『 自然は全機する 〜玉の海風〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「生きてるだけが仕合せだ」🍎

 MJ を創り上げた 陰の天才作曲家 〜 ロッド・テンパートン

2023-11-28 17:33:38 | 天才列伝

__ 🪦RIP  ロッド・テンパートン(英國生れ、2016年歿)

このお名前を見ただけで気分が上がる⤴️

「ブラック・コンテンポラリー」そのものを創り上げた、抜群のメロディセンス〜

時代に刻印された職人作曲家。

日本🇯🇵でいえば、アイドル育成職人、名人芸を遺憾なく発揮なされた筒美京平のような御仁である。

 

ご自身は、ディスコ時代に流行ったグループ『ヒートウェイブ』のキーボードだったのだが……

ヒット曲「ブギー・ナイツ」を聴いたクインシー・ジョーンズが一目惚れして、何度もしつこくラブコールを送りつづけて、ものにした秘蔵っ子作曲家なのである。

クインシーは、欲しい人材(才幹)はすべてクインシー軍団に引き入れた。唯一の例外が、ルーサー・ヴァンドロスで、後年までも引き抜かなかったことを後悔したらしい。

 

そのクインシー軍団のなかでも、あくまでも裏方に徹しながらも、その抜きん出た作曲の偉才で燦然と輝いてやまないのが、ロッド・テンパートンである。

 

 

音楽ジャーナリスト・林剛氏によれば、クインシー・ジョーンズの自叙伝のなかで、ロッドはこう評されている。

 

〈真に最高のパートナー〉

〈戦場で誰もがそばにいてほしいと願う強者のような存在〉

〈常に完璧に準備し、戯言はいっさい口にしない〉

クラシックの作曲家の資質をもち、旋律や対位法に優れた才能を発揮するソングライターの最高峰〉

 

 

…… 複数のメロディーを独立して鳴らしながら美しい旋律をキープしてめくるめくようなグルーヴを生むロッドのアレンジ技法は、アーバンで洗練された 〈キラーQ軍団〉 のバッキングによってさらに真価を発揮していく。その究極がマイケルの “Rock With You” だったのではないだろうか。 by林剛

【この曲は、アルバムバージョンの3:41秒版でないと、美しい間奏を聴くことが出来ないのだ】

 

 

華やかなスター相手に万人受けする曲を作りながらも私利私欲とは無縁だったロッドは、徹底して音楽職人であり続けた。また、優れた作曲家であると同時に優れた作詞家でもあったロッドは、あらゆる状況に対応したリリックを書けることでも知られ、例えばクインシーの “Slow Jams” のようなブラック・ピープル向けの濃厚なスロウ・ジャムでも単独でペンをとっている。

言ってみれば 〈白人離れした〉 クリエイターでもあったのだ。 by林剛

【しかし、画面のクインシー御大に葉巻の似合うったらないね♪】

 

 

 

まー、音楽🎵というものは聴いてもらった方がはやい。

一聴すれば、これはロッドの楽曲だと即座にわかる。

ムーディで格調高い、オーケストラのような壮大な物語性が展開される、最高度に洗練されたなかに黒人のもつグルーヴ感も併せもっている、意表をつくアレンジが異世界に誘なってくれる、間奏や転調が華々しく、さいごまで極上の薫りにつつまれて終わるパーフェクトな仕上がり……

 

多感な時期に、あなたの「ブラックコンテンポラリー」に溺れて育った私は、仕合わせでした。

[ ※ ブラック・コンテンポラリー=結局のところ、白人が共感できるブラック・ミュージックのことだった ]

当時、カセットプレイヤーで鬼リピートするのは大変でしたよ、何十回と疲れるまで止めないのですから。

その頃、心身ともに奪われる楽曲が多かった80年代です。

後年にソングライト・クレジットを改めて見ると、これもロッド・テンパートンの作曲か、これも、これもかと呆れたものです。

 

これは、ロッドならではの作品で、他の追随をゆるさない佳曲をYouTubeにリンクしました。

どうぞ存分に、ロッド・テンパートンのサウンドに浸ってみてください。

 

 

 

●Songwriting creditswikiより、一曲加筆)

 

Heatwave :

"Boogie Nights," "Always and Forever," and "Ain't No Half Steppin'," from Too Hot to Handle, 1976; "The Groove Line" and "The Star of a Story" (covered by George Benson on Give Me the Night, 1980), from Central Heating, 1977;

"Razzle Dazzle" and "Eyeballin'," from Hot Property, 1979; "Gangsters of the Groove" and "Jitterbuggin'," from Candles, 1980;

"Lettin' It Loose," from Current, 1982; and more

 

 

Michael Jackson :

"Rock with You", "Off the Wall," and "Burn This Disco Out," from Off the Wall, 1979;

"Baby Be Mine," "Thriller," and "The Lady in My Life," from Thriller, 1982;

