番組になりましたね

ー視聴者に電話をかける際のさんちゃんと八木アナとの会話……

電話をかけながら……

「えー、もー1( 電話番号記載シート ) いくの?

えー、こちら、これっ…… 何処やっ!

「どこやって()

「えっ、いや、これ、08◯◯

「何か、すべてが楽しそーですね、『どこや!』って ()

 

‥‥さすが八木アナ、本質を見抜いてはる

ファンから頼まれると、いつなんどきでも一緒に写真を撮ってくれはる「さんちゃん」やもの……

その場で派生する、一つ一つの枝葉や回り道も「笑い」に通じることなら愉しいのであろーな

この番組の一つ前のスポーツ番組でゆーてはったが、

真央ちゃんは ( 怪我を抱えながら ) 出て来てくれただけでも嬉しいと、やっぱり他の選手とオーラが違うと!

さあ、今夜はどんなものであろーか

 

『リチュアル・ダンス』は耳馴じみがあるよーな気がしていたが……

なんと、パコ・デ・ルシアの演奏で「火祭りの踊り ( バレエ音楽『恋は魔術師』) として、よく聴いていた楽曲でないの

 

スペインの大作曲家マヌエル・デ・ファリャ  ( 1876-1946 ) に捧げられた、パコ・デ・ルシアのアルバム『炎 ( 1978 ) 』のなかに収録されてある

パコ・デ・ルシアはつねに進化し続けている真のアーティストの一人だとぼくは思っている。

保守的で閉鎖的なフラメンコの世界では新しい試みをすることなども批判されやすい。試行錯誤であれ、なんであれ、失敗を怖れず不屈の冒険精神と枯れることのない情熱でパコはつねに新しいなにかを求めて歩み続けてきたし、これからも苦しい道のりは続くことだろう。

それでもパコは

「片手に伝統、片手に発展。それを受け入れない人がいてもぼくはやるだけだ」

と語ったことがある…… (『パコ・デ・ルシアの20年』1988. のライナーノーツより、竹村淳 )

 

‥‥ パコの額の広い白皙の物憂げな風貌に、若い頃のわたしは「修道僧」を感じたものだった

ファリャの『恋は魔術師』の原題は『El amor brujo』で……

いま流行りの「アモーレ」と、インディアンの強力な呪術師「ブルホ」とが出て来るが……

主役は魔術ではなく、「恋」を軸にした人間の本能や欲望や怨念といったものなのだそーで……

フラメンコの哀しみと情念の修羅場的情景であろーか

ただ、作曲者のファリャは敬虔なカソリック信者で生涯独身で過ごしたらしい

映画『カーネギーホール』のなかでの、ルービンシュタインのピアノソロ演奏が有名になり過ぎて、ファリャは困惑していたとか……

 

すなわち、「火祭りの踊り ( Danza ritual del fuego ) 」は ritual ( 儀式的 ) なのでありfiesta ( 祭り ) ではない、ということが人々に伝わらない、という作曲者としての苦悩があったようだ。

(  ※サイト『Música 音楽 Acueducto. La revista española en Japón』より引用 )

 

‥‥ この「リチュアル」とゆーこと、平たく云えば「ルーティーン」だが、わたしは非情なまでに重視している

なぜなら、或る一定の意識状態を自分の心中にまちがいなく召喚 ( 喚起 ) させる為の厳格な手続きこそ、「儀式」の本質だと思うからだ

つまり、たとえば日本最高の神官であらせられる今上陛下の宮中御神事とは、

日本式の「リチュアル・ダンス」とも云えるはずと存ずる

そんな、一点一画ゆるがせに出来ないほどの厳密さが、ブルホの「リチュアル・ダンス」にはあるんでないかと感じている

まー、赤い鳥は昇天・昇華の象徴でもあろーけど、難しいことは素通りしてくださって……

わたしとしては、心おきなく軽やかに舞って戴きたいと存じます

ーことしは、「赤」備えが世間を席捲した年であった

侠気の広島カープに、ジーコ・スピリットの鹿島アントラーズ、

カ・ズレーザーもそーかな、真田家  ( 信繁の醒めて鮮かな朱色は見事だった )  や井伊家の赤備え、阿倍マリオの「赤」も忘れられん

先日の天皇誕生日に、真赤な日の丸を玄関先に掲げながら、そんなことども想いめぐらしておりました

真央ちゃんがフィギュア・スケートにかけた、湧き出ずる純粋な「赤心」も、花開いてくれたらいいなと、かる〜く思います

 

