__ 古今東西、独創的なオリジナリティをもった、とてつもない楽曲は数々あれど、日本人の魂を揺さぶって止まない邦楽曲のマスターピースをここに置いておきたい。
澁澤龍彦に倣って、わたしの偏愛的作曲家論とでもいいましょうか。ご一聴願いましょう。
🔴 屹立する孤高の天才🪈
「どんだけ楽才あるねん!」と驚かざるを得ない尺八奏者・山本邦山
【 映画『悪魔が来りて笛を吹く』サントラ盤(1978)より 】
横溝正史のこの作品は、他の作品にみられるような没落旧家の家父長制に端を発する風味ではない。
玉虫伯爵や椿子爵という、華族制度の軋轢が事件を発生させる温床となっている、悲惨な物語である。
何か、この映画だけは『犬神家』や『八つ墓村』のような巨大なスケールが感じられなかった。
金田一耕助を西田敏行が演じたが、
脇役も小粒で、玉虫伯爵(小沢栄太郎)と鰐淵晴子が貴族として真に迫っていたものの、他はどんぐりの背比べみたいなもので、薄暗い椿邸の陰気な雰囲気と閉塞感が全編をおおっていた感がある。
あまりに悲惨な最期を迎えるから、かえって間の抜けた配役が功を奏したような具合である。
ひとり、山本邦山と今井裕(元サディスティック・ミカ・バンドのキーボード🎹)の創り出した、洒落乙なサウンドトラックのみが、救いがたい闇を照らし出していたという強烈な印象が残っている。
テーマ曲の、山本邦山作曲 「黄金のフルート」(22:05)は勿論神曲だが……
他にも今井裕の作曲になる、
「天銀堂事件」(14:07)
「金田一耕助西へ行く」(18:43)
「指」(26:12)
の三曲は、おそろしいほどの傑作である。
🔴 ひとたび耳にしたら忘れられない、
クラシック音楽のような荘厳なインストゥルメンタル曲
【 映画『魔界転生』(1981)サントラ盤より 】
この曲は、もう凄まじいというより外ない。
「転生五人衆」(13:59 より)
魔界五人衆のための楽曲なのだが、
このどこか神々しい趣きは、いわば「尺八のための組曲」みたいにクラシック作品のような厳格にして軽やかな響きがある。
この、尺八のかすれた音色での相の手がすこぶる佳い。
【「転生五人衆」ピックアップ、ジャケットの人形は、映画衣裳を手がけた辻村ジュサブローの作品。酒田市の山居倉庫内の『夢の倶楽』にも彼の真作が展示されていますよ。】
映画の予告編では、
魔人宮本武蔵と柳生十兵衛が、浜辺を疾走しながら剣を交える場面で効果的につかわれているが、なんとも時代劇に見事にハマって、身震いするほど興奮したものであった。
作曲は、人間国宝・山本邦山であるが、東京芸術大学の教授をなさってたこともあり、ジャズ界や現代音楽でも活躍なさって、完全に「和楽」の世界を超越してしまった感がある。
そして共作したのが、ジャズピアニスト菅野光亮(かんの・みつあき)と来ている。この御方もクラシック作品も手がける奇才なのであるから堪らない。
映画『砂の器』の、ピアノテーマ曲など悲愴な佳曲も創っておられる。まことに遺憾なのだが、過労のため44歳の若さで夭逝なさっている。
この「転生五人衆」は、まさに森羅万象を融合させて抽出した、神界魔界の天上音楽と呼ぶにふさわしい傑作であろう。
🔴 ブルース・リーのカンフー映画に刺激をうけた、拳法修行(自主トレ)するときに自分を鼓舞する楽曲
【 映画『少林寺』(1982)の、日本🇯🇵でのみ使われたテーマ曲】
この映画挿入曲は、香港版の正式映画には使われていない。いわば、日本で興行を打つときに勝手に付け加えた日本オリジナルのテーマ曲である。
作曲したのは「キース・モリソン」というペンネームをもった作曲家、
木森🌳敏之(1947〜1988)である。
代表作に、
岩崎宏美『聖母たちのララバイ』(メロディ🎵をちょっとパクった)がある有名作曲家だが、
【「火曜サスペンス劇場 フラッシュバックテーマ」も木森敏之作曲、つづく主題歌は、白井貴子『名前のない愛』です】