"Someone in the Dark," from the E.T. the Extra-Terrestrial audiobook/soundtrack album, 1982; and "Hot Street," an outtake from Thriller

 

 

☆Rufus :

"Masterjam" and "Live in Me," from Masterjam, 1979

 

 

The Brothers Johnson :

"Stomp!," "Light Up the Night," "You Make Me Wanna Wiggle," "Treasure," "All About the Heaven," "Closer to the One That You Love," and "Celebrations," from Light Up the Night, 1980

 

 

 

George Benson :

"Love x Love," "Turn Out the Lamplight,"  "Give Me the Night", and  “Off Broadway” from Give Me the Night, 1980; "Family Reunion," from Songs and Stories, 2009

🔗Love X Love(邦題:「愛の幾何学」、う〜む渋い♪)

🔗Give Me the Night

🔗Off Broadway

(この佳曲は、神の傑作 masterーpiece だとおもう。洗練された大人のグルーヴ)

 

 

 

Patti Austin :

"Do You Love Me?," "Love Me to Death," "The Genie," and "Baby, Come to Me" (with James Ingram), from Every Home Should Have One, 1981

 

 

Bob James :

"Sign of the Times," "The Steamin' Feelin'," and "Hypnotique," from Sign of the Times, 1981

 

 

☆Herbie Hancock:

"Lite Me Up!," "The Bomb," "Gettin' to the Good Part," "The Fun Tracks," "Motor Mouth," and "Give It All Your Heart," from Lite Me Up, 1982

☆Donna Summer:

"Love Is in Control (Finger on the Trigger)," "Livin' in America," and "Love Is Just a Breath Away," from Donna Summer, 1982

 

 

The Manhattan Transfer :

"The Spice of Life" and "Mystery" (covered by Anita Baker on Rapture), from Bodies and Souls, 1983

🔗Mystery

(この圧倒的な情緒、ゴスペル・シンガーだったアニタ・ベイカーが歌うとまるで「讃美歌」である)

 

 

☆Mica Paris:

"You Put a Move on My Heart," "Love Keeps Coming Back," "We Were Made for Love," and "Two in a Million," from Whisper a Prayer, 1993

Siedah Garrett:

"Grooverre of Midnight" (originally a demo for Michael Jackson's Bad), "Baby's Got It Bad" (a rewrite of "Got the Hots," an outtake from Thriller credited to Michael Jackson and Quincy Jones on the Japanese edition of the album's 25th-anniversary reissue), and "Nobody Does Me," from Kiss of Life, 1988

 

 

Quincy Jones :

"The Dude," "Razzamatazz," "Somethin' Special," and "Turn On the Action," from The Dude, 1981;

"The Secret Garden (Sweet Seduction Suite)" and "Back on the Block," from Back on the Block, 1989;

"Slow Jams," from Q's Jook Joint, 1995, which also features covers of "Rock with You," "Stomp!," and "You Put a Move on My Heart"

🔗Stomp!

(このグルーヴには脱帽した、まるで意気消沈してる時でも身体が揺さぶられる。ブラザーズ・ジョンソンの「ストンプ」と比べても、まるで別物の感すらある。クインシーのプロデュースはここでも冴えている)

【まったく、悪い顔相している。大御所クインシー・ジョーンズは、かつて魔性の美人女優ナスターシャ・キンスキーの伴侶だったことがあるんだよ、モテるんだねえ♪

ジブリ音楽の巨匠、久石譲の名前の由来が、尊敬するクインシー(くいし=久石)・ジョーンズ(=譲)をもじったものだと聞く。クインシーは、もともとジャズ・トランペッターだったはず。やっぱり目立つのが好きなのかしら】

 

 

☆James Ingram: "One More Rhythm"

☆James Ingram and Michael McDonald: "Yah Mo B There"

☆Michael McDonald: "Sweet Freedom"

☆Klymaxx: "Man Size Love"

☆Jeffrey Osborne: "We Belong to Love" (also produced by Temperton)

☆Aretha Franklin: "Livin' in the Streets"

☆Javaroo: "Change It Up"

☆Second Image: "Lights Out"

☆Stephanie Mills: "Time of Your Life," "Hold On to Midnight"

 

 

Karen Carpenter :  「カーペンターズ」の妹御

"Lovelines," "If We Try", from Lovelines, 1989, and Karen Carpenter, 1996

 

 

☆Wayne Hernandez:

"Dancin' on the Edge," "Let Me Call You Angel," "Fazed Out"

☆Tori White: "Make It Home"

☆Lââm:

"Fais de Moi Ce Que Tu Veux", "Love's in the House Tonight"

☆Mýa: "Man in My Life" (cover of Michael Jackson's "The Lady in My Life")

LL Cool J featuring Boyz II Men: "Hey Lover" (listed as cowriter due to sample of Michael Jackson's "The Lady in My Life")