 

⚫️ 2016-12-25(記事:2016-12-24

 

FSしかと見届けました

紅玉を散りばめたお衣裳も艶があり、流れるよーな複雑なステップには目が眩みましたよ

Rock Legends』で、カミラ女史が言っていたことが、そのまま真央ちゃんのスケーティングにも当てはまる様に思いました

真の歌い手は、歌の区切りや息継ぎの間合いが絶妙である。

フランク・シナトラやパヴァロッティが、そうであったように。

 

‥‥ 真央ちゃんの、特に後半のキレのあるシークエンスが実に滑らかに美しく、茫然と術をかけられたよーに見惚れておりました

大輔くんが指摘していた、真央ちゃんの類い稀なスケーティング技術とはこのことを指すのでしょー

途中から転調して、パッと笑みが迸り、柔らかく天上的な舞になったのには驚きました

素晴らしい、氷上のヴァイタル・ダンスでありました

 

 

⚫️ “ 真央ちゃんのけじめ ” (王ヽのミ毎)

2017-04-16(記事:2017-04-15

 

4/12 ()NHKのテレビ欄には驚かされた

11:25 ニュース「浅田真央引退会見」

とあるではありませんか!

う〜む、日本国民にとってそれほどのものだったのか、その判断はよきかなと感心した

世界情勢を見渡すかぎり、本来は真央ちゃんがトップニュースであってはならないのだが……

今回はゆるす、よくおやりになった、この30分間の特別ニュースには民意の反映を観る

ただ最後に、真白き真央ちゃんがテレビカメラに背を向け、涙を堪えながらも心からの感謝の気持ちをファンの皆に懸命に述べられた大切なシーンを、割愛しちゃダメでないの

幸い、この日も二日連続で、他の民放で放送された真央ちゃん特番で、その真摯なシーンは拝見できた

昨年末の全日本選手権、「キス&クライ」で珍しく真央ちゃんはテレビカメラに寄って、丁寧にファンの皆んなに繰り返し御礼をのべていたのには、なにごとかを感じとってはいた

やり切ったんだね、もともとお母さんに誉めてもらいたくて真剣にやっておられたんだものね……

「もう、いいんじゃないか」(真央ちゃん)

 

‥‥ 私のことばで云えば、たんたんと「もう、沢山だ( more than enough )…… (`_´)ゞキリッ」

自心自身で芯から納得した一言、その行いから離れる(卒業する)合図、いいんじゃないでしょーか

良い止めかたではないかと存じます

最高のアスリートたる真央ちゃんを見つづけて……

「挑戦」とは「もう、いいんじゃないか」と本心から思えるまでやることなのだと思う

それこそ、神さんの望まれる最大事なんではないか知らん

面白い人、天衣無縫な人、「無法天に通ず」とゆーほどのオリジナル磁気……

それをまっとうする人、もう沢山 ( お腹いっぱい ) までやり遂げる人は、天から愛されるのではと思った

 

正直に申せば、私がフィギュアスケートを観るよーになったのは、実は天才美少女の舞ちゃんの上品な滑りがキッカケでした

舞ちゃんの妹だとかで、こましゃくれた小娘が圧倒的な技術レベルで抬頭してきた時にはあまり注目もしていなかったのです

それが、あれよあれよとのし上がって、これほどのアスリートに、世界中のアスリート達から尊敬され目標とされる、競技分野を越えてアスリートの代表と目されるまでに到達されました

でも案外、真央ちゃんにおける真の達成 ( 自己実現 ) は、

何をしても敵わなかった偉大なる姉・舞ちゃんに、「フィギュアスケート」だけは、追いつき追い越したとゆー経験にあったのではないかと思える

一連の真央ちゃん報道で、ソチのフリーをまた拝見してまたぞろ落涙してしまった

もー30回は越えていよう、実に素晴らしい濃縮された四分間なのである

真央ちゃん、ありがとう御座います、さびしくなるなあ〜

 

