__ このCMは、面白いよね。
> 「呼んで呼ばれて、気がついたけどさ。
自分から名乗り出した奴なんて、いないんだよ!!」
…… 「当たり前だろ、そんなこと、アダ名はつけられるものでしょ」と私なら言いたい。
「ゆとり世代」が、一番文句つけたんじゃなかったかな、
「自分たちのことを、ゆとり世代って言わないで」と。
そんなこと言われましてもねえ……
ひとり一人の個性に合わせて、対応しろとでも言うの?
そりゃ、酷でしょう。
〇〇世代って、全体の傾向をつかんだ方が、やりやすいじゃん。
自分たちとココが違うのね、違うどころか、異次元の生き物なんだねと納得したほうが、絡みやすいと思うな。
「〇〇世代と言わないで」なんて、私は言いませんね。
私は、分類的には「新人類」と呼ばれたが……
「そんな風に先入観もたないで」なんて、思ったことはないね。
やっぱり、みずからの本質に自信があったのだと思う。
何とでも呼べばいいさ、と涼しい顔してたもんだ。
…… いいじゃん、「ゆとり世代」でも「Z世代」でも。やっぱりね、同世代に共通する顔立ちとゆーものはある。
その世代ならではの流行への熱量は、他の世代とは共有できないものだ。そして、それがその世代の「生き方」に大きく影響していることさえある。
例えば、「ガンダム」とか、「ビートルズ」とか、「ピンク・レディー」とか、「美空ひばり」とか……
その話題になると、異様に盛り上がる題材が各世代ごとに必ずある。
それに、物流革命なんかも影響するよ、例えば比較的に「肉🥩」を食わなかった東北地方で、物流の改革によって、豚肉や特に牛肉の流通が飛躍的に伸びた時代があった。
それ以降の世代は、やっぱり体格が違ってくる。
つまり、その時代の「時代精神」を象徴するものが必ずあるんだよ。
世間に先行する世代からみて、正直な感想が「〇〇世代」という呼び名にあらわれている、ってことでいいじゃない。
悔しいのなら、個人的にその「〇〇世代」への評価を覆してみたらよい。それだけのことじゃないだろうか。
自分の扱われ方に、敏感すぎるのよ。
扱い方を決めるのは、いつの世も力のある方である。
__ 世相を眺めると、「ソフト老害」という言葉もひとり歩きしてそうだから、また私の「世代論」として、拙稿をまとめてみようか。
🔴 20240214
戦わずして生き残られるのか
団塊の世代あたりの、全共闘世代は「戦争経験がない」から、若き知性でもって国家相手に戦った。
だから全共闘世代は、殴り殴られ、暴力というものに慣れている。ゲバ棒や拳でもって戦った世代である。
全共闘は大学生が中心にあったが、当時東京🗼の高校生だった坂本龍一は、早熟な知性で全共闘に参加している。
そんな坂本龍一が、西暦2000年を迎える頃……
病に臥せっていた父を励ますために、「エナジー・フロー」という曲を作った。
CMにも使われ、数多くの疲弊したサラリーマンを励ますことになった。この曲が坂本龍一の最大のヒット曲となる。
坂本の父・一亀さんは文壇では名を知られた敏腕編集者である。学徒動員で、戦争の現場を経験なさっている。
この厳しい父親と、坂本龍一は戦っていたのである。
晩年に、和解するような安らぎの曲「エナジー・フロー」を病床の父に贈り、一亀さんも気に入ってらしたようである。
つまり、戦前も戦後(全共闘1968〜9年)も、男は恒に戦っていた。
戦いに参加できなかった、「団塊の世代」の下の世代は、「シラケ世代」と呼ばれて、国に楯突くのは止めたが、今度は別のものと戦った。
そして70年代を迎えると、外で戦う者は「不良」に、心の内で戦う者は「オタク」に分断した。(山田玲司説)
いまのZ世代の、父も祖父も戦っていたのである。
それを見て育ったZ世代は、もはや戦わなくなった。
拳で殴り合う代わりに、格闘ゲームに興じるようになったわけです。実際のケンカは、したことがないのです。自己防衛もできないでしょう。
痴漢をされても、暴行をうけても、エレベーターに閉じ込められても、火事になっても、「助けて!」と大声で🆘を出すことができない。
周りを気にし過ぎて、自分の意見を言うことができない。仲間はずれにされるのが怖くて、言いたいことも言えない。
そんな、保護されることを前提とした、女性目線が「ホワイト社会」を形造る原動力である。
ホワイト社会では、「戦う者」は疎外される。
エジプト🇪🇬人の女性が言っていた、今の日本は「女尊男卑」だと。(サトマイも同意していた)
それで、日本は生き延びられるのか、はなはだ疑問である。
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❎ 20200215
リーマンさんの懐かしのギャグ
のたびに、読者に分断が起きているような風情がする。
中高年は、得意げに「知ってる〜♪」なんてはしゃいでいるし、
かたや、若者はつまらなそうに「そんなの知りません」と不満を鳴らす。
私らの世代(リーマンさんも同じ)は、もし自分が知らなければ、「恥ずかしながら存じあげないのですが、教えていただけますか?」と問うたものです。
いまは、「若者でも分かるように説明しないそっちが悪い」と言わんばかりに、その古臭さを馬鹿にしています。(ボンレスハムのCMは、YouTube で「1975-1987 ハム&ハンバーグ関連CM集」とか「CM 1983 丸大 ボンレスハム」でいまでも視聴できますよ)
「自分が知らない」ということに「恥」を感じなくなったのは、いったいどの世代からなのだろうか?