☆Angie Stone: "Lovers' Ghetto" (listed as cowriter due to interpolation of "The Lady in My Life")

☆C+C Music Factory: "Share That Beat of Love" (listed as cowriter due to interpolation of "Rock with You")

☆Mariah Carey: "I'm That Chick" (listed as cowriter due to sample of Jackson's "Off the Wall")

☆Various Artists: "We Are the Future"

 

 

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__ 思えば、ロッド・テンパートンが他界なされた2016年は、大変ショッキングな年であった。

わたしの精神を型作った恩人といえるミュージシャンが次々と亡くなった。

 

モーリス・ホワイトは、ブラック・ミュージックの扉🚪を開けてくれたひと、プリンスは高校生の頃から聴いている。(渋谷陽一の『サウンド・ストリート』が初聴だったかな)

 

ブラック・コンテンポラリーの醸し出す「アフリカン・ビート」に、当時心身ともに陶酔したのだ。

音楽関係者から、天才と称賛されたロッドの職人技も、アフリカン・ビートとクラシック・オーケストレーションが融合された稀有な稟質をかねそなえていた。

黒人以上に、黒人の魂がわかる白人‥‥   ロッド・テンパートンの蔭働きは、音楽の歴史を動かしたのである。

メロディーにはとことんうるさい私だが…… やっぱり最高峰に位するのはロッドの楽曲かしらね。

ハイセンスなのに、人間性・徳性も高いのよね。(抜けたヒートウェイブには、後々まで楽曲提供している)

     _________玉の海草

 

 


 「脳力」の覚醒〜 パラ陸上 マルクス・レーム選手

2021-09-07 02:42:00 | 天才列伝

__オリンピックとパラリンピック

目指す処は同じだから、交わってもよいはずだが、なかなかそーはならない

ハンディキャップの有る人と無い人とでは、同じスタートラインに立てない

同じ条件下での競技とゆーのは、難しいとゆーより、あり得ない

ところが、ハンディとなるはずの義足が、高性能すぎるのではないかと「ドーピング」扱いされるほど、物議をかもしている選手がいる

そんな、ド外れた選手〜  パラ陸上の走幅跳びの世界王者マルクス・レーム選手 (ドイツ)みたいな「異能」(孫正義が提唱)のひとが顕れると、目の前に広がる世界最高の競い合い(本来はオリンピックだが)の様相が俄然面白くなる ♪

   【画像:「パラサポWEB」より】

 

あの、ケンタウロスの脚を思わせる、カッコイイ義足で踏み切って、なんと8m48cm(2018年)…… いや、今年6月の欧州選手権では、8m62cm (2021年)

健常者のオリンピック金メダリストの記録を凌駕してしまった

このレーム選手、ただのアスリートではない

 『Mr. サンデー』で、東京大学大学院の中澤公孝教授が2016年にマルクス・レームの脳をMRIで検査した際の画像が映し出された

レーム選手は、右に ブレード(競技用義足) を付けているので、通常ならば左脳で制御する交差反応が出るはずなのだが…… 

レーム選手の場合、右脚なのに右脳も大きく活性化していたのだ、それだけではない、健常者のアスリートと比べても、競技の際につかわれる脳の部位が左右とも広範囲ではるかに多いのだ、身体の欠損を補填するために、脳の使い方も再編成される…… 中澤教授は、この現象を 「パラリンピック・ブレイン」 と名付けておられた

レーム選手は、そのブレードが板バネ構造となっており、健常者の膝の跳躍力よりも有利なのではないかと疑われて、健常者の競技大会には出られないでいる

オリンピック委員会は、その「ブレード」が競技に与える影響を自ら調べることなく、パラ選手個人に「ブレード」による有利さは無いと証明せよと、意地悪にも難問を突きつけている有様である

たしかに、凄い反撥力を生むブレードだと見てわかるが……  ブレードを付けた選手の誰もが健常者なみの記録を出しているわけではない

8mを超えるジャンプは、レーム選手しか成し遂げていない

つまり、そのブレード(板バネ)の使い方が、世界最高の熟練度なのだと思う

膝から下が無い状態で、ブレードに慣れるだけでも至難の業である

そのブレードの反撥力を最大限まで引きだす踏み切り方は、凄く難しいのだと云ふ

レーム選手は、ブレードのある脚で踏み切っているから、尚更であろー

いったい如何なる修練を積んだものだか、これは達人技だと直観した

 

そもそも、何が彼をココまで駆り立てるのか?