 

⚫️ “ 太陽節〜 始りにもってこいの日 ” (王ゝのミ毎)

2017-12-24(記事:2017-12-23

 

フィギュアの女子フリースタイル、全日本選手権やってましたね

正月前の師走の全日本選手権、

例年ならば、いつも彼女をみていたものだった……

(『スポーツ・グラフィック Number 』より)> 

この12年で初めて、浅田真央のいないオリンピックシーズンを送っている。

試合で全選手のインタビューを終えても、「まだ誰かを取材し忘れてない?」と物足りない気持ちになる。

それは真央ちゃんがいないからだと気づかされた。

真央ちゃんがうれし涙を流せば、皆も元気。だからその笑顔を素直に報道する。

もし悔し涙を流せば、誰もが悲しい気持ち。「今度こそ大丈夫」という記事を書く。

真央ちゃんを通して、単なるスポーツ報道ではなく、ひとりの人間の人生を描くことが楽しかった。

 

‥‥ ヒロイン真央のいた3度の五輪シーズンは、それはもうかけがえのない経験で、同時代に生きた幸運をいまにして思っている

最近出版された、浅田真央『私のスケート人生』も即読了、NHK『アナザー・ストーリーズ 浅田真央編』も拝見済み、ホノルルマラソンも蔭ながら応援していた

その上で、引用するのが上記の女性記者の感慨である

『アナザー・ストーリーズ』のソトニコワ選手 ( ソチ五輪金メダリスト ) の反応もそーであった

彼女も、真央ちゃんのソチの「伝説のフリー」が観られない

動揺していた、魂が揺さぶられるから、泣いてしまうからと……

わたしも、彼女らお二人とまったく同じ症状であるよーだ ( 決して病気ではありません )

真央ちゃんのデート報道の時も……

ニュースキャスターの安藤優子さんが、

「真央さんには何の血のつながりもない親戚のおじさんがいっぱいいて、小姑みたいな人がいっぱいいる」と苦笑いしていたが、

まったくその通りの自分に、我ながら笑いを隠せない

 

 

⚫️ “ 真央ちゃん、ありがたく受け取りました ” (王ヽのミ毎)

2017-10-18(記事:2017-10-16

 

THE ICE 2017』〜真夏の氷上祭典〜

BS録画して、やっと観ることが出来ました、84日〜6日、愛知県体育館での収録です

「浅田真央」のクレジットがあったので、ちょっとでも引退後の真央ちゃんの滑りが見られるかなと思ってみてみたら……

なんと、真央ちゃん座長公演みたいな、贅沢で極上のエンターテイメントとなっておりました

56回と、晩酌しながら繰り返し拝見しました

とくに、最初の30分間の「浅田真央プログラム・スペシャルメドレー」

こんなに繰り返しみたのは、ソチ五輪の「青い鳥」、あの伝説のFS以外にはない

「虹の彼方に」の中国黒竜江省の氷上雑伎団と、姉貴の舞ちゃん

すこぶる夢幻的な華のある「繪」でありました

舞ちゃんの滑りは、とてもスケールが大きくなられましたネ、芸能界で揉まれた経験が活きています

 

信成くんのダンディな jazzSMILE」、昌磨くんのベルベット・ボトムで跳んだトリプルアクセル・コンビジャンプ、崇彦くんの精確な「鐘」、明子さんの情念あふるる舞踊、そしてステップの帝王・大輔くんの「ピアノ・コンチェルト2番」……

いち時代を創り上げて来た花形スケーターたち、この世代が日本のフィギュア・スケートを芸術の域まで高めた立役者だったと思う

 

そんな御仲間による真央メドレーのオオトリは、束の間大輔くんとのアイスダンスカップルを演じた真央ちゃん……

この導入部のペアダンスは、本当に雰囲気があって、濃密なクライマックスを予感させた

 

昨シーズンからの続きが、いま思いもよらず目の前に現出する喜悦、嗚呼酒がすすみますわい ♪、近頃めっきりなくなった晩酌の美味い麦酒を喉に流し込む

大ちゃんから捲られた形で(「お代官様、あれぇ〜」のニュアンス)、黒スカートを脱ぎ去った真央ちゃん……

 