『バカせまい史』によれば、『ヘキサゴンⅡ』(2005)で初めておバカタレント枠が出来たということから遡って考えると、「ゆとり世代」の始まり(平成元年・1989年頃)に一致するかな。
「無知は罪」とは、アックンの世界でも金言なんじゃないの。
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❎ 20240215
年上を尊敬したい願望
リーマンさんが記事に懐かしの流行り言葉をのせるたびに、中高年から「知ってます〜♪」と嬉々として共感を寄せるコメが舞い込む。
これをみていて、ああ、相当下の世代から迫害されてんだなと。
世間の波に乗ろうと、時代から取り残されぬように、下の世代に合わせようと相当無理をなさっているのだろうなとひしひし感じられます。
西洋でいう「ノブレッス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」と同じように、日本にも『年上の義務』(山・田玲司著)というのはあります。
年下は、はなっから馬鹿にしようと思って年上を見ているわけではなくて、むしろ年上を尊敬したいと思っているという著者の感覚は、自分の若かりし頃を思い出しても共感できるものです。
年下からナメられないために、
年長者が最低限守るべき、三つの戒律をあげています。(山田さんは、時代の潮流を見透す、現代の詩人です)
・愚痴らない
・威張らない
・ご機嫌でいる
この三つだけです。
詳細は、
ゆうつべで「山・田玲司 【老害】年下から馬鹿にされる理由はあなたにある。」で検索して、13:20 から3分間だけでもごらんになってみて下さい。
こんなこと言うと、中高年を批判しているように受け取られるかも知れませんが、私自身初老です。
いま、私たちが若者から突き上げを喰らっているように、若者たちもその年下から「NO」を突きつけられています。世代間の断絶は、昔以上に深刻なものです。
30代であっても、10代からは相手にされていません。
20代ですら、10代にとっては異世界の住人かも知れません。
誰にでも、「年下」はいるのです。
いつまでも、「年下」で甘えられるわけはないのですから。
だから、全世代に向けた提言となります。
🔴 20240216
ソフト老害だって
ワイドショーで、スズキオサムが提唱した「ソフト老害」について特集していて、笑った。
最初は、50〜60代の老害ではなくて、40代でも老害を引き起こしているという趣旨だったのだが……
そのうち、30代にも当てはまるとなって、
更に20代後半ですでに、老害となっているという具合に話がすすんでいった。
こちらで、「親ガチャ」の件で老害扱いされた私だったが、
確かに40代くらいで、若者の代弁をして、私はわかるが老人には分からないと間を取り持つようなことを言っていた読者がいた。
若手を理解している気持ちになってずれている「若き老害」であるかも知れない。
> 【20代】「年齢が近いからこそ親身になってる感出して、口出してくるケースは感じます。『お前の気持ちわかるよ』っていう的外れなのはしょっちゅうある気がしますね」
[Yahoo!ニュース、高齢者だけじゃない『ソフト老害』が話題に 放送作家・鈴木おさむさん「40代でも行動次第では老害に」の記事より]
平成以降は、若者の意見が社会で重視されるようになった。なぜならば、若者の方が ITスキルが段違いに高かったからである。(会社運営上の理由なのだ)
本来なら、この時代だけの逆転現象だったのだが……
現在でも若者の視点に注目が集まるのは、少子化がすすみ子どもの数が少なくて、就職現場でも売り手市場だからに過ぎない。
若者の価値観至上で動く社会なんて、歴史上なかったし、異常であろう。
しかし、その若者も中堅になって、すぐに老害問題を引き起こす年齢になる。
いつの時代も人間のサガは変わらず、同じような世代間対立が繰り返されるが……
いまの時代は、世代間ギャップが非常に細かくなってきているそうだ。