これは、道元さんが「修せざるにはあらはれず」と仰った消息ではないかと私は思った

天台(比叡山)の本覚思想に疑問を抱き、本来仏ならば何故修行するのかを突き詰められた道元さんである

この大疑団に対するお応えが、上記の「修せざるには顕れず」なのだが…… 

さっと、当時(道元さんは西暦1200年生れ)比叡山に参集していた僧侶が、どのよーな心持ちで仏道修行に打ち込んでいたか、遡ってみよー

(拙稿)>道元さんは、比叡山での二年間の修行時代

衆生本来仏であり、すでに悟っているものであるなら、

どうして今さら真理を求めて修行しなければならないのかと

大疑団を起こし、随分と懊悩された挙げ句、遂に叡山を下山されている

『涅槃経』にある「 一切衆生悉有仏性 、如来常住無有変易」(すべての存在には仏性があり、仏は常に存在して変化することはない)…

『法華経』譬諭品第三にある、釈尊のお言葉、

「今此の三界は皆これ吾が有()なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり」

(この世も衆生も皆、私自身であり、私の子なのだ)

あらゆる存在は仏(如来)を宿すとゆー 如来蔵 思想である

天台宗の「本覚」に云う「草木国土悉皆成仏」 (草も木も皆、仏である)

真言宗(空海)では、「即身成仏」 であり「法身説法」に繋がる

つまりは、すべての存在に仏性がある以上、いつかは誰でも仏に成れるとゆー認識である

本来が尊き仏性を有するのに、なにゆえ苦労して修行なぞせねばならんのかとゆー至極もっともな疑問であった

 

‥‥ その疑問に対する道元さんのお応えが、『正法眼蔵』弁道話の内にある、曰く

この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、

いまだ修せざるにはあらはれず、

証せざるにはうることなし

はなてばてにみてり…… 

《私注》 この仏法(仏の叡智・真理の法)は、人皆々の身上に豊かに備わっているというものの、

未だ修行しないことには現れることなく、悟りの境地に至らないことには(仏法の奥旨を)得ることがない、

放てば手に満てり(握りしめているものを掌から手離せば、総てを手に入れて満たされるであろう)

 

‥‥ 面白い宗教評論を書かれる「ひろさちや」さんのご見識も窺ってみよー

「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。

身心脱落 させるのです。

そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。

 

道元は、如浄の下でそういう悟りに達したのです。

だから、わたしたちは、悟りを得るために修行するのではありません。

わたしたちは悟りの世界に溶け込み、その悟りの世界の中で修行します。

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。

「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる。それが道元の結論です。

 

‥‥ 「放てば手に満てり」は、ヒンドゥーのアドヴァイタでは 「自我を手放せば真我に満たされる」 とも読み取れる

映画『パラサイト 半地下の家族』で、いい加減な親父が云っていた秘訣にも繋がる

> 「なあ、絶対失敗しない計画って分かるか?

‥‥ 無計画だよ、無計画。
“ NO PLAN ”

…… なぜか?
計画したら… 必ず… 計画どおりに行かないのが人生だ。
ここもそうだ。…… (略)…… 
だから、人間計画すべきじゃない。
計画がなければ、失敗することもないし、それに……
そもそも何の計画もないから、何が起きても気にしなくていい…… 」

‥‥ 「人生に意味は無い」、人生に意味を求めると、どーしても人生を限定してしまうのが真実らしい

「放つ」と「手に入れる」ことが出来るとゆー逆説は、「急がば廻れ」も同じ消息だが…… もーひとつ、三島の龍澤寺(東嶺禅師開山)の 山本玄峰 の法嗣である、東大出身の禅僧・中川宋淵 師が面白いことを云っておられた

[※ 伊勢白山道の見立てに拠れば、山本玄峰は栄西禅師に似た「政僧」であるが、力量のある禅匠で、終戦当時は、鈴木貫太郎首相が参禅の弟子であり、「玉音放送」にある「耐え難きを堪え、忍び難きを忍び」の一節は玄峰老師の言葉を採ったものだと云われる]

 

さて、「蚊に血を吸われない為には、どうすれば良いか?」

この公案の答えは、「自主的に自ら進んで、蚊に血を吸わせてあげる」ことである

まー、戯れ言みたいな風情(法隆寺を建てたのは誰か?ー聖徳太子✖️ー大工○みたいな)は免れないかも知れないが…… 臨済宗の専門道場の師家(禅マスター)はいたって真剣なのである、彼らは決して自分に寄ってきた蚊を殺すことはない、禅僧としての戒律を守っているのである

 