スペインの情熱的な濃やかに艶めく「赤い鳥」と化した

流麗にのびゆく腕 ( かいな ) に、螺旋をえがくロングスカート、見事な曲線美・女性美、四股を踏みしめるよな野性味の発露 ( 天鈿女の舞踏 ) もエキゾチックで、まるで名人の太刀さばきを見るよーな目も綾なまばゆいほどに冴えた完成形……

あいや〜 真央ちゃんって、こんなにイイ女だったのねってあらためて深くため息を漏らしました

 

これですよ、天上の舞、哀を知り尽くして地上から天上の愛に展開するロマ ( ジプシー ) のフラメンコ、火祭りの踊り「リチュアル・ファイアー・ダンス」

わたしには、聖徳太子の法隆寺・水煙の「飛天女」を想わせました

気合いに満ちてて慈悲深く深遠だが、涼やかな眼差しでかろやかに浮かぶ、まるで人間技とも思えない、天女の羽衣、いはく天上の舞……

 

氷上だからこそ出来た、人の動きをこえた超人的な世界、つまり夢の世界 ( 幽玄 ) に大観衆を巻き込んだ、一種魔術的な二分間の離れわざだったかと存ずる

非情なまでに感動しました、いままでずっと見続けてきた真央ちゃんのフィギュア・スケートの大団円にふさわしく、いままでで一番の素的なスケーティングだったと思います

 

真央ちゃんの代名詞は、トリプルアクセルだけではないのです

後半も盛りだくさんな内容で、ありゃあ生で見られたら感動も一入だと思いました

メリー・ポピンズ、真央ちゃんまるでハイティーンみたいで、理想的な美少女のお姿でした

まったく、最後までキチンとけじめをつける真央ちゃん、あなたには何度も何度も救われました、重ねて深く御礼を申し上げます

人徳のある、畏怖すべき、しかも可愛らしい真央ちゃん、

まことにありがとうございます

 

 

  【透徹した 「ひふみんアイ」、棋士・加藤一二三9段】

 

 

__ う〜む、もう一息で終わります。真央ちゃん推しで20周年だもの、まー色色とありますよ。

      _________玉の海草

 


鬼神の舞、 伝説のソチフリー〜 浅田真央 ・夏巻🌻・

2024-12-08 11:27:42 | 神のごとき

__ 2013年末のNHK杯を勝ち抜き、

翌2014年2月に、冬季オリンピック・ソチ大会が始まりました。

女子フィギュアが始まる前の、わたしの感懐からはじめます。

 

⚫️ “「無」でも転ぶ此の世 ” (玉の海)

2014-02-16(伊勢白山道記事:2014-02-16

 

…… あとは、真央ちゃんの登場を待つばかりです

週刊誌でも 直線(ヨナ)vs曲線(マオ) と因縁の対決が騒がれています

私が真央ちゃんに望むのは、唯一つ

ロシアの大地に感謝を捧げ、真央ご自身の詩(うた)を慎んで奉納されることです

ラフマニノフの出だし、両のかいなをおほきく広げ退きます…… あれはまるで柏手です

 

 

 

__ そして、ショパンを踊ったSPは、16位に終わってしまった翌日の投稿、日本国中がまるでお通夜のようだった

⚫️ “ 国民的アスリート ”  (玉の海)

2014-02-20(記事:2014-02-20

 

「苦しかろうのー」と一日中真央ちゃんを思っていました

でも、予想してたから此の曲にしたんだよネ

ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』

いまが、そのときです♪ これほど、ラフマニノフを踊るに相応しい好条件が揃うことは滅多にありません

伊勢白山道的に云えば…… 

カンナガラの滑りは、こんな背水の陣に必死で臨むときにこそ、可能性があるとゆーものです

SPRが高得点で、順風満帆のときに音連れるものでもないのです

厳しいこと云うが…… 

今がベストやから、あなたの人生の。

> 。。。失敗など人生にはありません。

経験が在るだけです。これが最大事。

考え込む前に挑戦が大事。

> 自分がする努力とは、

霊的には本当の自分 ( 真我・内在神 ) との対話でもあるのです。

他人が知らなくても、本当の自分がいつも見てくれており、応援してくれています。

…… 「正神は言挙げせず」なので、どーやって内在神とコミュニケーションとったらいいんだろー?と、常々思っていました

なんのことはない!