何故か香港カンフー映画の日本版テーマ曲をよく書いておられる。(香港製のサントラは、なにか中国的な古風なものが多いため、日本人の感性に合わないからだろう)
・ジャッキー・チェン『クレイジーモンキー・笑拳』(1980年、テーマ曲と挿入歌)
・ブルース・リー『死亡の塔』(1981年、「アローン・イン・ザ・ナイト」)
【上映当時、バッタもん映画とか詐欺映画とか云われた『死亡の塔』でしたが、闘う神ブルース・リーがどれほど信仰されていたかを如実に示すものです。ジャッキー・チェン『酔拳』の敵役で有名な黄正利(ウォン・チェンリー)がラスボスで、主役が唐龍🐉(タン・ロン)。お二人とも華麗な足技が得意な俳優でした。】
・ジャッキー・チェン『スパルタンX』(1984年)
ジャッキー・チェン『酔拳』のテーマ曲は、あの四人囃子が作曲した「カンフージョン」であるし、香港映画の日本公開版には日本で用意した挿入曲を入れるのが、普通であった。
このキース・モリソンの「少林寺テーマ曲」は、歌詞がなく、少林寺武僧の掛け声だけが勇ましく発されている面白い曲である。
実際の、嵩山少林寺(中国河南省🇨🇳)には、武僧が修練して、震脚(大地を強く踏み締める)のために床の煉瓦が凹んでしまっている僧堂があり、映画の撮影でも使われた。
そこで、主演のリー・リンチェイ(ジェット・リー)が中国拳法の套路(空手でいう「型」みたいなもの)を練習するのだが、その演舞のリズムに合わせて、この曲は作られている。
「ハッ、ハッ、ハッ‥‥ ハッ、ハッ」といった具合に、実に気合いをこめるのに都合の良い楽曲なのである。
当時、腕立て伏せ100回腹筋100回を毎日こなしていた私の源となっていたのは、ブルース・リーの映画でした。
【ブルース・リー映画のサントラ盤名曲集】
【ものまねのコロッケの名人芸】
【『燃えよドラゴン🐉』のテーマ曲を作曲した、ジャズの巨匠ラロ・シフリンのオリジナル・ポピュラー・アルバムより、「メモリー・オブ・ラブ」】
彼については、言い尽くされているが、是非とも一言いっておかなくてはならないでしょう。
(拙稿)> 類稀なるカリスマ振りに、歴代の狂信的ファンの方々が、最早語り尽くしている感があります
あまり云うこともないのですが…
如何に偉大な権現であったかに関しては、私も振り返って吐露する必要があるかも知れません
―『燃えよドラゴン~ Enter the dragon』(1973)が全米で封切られ、
それこそ一夜にして映画界の寵児~ハリウッドの本物のスター☆に成られたブルース・リーでしたが…
既にその時には、彼は此の世に生きておられませんでした (享年32歳)
いまの若い方々からすると、想像も出来ないかも知れませんが…
その当時、ジャズの大物黒人アーティスト(アート・ブレーキー)が来日され、羽田空港でのあまりに諸手を挙げた歓迎ぶりに涙したほどの時代なのです
つまり、いまや歴史にその名を留める彼のよーな大御所ミュージシャンでも、本国アメリカ🇺🇸では根深い人種差別の荒浪に晒されていたのです
それゆえ、真情からの尊敬と親しみを露らわした、日本のファンのことを、彼は終生忘れることはありませんでした
そんな時代でしたから…
ハリウッドでも東洋人の与えられる役は極めて限られていて、滑稽で屈辱的な役回りがほとんどでした
それすらも、あんまり需要がなかったのです
そんな逆境のなかにあって…
B・リーは、単身のりこんで、黄色人種を毛嫌いするアメリカ人を芯から感動させ、説得して納得させ…
アメリカ大衆の心を揺さぶり震わせるほどの映画作品を創り上げたのです
東洋の神秘性については、欧米の人々も、つとに感じ取ってはいました
しかし、あの映画によってまさに目の当たりにして、心底驚いたのです
人間の可能性に関して、著しく視野を開かれたと云ったら大仰でしょーか?