20代であっても、10代には相手にされないこともある。昔の80年代でも、10歳差はまるで合わなかったものです。
老害、老害と非難していても、明日はわが身なのですよ。
しかし、いくら世代間で常識が違うとはいえ、先祖供養(親孝行)の大切さは変わらないでしょう。
都会で先祖供養している家が少ないのは、親が教えなかったからです、自分もしていないから教えられなかったのです。
だから若者の常識のなかに、「先祖供養する」という項目がないのです。
栄えている家庭は、何代もの家族が同居して、親孝行な家風であります。
新しい橋が竣工されるとき、渡り初めするのはそうした何代も続いている家なのも日本各地で共通のことでしょう。
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🔴 20240217
ソフト老害つづき
「老害」と呼ばれるのは主に50〜60代なのに、
「ソフト老害」とは、30〜40代、そして20代後半、
つまり【歳上だってだけで、老害認定される】ってことですね。
若者の気持ちが分かるよと、ほんとうに老害だよねと、若者に媚びる中間層が今回ターゲットにされたということで、
老害に対して、日頃自分たちが盾になって防いであげてるのに、後ろからグサリと刺された心地でしょうな。
でもそんな30代でも安心してください、数(人口)の上では、20代は30代に到底かなわないのです。
ついでに言えば、50代は第二次ベビーブームの生まれ(団塊ジュニア辺り)なので、40代に対しても圧倒的に多数(優勢)なのです。
ハラスメントはいけませんが、「若者に媚びる」必要は毛頭ないそうです。
ただ、感情的な反論ばかりで、「反証(エビデンス)」をあげないならば、若者と同様ですので、慎みましょう。
「20代以下だけで世の中全部回して行ける」はずもなく、若手はいま自分たちが「異様に大事にされる」のは何故なのかを考えてみるべきです。
後年、あなた方がした様に今度はあなた方がされます。
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…… 世代論というのは、面白いね。
さっきも言ったけど、その世代に特有の顔つきってあると思うのね。
例えば、80年代のアイドル顔には類型がある。
NHK朝のテレビ小説『あまちゃん』で、有村架純が一気に中年から受け入れられたのは、
1993(平成5)年生れの架純ちゃんが、昔のアイドル顔していたからなのである。
ほんとうに驚いたものだ、これ懐かしのフィルム使ってるんじゃないかと疑ったほどだったから。
有村架純は、そのまま80年代のアイドルでも通用しそうな顔立ちだったからである。
だから、世代間格差はもう仕方ないのよ。
これは摂理です。
でも、世代ごとに違う特徴があるからといって、それが何なの?
そんなに重要なことかしら?
〇〇世代は、言ってもいいし、言わなくてもいいし、そんな大した問題ではないのよ、本来は。
問題を大きくしているのは、いまの「打たれ弱い」若者なんじゃないかな。
受け手が「イヤな思い」をすると、それは自動的に「ハラスメント」だという、弱者保護のリベラル思想が根本にある。
いままでの歴史で積み上げられてきた、「女性が蔑視された怨み」は膨大な質量を帯びて、リベラル思想に反映しているのだろうね。
「ホワイト社会」は、コロナきっかけで浸透したのかも知れないけれど‥‥
やっぱり、草の根運動が実を結んだとも言えるわけだね。
心して、「ホワイト社会」に生きなければいけません。
まー、そんなに悪いことばかりでもないからね♪
とはいえ、旧態依然とした芸能🎭文化や職人文化は、壊滅的なダメージをうけることは間違いない。
「ホワイト化」は、都会化やハウス栽培化や無菌化の延長線上にある。
人間本来もっている野生化と、どっちに振り子が振れるか、ここ十年は注目するのも面白いかも知れん。
_________玉の海草
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