努力することが、内在神との対話になるのですナ

挑戦する御姿が、真央ちゃんの真骨頂 (=本当の自分) ですから…… 

 

 

__ そして、この翌日、ブログ『伊勢-白山 道』で、真央ちゃんの記事が掲載されました。

 

命懸けの人間に気付いてあげること - 伊勢ー白山 道

ソチ五輪で日本の期待されていた選手が、競技の途中段階の時点で思うような成績を残せなかった後に、長いインタビューを受けている姿を報道で見ました。選手の気が動転して...

goo blog

 

⚫️ “ 代表的日本人 ”  (玉の海)

2014-02-22(記事:2014-02-21

 

きょうは、日に幾度となく「真央ちゃん、おめでとう♪」が口をついて出て…… 

ひとりでニンマリとしていた

故国ロシアの地で、自分の曲を使って最高度の芸術表現を披露され…… 

当のラフマニノフも、さぞやお喜びのことと存じます

「日本人は、コレがあるから怖い」などと、案外抑止力になったりなんかして…… 

『代表的日本人』は、

無教会派のキリスト者・内村鑑三が英文で書かれた著作ですが

ノミネートされた5名は…… 

西郷隆盛(政治家)

上杉鷹山(地方大名)

二宮尊徳(農民思想家)

中江藤樹(地方の教育者)

日蓮上人(宗教者)

…… で、個々の注目すべき徳目としては

「愛民」

「質素倹約」

「勤勉勤労」

「聖人心学」

「立正安国」

…… が取り上げられています

JF・ケネディ大統領も、これを読まれたと見えて

尊敬する日本人として、

鷹山公の御名を挙げられました

時まさに平成の御代となれば、

代表的日本人と云えば、そりゃ、真央ちゃんでしょー♪

そー言いたくもなる位、素晴らしい御姿でした

晩酌で祝杯をあげながら、繰り返し5回も観ました…… 

 

 

⚫️ 追記 (玉の海)

2014-02-22(記事:2014-02-21

 

うちの母は昭和一桁世代で、スポーツ観戦とゆーものを好みませんが (あんまりルールを知らないので) …

女子バレーボールと女子フィギュアスケートだけはよく観ています

その母にして、真央ちゃんだけは「ちゃん」付の愛称で呼びかけ、いつも応援しています

似た処といったら、負けず嫌いな処くらいしか見当たらないのに、何か共感を覚えるらしいです

かくの如く、日本中の老若男女から一様に可愛いがられる真央ちゃんこそ…… 

いまの時代の代表的日本人と云えるかと思うのです

言い忘れましたが、

真央ちゃんの注目すべき徳目とは、

『自分なりの恩返し』

でしょーか知らん?

【この写真は貴重なものです。タラソワの編んだ高難度の「8トリプルジャンプ」を完遂させた瞬間、真央ちゃんは「よしっ」といった感じで、優雅なガッツポーズを見せたのです、その貴重な瞬間を捕らえた一枚。】

 

 

 

⚫️ “ 小さな自立~ 米中韓に囲まれて ”  (玉の海)

2014-03-06(記事:2014-03-05

 

なんとなく、K国人が嫌いな日本人が増えているらしい

K国では、前首相が竹島に上陸を強行したことがその原因と思っているかも知れんが

そーではないのだ

私は、日本人の思いがそっちの方向に大きく舵を切る決定的原因になったのは、今上陛下への侮辱と大不敬にあると観る

なんとゆー不心得者であろー、いまでも思い出すと怒髪天を衝く勢いである

>2014/03/05 12:34

Unknown

首相の靖国参拝、こんな政治的意図だったのかも?