かくして、彼は『アジア人初の』スーパー・スター★と成りました
彼のオリジナリティが、問答無用に認められた瞬間でした
―振り返ると、私が初めて買った写真集は彼のものでした
エッチな写真集ではなかったことに驚いています
女体に関しては、神の最高傑作だとの認識は昔からありました
しかし、男の肉体や動きも、同様に「美しい」ことは、他ならぬ彼が教えてくれたのです
30前後の歳で、あれだけの言が云える彼です
深い精神性も帯びていました
もし急逝なさっていなければ、私の「外在神(闘神)」となったことでしょー
【できると思うからできる】(自分の肉体は自分で鍛えられる)ことを、彼が証明してくれました
当時の筋力トレーニングの際に、ラジカセで流していた曲は……
・ハーブ・アルパート「ライズ」
・映画『ロッキー』のテーマ曲
・映画『死亡遊戯』『ドラゴンへの道(作曲は、ジョセフ・クー(香港🇭🇰)』等々
この肉体の鍛錬は、勢い精神の鍛錬に傾き、つまる処オカルト神秘学への参入という、私の人生の土台をつくることになりました。
キース・モリソンの、規則正しい努力を促し、昇華するような情緒も伴う楽曲は、わたしの「修行」に甚だしい影響を与えたことを、いま噛みしめています。
ありがたかったです、厚く御礼申し上げます。
🔴 バリバリの洋楽ロックと津軽三味線との完璧なる融合、奇蹟のコラボレーション楽曲
【 角松敏生『レガシー・オブ・ユー』(1990)より 】
このアルバムは、角松のギター🎸プレイが冴えるインスト・アルバムなのだが……
どの曲も聴かせる名曲ぞろいのなかで、
「Tsugaru(KEIKO)」( 35:00 )が、飛び切りのオリジナリティを魅せる楽曲である。
細かいクレジットをご覧いただこうか。
>作曲・編曲 角松敏生
E.Guitar, Keyboards, Computer Programming: TOSHIKI KADOMATSU
三味線: CHIKUYO TAKAHASHI
Drums: SHUICHI“PONTA”MURAKAMI
Percussion: NOBU SAITOH
Bass: TOMOHITO AOKI
Rhythm Guitar: SHIGERU SUZUKI
A.Piano, Synthesizer Solo: SHINGO KOBAYASHI
Sax: MASATO HONDA
Synthesizer, Computer Manipulator: KANICHIRO KUBO
Guitar Sound Manipulation: YOSHIYUKI“BUTCHER”ASANO
…… 錚々たる名プレイヤー揃いでしょ。
そのなかで津軽三味線を奏でるのは、
三味線;高橋竹与女史(現・二代目高橋竹山)
である。
[※ 彼女が居並ぶ兄弟子たちを抑えて、二代目高橋竹山を襲名したのは、初代竹山の鶴の一声があったからである。当時、あたかも門付けしているかの如く三味線演奏だけで食っていたのは彼女だけだったのである。]
烈しいドラミングに、津軽三味線の反復がベース音のように、鳴り響くのである。ブルックナーの仏教的に反復する旋律のような触感が何とも云えない。
角松敏生の畢生の傑作かと存ずる。
音曲聴いてて、空を飛べたと妄想できたのは、シャカタク「テイキング・オフ」だけだったが……
角松の、この「津軽」はかなりの次元上昇というか、静かなる興奮をもたらしてくれたものだ。
勿論、この竹与さんだけではなく、初代の高橋竹山の妙音は、ワールドワイドに世界中を席捲したものだった。
東北の、埋没神の、艮(うしとら)の金神、日本国土の元々の国霊であらせられる
国常立太神の、ほんとうのご神威、地球をも呑み込む大渦(スパイラル)の螺旋力を感じさせて余りあるものがある。
遺伝子に流れる無念のおもいとは、重いものなのであろう。
1980年頃、LAの日系3世のフュージョンバンドで、「HIROSHIMA」という実力派グループが現れた。(現在も活動している)
琴とかの和楽器を華麗に奏でて、和服を着て日本舞踊👘のパフォーマンスをしたりして、米国🇺🇸では人気があったが、日本ではそれほど知られることがなかった。
グループ名の「HIROSHIMA」は、もちろん原爆の広島市に由来するのである。
その、人類の尊厳をかけた重さをあえて背負った処が、見事なまでの覚悟を示している。
A面;Cruisin' J-Town 0:00 〜混血の日本人街って感じ/Odori 3:19 /Echoes 7:57 /Winds Of Change 12:28 /
B面;Warriors 18:59 〜いくさ場を馬に乗って駆け巡る荒武者の感じ/Shinto 23:25 〜⛩️古社の奥の宮の感じ/All I Want 27:55 〜江戸の河岸の夕涼み(鏑木清方『朝夕安居』)って感じ/Fortune Teller 33:03
特に、和琴の音色が素晴らしく、このLP盤 『 Odori 』 は、純日本(物凄く情緒的なのに冷え然び)を感じて、おまけにいたって COOL 、わたしは大好きだった。
デビュー曲は、これだったかな。
琴をかき鳴らす女性奏者(ジューン・クラモト)の、
まるで飛鳥仏の如きアルカイック・スマイルが、なんとも素的なんですよ。
迫害されても大地に踏ん張る土性骨に、国常立太神(大魔神)の慟哭みたいな哀しみを観受する。
どこの国であってもそうだが、
日系移民というものは、「やまと心」の粋(結晶❄️)を次の世代の遺伝子🧬に受け継がせているかのように純朴である。
_________玉の海草