ーレーム選手におかれましても、足を失って義足で補って尚、世界ナンバーワンの記録に挑戦する、その志は「自ら限界を設けない」処にありはしまいか

「修せざるにはあらはれず」、彼は記録に露わした

やっぱり、握っていたものを手放したのだと思う

脳のつかう部位を変更させるほどの精進、わたしには宮本武蔵と同じ匂いがする

そのくらいの偉業なのではないかと…… 

彼しか、その精妙な身体の操りかたをマスターしていない、ブレード足で8mを跳べるのは彼しかいないことが、それを証明している

身体の欠損を補うために義足をつけて、それに適応する身体を造り上げ、欠損する以前よりも素晴らしい記録をつくる

カンタンに云ったが、到底人間業ではない、まるで夢物語である

『攻殻機動隊』 とゆーアメリカでも大ヒットしたマンガがあったが……  主人公 草薙素子 は、「義体」と云って「脳」以外は機会仕掛けのアンドロイドなのである

人間とアンドロイドの合体ゆえの葛藤がテーマのよーだ、素子もまたどこまでも「人間の限界」を越えて突き進んでゆく

マルクス・レーム選手のよーに、義足の方が高い運動能力を発揮できるのなら、軍事利用されるのではあるまいか、最早個々の肉体をつかった白兵戦は行われないであろー

人型AIアンドロイドか、補強パーツ(戦闘スーツ)をつけた人間との地上戦となろーか?

そんなところまで、突き詰めて人類に考えさせた一点だけでも、レーム選手は突き抜けた、伝説のアスリートである

オリ・パラ東京大会では、惜しくも、健常者のオリンピック金メダリストの記録には及ばなかったが、パラリンピック3連覇おめでとう 🎊

【この静謐たる佇まい、只者ではない】

 

マルクス・レーム選手、わたしはあなたの天才を愛する

         _________玉の海草

 

 


 幕末最強伝説 🇯🇵 〜 鬼の惣角

2021-08-18 19:23:00 | 天才列伝

__幕末のナンバーワン剣士は、誰か?

 

幕末は、「戊辰戦争」でも近代銃器での戦闘が多かったとはいえ、国史上最後の内戦にして白兵戦だった「西南戦争」であっても日本刀での戦いが多かったし、倒幕派と佐幕派との熾烈な政治的暗躍もあり、双方で凄腕の刺客を放ち、刀による死闘となったわけである

黒船来航して、そんな社会風潮も加味して、260年振りくらいに、腕利きの剣客が重宝される時代となった

「新撰組」は、天然理心流の名を高からしめて、三段突きの沖田総司や実戦に強い土方歳三近藤勇のカリスマ性がクローズアップされた

竹刀を使った剣術道場も、武士だけでなく町人の間でも盛んとなり、数々の名人を産んだ

一刀流系統では、中西派に寺田五郎右衛門白井亨、「音無しの剣」の高柳又四郎浅利義明千葉周作など名だたる剣豪を産み、北辰一刀流の道場からも無刀流開祖・山岡鉄舟が出ている

その山岡が、千葉道場の若き麒麟児・海保汎平をまったく寄せつけなかった老年の剣客・中村一心斎(神道無念流〜不二心流開祖)を当代随一と尊敬していたし…… 

兜割りの榊原鍵吉(直心影流)や剣聖・男谷精一郎島田虎之助、異色の剣豪だが加藤田神陰流の大石進(九州から江戸に乗り込んで大規模な道場破りを成功させる)にしても、地方の道場で磨いた腕が生半可な実力ではなかった

「薩摩の初太刀は外せ」と、非常に警戒された野太刀自顕流(示現流の分派)の猿叫を伴う切り上げの必殺剣…… 悠長に剣技を習っている余裕はないから、ちょうど中国の洪家拳のよーに急拵えの即成剣士も少なくなかったであろーが、ともかく剣客にとって群雄割拠の幕末ではあった

 

ーさて、武芸十八般、刀や薙刀に槍・鎖鎌などの武器術でも組打ち(レスリング)でも関節技や当て身(パンチ・キック)や暗器(秘密の武器)まで、なんでもござれの「バーリ・トゥード」で、反則OKで決闘した場合…… 

条件なし(ルール無用)でのストリート・ファイトで、いったい誰が最強であろーか?

伊勢白山道は、この問いに応えて、鬼の転生者・武田惣角に敵う者は誰もいないと明言されています

[※  伊勢白山道からの「切り取り引用」は厳禁されていますので、私の理解の範囲内で伝えます]

 

いまや「合気道」として、世界中で修練されている武道の源流である「大東流合気柔術」の中興の祖と云われる(実際は創始者であろーと云われている)、一代の武才・武田惣角の武勇伝を追いかけてみよー

 

 

(拙稿)>幕末、新撰組の前身とも云える「浪士組」には、腕に覚えのあるさまざまな流派の道場主やら師範代、免許皆伝者が多数応募してきたものだと云ふ

とゆーのも、呼びかけた求人主たる清河八郎が、北辰一刀流の名の知れた剣客だったからである

千葉の小天狗と称された千葉栄次郎(千葉周作の次男)道三郎(三男)につぐほどの剣の冴えで、山岡鉄太郎は道友であった

清河八郎は師・周作の分かりやすい指導をうけて、驚くことに一年で初目録までゆるされ、ほぼ10年かけて二代目栄次郎から免許皆伝を受けている

この、天才剣士栄次郎(たぶん生涯無敗)から同じように指導を受けた人に、のちの「突きの名人」下江秀太郎(18481904)がいる

19歳で北辰一刀流玄武館の塾頭となったほどによく出来て、

明治維新後は警察の撃剣世話係を務めるが、とにかく無茶苦茶な強さで、特にその突き技は人間離れしていたと云ふ

[※『対談 秘伝剣術 極意刀術』BABジャパンより]