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140305-00010000-biz_bj-nb

…… ABちゃんのご真意についての考察を貼りつけて下さりありがとうございました

「すべての物事には、最適の時期があるのだ。」

(*グルジェフ『ベルゼバブ』より)

K国に限らず、日本や黄色人種を快く思わない白人至上主義の信条…… 

オリンピックもまた例外なくそーであり、私たちは真央ちゃんを通して、それを知らず知らず追体験してきたのかも知れない

Maoが優勝出来ないよーに、敷かれた包囲網は次々とあからさまなルール変更をゴリ押しして来た

これらは、日本国に対する圧力であり嫌がらせでもある

『シューイチ』のコメンテイター・名越康文さんは云われていた

Maoの辿って来た苦難と挑戦の道のりは、ほとんどの国民が知っている

感情移入 (ができる事) は、人生を変えるそーだ

Maoへ寄せる国民の共感度は、長嶋さん以来であり…… 

日本人は個人的にも、彼女のあの復活のシーンを、

こののち何度も何度も反芻して、気持ちを新たにするだろーと…… 

彼女は、現代の日本に一つの偉大な神話をもたらしたのであると…… 

そーいや、あのフリーの衣裳はガッチャマンの『フェニックス号』を想わせる

科学忍法『火の鳥』である♪

彼女が日本代表として、受け止めた試練は誰人にもあてはまる

> …… 難しいプログラムをあえて選択した

その姿勢に、アスリートの本来あるべき姿を見た気がする。…()…

私は、アスリートの神髄は挑戦することだと思っている。…()…

浅田選手の4分間には、4年間の挑戦が全て詰まっていた。

五輪はメダルの行方ばかりが注目されがちだが、彼女の戦う姿に心を奪われ、その挑戦を見守った人が多かったのではないだろうか。

得点には表れない感動がある。

(*村主章枝さんの記事『スポーツ報知』2/22号より)

 

 

 

ロシアフィギュアスケート界の重鎮で、浅田真央の元コーチ、タラソワさんが、20日に行われたソチ五輪フィギュアスケート女子フリーを見て、「これほど素晴らしい演技はなかった。彼女は自分に打ち勝った。私のプログラムを演技してくれたことに感謝したい」と述べた。

ロシア民謡に出てくる幸せの小鳩、グルボーチカをイメージして(タラソワ女史が)デザインされた。

> タラソワも「男子のような演技をする真央は、私のスケートの概念を変えてくれた」とも語る。

「真央に勝てる選手なんか存在しない。あと10年間は真央が世界のトップに君臨する。」

いつだったか、真央ちゃんが十代の頃、(タラソワ女史は)こういってくれた。

> 「The Nicobar Pigeon(ニコバル ハト)」(和名:ミノバト)の名で知られるハトは、インド洋に浮かぶ絶海の孤島で発見された野生のハトです。

【ロシア🇷🇺の小鳩「グルボーチカ」って、こんな感じかな、ミノバト。】

 

⚫️ “ Passion, Grace & Fire ~ 情炎 ”  (玉の海)

2014-04-15(記事:2014-04-14

 

今朝のNHK『おはよう日本』に、なんと MaiMao姉妹が生出演されてたのには驚きました

仕事に出掛ける時間ゆえ録画しといて、さっき拝見しました

NHKも、なかなか乙なことをやってくれる♪

彼女らもまた、まだ若いにしろ凄まじい人生である

真央ちゃんのやり遂げたことは、『太陽の塔』に充分匹敵する偉業だとあらためて感じた

逆に云えば、『太陽の塔』は、それほどの強烈なヴィジョンを、ぼくら高度経済成長期の純粋少年にもたらしたわけである

ワクワクして、わけも分からず興奮して見入っていたのをよく憶えている…… 

 

 

⚫️ “ 結構な仕合わせ ”  (玉の海)

2014-03-30(記事:2014-03-30

 