 

大東流合気武術の佐川幸義(武田惣角の後継者)によれば、武田惣角翁(1859〜1943)が「合気」をやり始めたのは四十歳からで、それまでは剣で身を立てた、一流の剣客(会津で一刀流の免許皆伝、佐々木只三郎が修めた神道精武流も学び、新陰流系の直心影流、渋川流柔術も修得)であったと云ふ

佐川先生に次の発言がある

> 「大先生(惣角)の偉大な太刀は 柳生流とか一刀流とか小野派一刀流とか直真陰流とかいう流儀を超越したそれ以上のものであったと確信しております。

明治の年間 仙台で下江秀太郎の籠手を初太刀一本取りの御話は何回となく大先生に聞きました。

この場合の出方はこの様に出る等の御話もききました。

大先生の門に入った下江秀太郎は、御承知の如く、北辰一刀流の達人で、警視庁の剣道師範時代、あの高名な【榊原健吉】と立会っても寄せつけず榊原はぜんぜん下江には歯が立たなかったという実話を、当時の巡査より聞きました。

 

‥‥ あの、兜割りと撃剣興行で有名な、直心影流の榊原健吉が敵わなかった力量となると、更にその下江に勝った惣角翁の実力たるや…… 新天流槍術の天才・上遠野某を一瞬に倒したとゆー武勇伝もある

とんでもない剣の達人と云えよう

佐川先生は、あの 中里介山『大菩薩峠』の盲目の剣客・机龍之助のつかった甲源一刀流 であるが、二刀も遣われた

> 「武田先生の片手斬りは凄かった。剣を教わったが足運びが全然違った。武田先生は『勝負は一本、前へ出れ』とよくいっていた」

> 「どれほど剣の修行をしても、剣、とくに片手斬りでは武田惣角先生にはどうしても及ばなかった」

 

‥‥ この、惣角の「片手斬り」の秘術こそ、新陰流の秘伝『八寸の延金(のべがね)』だとゆーのだから驚きである

真新陰流の小笠原玄信斎(徳川家康の兵法指南役・奥山休賀斎の後継者)が明国に渡り、張良の子孫と交換伝授して手に入れた中華戈術の秘伝が『八寸の延金』と云われ、この間合いを誤魔化す秘技は、高弟・神谷伝心斎を通して直心影流へと脈々と伝承されていたのである

下江秀太郎からボロ敗けした榊原健吉は、自分の道場の内弟子(惣角)に『八寸の延金』を伝え、北辰一刀流への意趣返しを目論んだのではないかと私は推測している

もくろみは見事にあたり、惣角は天才剣士・下江から初手で小手を取る

ただし、その一本だけでその後は引分けている

佐川先生が描写する武田惣角翁の剣術を見てみよー

> 「武田先生の片手斬りはすごかった。背が小さい(147)から自分で工夫したのだろう。シュッとのびて小手を横から斬ってしまう。すぐ手を持ち替えてしまう。

武田先生の剣は足が違うのだ。剣でも持ち替えると同時に足が動く。足さばきで相手はよけることが出来ないのだ。

右小手(内小手)を足さばきで斬ってしまう。武田先生の剣は構えている正面から手首をまっすぐ斬ってきて、次の瞬間、左右に手を返し、内小手を斬ってしまう。

武田先生は一刀流の形を学んでいて、良いところは自分のものにしてしまい、他は捨ててしまう人だった。先生の斬りかたは、よく考えたら一刀流のある形の応用なのだ。

武田先生は正面から敵の後ろ首を斬るくらい手を返していたので、手首を返すことを練習していたのだ。

姿勢が一番大切だ。武田惣角先生に口で教わったわけではないが、先生がまっすぐにしているのを見て気づいていったのかも知れない。

武田先生は極めるときは、びしっと極めた。崩す合気はあったが、私のようにどこでも掴まれたところで力を抜いてしまう合気はなかった」

‥‥ 「合気」をつかった比類なき大東流剣術 についても触れている

「合気で敵の太刀の力を抜いてしまうのだ。いまの剣道では竹刀と竹刀を合わせて攻めあいをしているが、真剣勝負ではお互いの太刀を合わせてはいけないはずである。

達人になれば、合わせた瞬間、これを好機として利用して入ってくる。剣を合わせるとは、橋をかけてやっているようなものだ」

 

‥‥ 昔の武芸者は、けっこう他流の得意技に詳しいものだ(一刀流「切落し」、新陰流「合撃打ち」、柳剛流「脚薙ぎ」、無外流「指切り」等)

なにせ、命懸けの仕合いになるわけだから、同門の師弟間では、かなり正確な情報が共有されていたものと見ゆる、他流試合も多かったからである

しかし、武術家は弟子にすべてを伝授することは、本来ありえない事である

なぜなら、その技で弟子から襲われたときに、返し技を持っていなければやられて仕舞うからだ

佐川先生も云われている

> 「武術というものは全部を教えるものではない。

一番大切なところは決して誰にも言わない。そこは自分が真剣勝負に使うやり方だ。

次の段階を一子相伝する。

更にその下を気に入った数名に教える。武術とはそういうものだ」

[※ 津本陽の遺作『深淵の色は 佐川幸義伝』より引用]

 

‥‥ 最近の研究で、武田惣角は中川万之丞とゆー密教行者から「易」を習ったと云われる

そのため直弟子の佐川幸義も、惣角翁の歿後、かなりの年数を「易」の研究に当てていらした

「宇宙天地森羅万象のすべては融和調和によりて円満に滞りなく動じているのである。その調和が合気なのである」(佐川道場訓)

森羅万象は万物流転と共にある。

‥‥ 易は「中庸」を重んじる、つまり「調和」があるべき姿である

なんでも惣角によらば武術と易占には同じ理があるとの事である

伊勢白山道のリーディングでは、惣角翁は身の回りの物を何でも刃物に変えてしまうよーな容赦のない人で、忍者の教えも受けているとの事

忍術といえば、上記の密教行者の秘伝でもあろーか、佐川先生は惣角師に「壁抜けの術」は出来るかと直接問うて一蹴されているが……  忍者の隠形術らしき技は目撃なさっているし、「千里眼」のよーな超能力を発揮された時も現場にいたらしい

「相手がどう斬ってきても、相手の後ろにくっついてかならず斬れる位置につくやりかたがあるのだ」

‥‥ 惣角翁の身につけた技は、しかし「武道」ではない

危険な急所攻撃や致死技で、受け身もゆるさない殺人のための技だと伊勢白山道では云われていました

ただし、弟子(植芝盛平、佐川幸義等)の段階で緩和されて別物になっていると…… 

当の惣角翁は、そんな「武」の扱いを苦々しく思っていた節がある、なにせ健康目的で稽古したい者には教えない御方なのだ、あくまでも「武」とは強くなるためにやるものだとゆー信念をお持ちなのである

「武田先生と嘉納治五郎先生は同じ1860年の生まれで、話は聞いていました。

その時分、武田先生が、嘉納のやつが、柔術を「道」にして、やったはいいけれど、昔の柔術を忘れてしまった、と言っていましたよ。」

[※  久琢磨『合気柔術から合気道へ』より]

‥‥ 講道館四天王の西郷四郎(得意技が「山嵐」で、小説『姿三四郎』のモデル)は、同じ会津藩御留流「御式内」の相弟子である

惣角翁から、大変な苦労の末に、技を見て盗み進化させていった佐川先生であったが、そのお姿は武道家とゆーよりか真の武術家であった

自分が鍛えている姿でさえ、決して弟子に見せなかった

武術家(武芸者)は、いつ何時斬りつけられても応じるし、場所も選ばない、ルール無しの戦闘で生命のやりとりをする

「敵が太刀を前に出したら、切先を殺しておいて突いて出ること、太刀をはたき落して突いていくことなどが基本だ。

真剣の場合は突くことが第一だ。斬るのはそのあとでいい。斬るより突くほうが速いのだ。

本当の勝負の場合は、身体で相手のふところに入りこむ。勇気というのではない。飛びこんだ相手のふところの内が極楽である。地獄に飛びこむのではない。

恐ろしいという思いを捨てて、そこに入れば勝つという思いを心に持つ。この境地にならなくてはいけない」

「合気は力を入れてはだめだ。力は抜くが気は抜かないのだ。お互いにやって、頑張り合うと、これは出来るはずがないと思ってしまうでしょう。ところがこれが出来るのだよ」

体捌きのご注意で、

「体をかわすのが早いと相手についてこられてしまう。突きなんか自分の皮膚に触れてからでも間にあうでしょ」

と言われたことがありました。このとき、やっと自分が突いた拳の先が先生のカーディガンに触れた理由が、これだと分かりました。

> 「合気の技は純粋な技術で、宗教性、神秘性などはまったくないのだ」

「 合気  心ニ至レバ  我ナク人ナク生モナク死モマタナシ 」

 

 

‥‥ 「合気」で投げられることは不思議な体験だそーで、投げられた方は徐々に身体が強くなり、その後投げられにくくなるのだそーだ(佐川先生談)