あな嬉し 二日続きの 日章旗

ゆとり世代に 花咲く日本

¨

……  コメント欄で、伊勢白さんから「。。。これから、穀物酒は要注意。

これから飲めるのは、10年以上のウイスキーだと感じます。それか禁酒です。」

と警告があったのも知らず、ついに『カルヴァドス』を入手しました

グルジェフが、アルマニャックと共に「執筆の友♪」とされた蒸留酒です

カルバドス ( calvados ) とは、

フランスのcalvados地方で作られている、りんごから作った発泡酒であるシードル ( cider ) から作る、蒸留酒です。

ぶどうから作ったワインを蒸留して作れば、【ブランデー】。

リンゴから作ったシードルを蒸留して作れば、

【カルバドス】。

…… 別名「アップル・ブランデー」とも呼ばれるとか…… 

安息日・日曜の愉しき夕べのお伴として…… 

世界フィギュアのエキシビジョンを観ながら、厳かに一献傾ける心づもりでおります

真央ちゃんとゆづ君(共にゆとり世代)、おめでとうございます

町田樹君も素晴らしかったですネ

彼の、ソチで魅せたアイビー大学生風のエキシビジョンは、瑞々しい煌めきに溢れていました

ついでに云えば、C国の「ホウ・トウ」ペアの、まさに水の流れるよーな、目に優しい、東洋人ならではの静けさを湛えた妙演技も見事なものでした

今回の真央ちゃんには、いつもの「天上の舞」を感じました

典雅な腕の振りやら軽やかなシークエンス、躓きそーになった直後の御顔がまたよかったですネ

ほんに成長なさいました

Axel 3.5( プルシェン公の表記 )×3アクセルを完全にものにされた様です

今後どーなさるのか、かける言葉もありませんが

あの 復活の日 を、胸が痛くなるほどに見守った一ファンとしては、もはや押しかけ家族みたいなものです

他人事に思えない氣もします

つぎの段階に進めば、かの皇帝プルシェンコの辿られた蕀の道に踏み込むことになりましょー

彼はおそらく、カンナガラの滑りを体験なさったことがあるのやも知れません

まるで十年角力取りをやっていたかの如く、ボロボロになるまで体躯を酷使なさいました

あの五輪の晴れ舞台から、独り静かに立ち去ってゆく御姿には崇高なものを感じました

ロシアの皆さんの、静かな送り拍手も深く心に刻まれています

―4回転か、はたまた結婚~出産~復帰か

 

 

⚫️ “ 真央ちゃん会見 ”  (玉の海)

2015-05-19 (記事:2015-05-18

 

浅田 「うまくいけば試合に出られるかもしれないし、出られないかもしれない。」

…… 最近の子たちのよーに、無闇に短縮して「出れる」「出れない」なんて言われない処は、さすがは Maoちゃんである♪

なんや、おのれが注目したんはそこかいって、突っ込まれそーだが…… 

アマテラス オホミカミ

【ら】は太陽であった

「ら」抜きの日本語にはどーも抵抗がある、頂けない

昭和33年のご婚約会見での美智子さまのお言葉

「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて【行かれる】方だというところに魅力を感じ致しました」

…… 「行ける」でも、そんなに可笑しくはないが、

【行かれる】には、なにか品格が伴うよーに感じる

 

 

⚫️ “ 落差が美味しい ”  (玉の海)

2015-10-04(記事:2015-10-04

 

真央ちゃんの復帰戦、つつしんで拝見しました

今日の深夜も、BSジャパン『ネオスポ』で、荒川静香さんの解説付きで放映されます

練習風景も映し出されたが…… あまりにもさらりと、いままでになく軽やかに、トリプル・アクセル をこなされるので…… 

ソチ五輪の鬼気迫る舞がまるで嘘であったかのよーに、次元の違った滑りでありました

流石は、真央ちゃん♪

今回の『蝶々夫人』は天女の羽衣、滑らかに自然な流れ・キレ がありました

柔道のヤワラちゃん、女子レスリングの霊長類最強乙女、そして真央ちゃん…… 

これらの傑出した偉才と同時代に生まれ落ちた人々は、ある意味では不幸であろー

しかし反面、純粋にその競技を愛するが故に、精進を怠らず、心ゆくまで仕上げて臨む人たちにしてみれば…… 

競技の質をいやが上にも高める、これら好敵手と相見えることは、願っても無い歓びであるのに違いない

現に、ロシアのフィギュア女子にとって、日本の真央ちゃんとは憧れであり、彼女らの神(= 信仰対象 ) でもある

真央ちゃんは、若年にして酸いも甘いも噛み分けた女丈夫…… 

 

 

 

__ う〜む、真央ちゃんについては、かなりの字数を費やして書いているようだ。

まだまだ続く、「秋巻」🍂につづく。

        _________玉の海草