あるとき先生が、「彼を強くしよう」といって彼を

何回も投げ始めた。一週間くらいたつと、先生以外、彼を倒せる門人がいなくなってしまった。

体の密度が上がり、芯ができて崩れなくなってしまったのだ。

‥‥ そんな合気を、おそらく密教の気合術をヒントにして身につけ、わずか一代で実戦でつかえる処まで発展させた武の偉才・武田惣角は、幕末最強の武人にふさわしかろー

たしか素手の当て身を探求する場合でも、わざわざ当時の沖縄にまで「武者修行」で渡って、現地の名人から学んでいる

[※  沖縄の地で、惣角師が琉球唐手の達人から「二段蹴り」を喰らったとの言い伝えがあり、その達人とは、「本部の足蹴り」の異名をとった本部御殿手古武術第11代宗家の本部朝勇(1857-1928)師ではないかと推測されている]

剣の卓越した武技、長物(槍・薙刀)から小太刀から素手の組討ち(体術)まで、あらゆる武器をつかいこなし、瞬間催眠のよーな行者の気合術もマスターして、忍術までこなした上に、独創的な「合気」を創始した、稀代の「武」の達人である

 

宮本武蔵も、二階堂主水の「心の一方」とゆー「不動金縛りの術」に似た心法には要慎して近づかなかった、警戒して避けたのは、武蔵自身が「縮みの術」をつかったからであろー(気合で威圧して追い詰めることが出来た)

武者修行者に必須のたしなみとは「手裏剣」であると聞く、それで野山の小動物を狩って、食糧を手に入れる為に必要な飛び道具なのである、手裏剣術を修得した達人は数多い

惣角翁も、昔ながらの武者修行者の典型で、旅の空に暮らし「非日常」の中に身をおいて技を磨いたものかも知れない

 

伊勢白山道の霊視では、人を多数あやめた宮本武蔵はアノ世で苦しんでいるのに対し、ほとんど人を殺していない、殺さないよーに配慮した惣角翁は、鬼神界にそのまま戻っていると云ふ

武田惣角は、これだけの達人であるにも拘らず、おのれが大成した武術の「宗家」となろーとは決してなさらなかった

そのへんに、武を極めた者の潔さを感じてならない

はてさて、そんな闘いの連続であっても、充実した面白い人生だったのであろーか?

 

昔日の「武者修行者」は、こんな心得であったのか、佐川先生が云っておられた

「何でも教わろうというような弱い精神では教わっても覚えきれなくなって忘れてしまうのだ。

自分で開拓しようという気概に満ちている人が、教わったことを生かせるようになる。心構えが違うのだ」

‥‥ 達人技は、今後修得する人が少なくなるだろーか?きょうのニュースで、ボストン・ダイナミクス社の二足歩行の人型ロボット「Atlas」がバク転するのを観た

AIで学習しながら(失敗を繰り返して)その動作を覚えるそーなのだが、ロボットが只歩いている映像や斜面でからだを支える姿勢には強く惹きつけられた

何か気のせいか、達人の佇まいなのだ、最小限の力でバランスを保って歩くとゆープログラムは、達人に要求されるものと相似ているのかも知れない

猿渡哲也『TOUGH〜龍を継ぐ男』でも、AI搭載の人型戦闘ロボット兵器「トダー」が出てきて、修練を積んだ古武術の達人がまるで歯が立たないシーンが現出するのだが……      痛みのない、身体を考慮しない戦闘マシンは如何にも怖しい

果して、AI が達人の体術をマスターできるのか、武術の歴史を考えると興味は尽ない……  私見では、達人の無意識で行なう、骨や筋の濃やかな操体は、到底剛体(鉄や合金の体)では成しえないと思っている

達人の一挙手一投足は、宇宙の真理を体現しているものだと思いたい

         _________玉の海草

 


 意外にも剣豪〜 蹴鞠名人の今川氏真公

2021-07-22 21:47:25 | 天才列伝

 

__ 文武両道どころか、二つも三つも成し遂げてしまう、一芸が万事に通ずる宮本武蔵型の自然児、200%の自分を発揮した意外な剣豪を紹介しよー

彼は、戦国大名のお坊ちゃんであった

 

⑴  和歌の道 〜 権大納言・冷泉為和らから学ぶ、御水尾天皇選の集外三十六歌仙に名を連ねる

⑵  蹴鞠の道 〜 飛鳥井流宗家の飛鳥井雅綱難波家に学ぶ、織田信長からその蹴鞠の技を所望される

⑶  武芸の道 〜 新当流の塚原卜伝から学び免許皆伝、のちに自ら「今川流」を創始する

 

‥‥ 桶狭間の戦いで織田信長から急襲をかけられ、十分の一位の兵力で討ち取られた、海道一の弓取り・今川義元 の嫡男として生まれた多芸の風流人・今川氏真(うじざね)である

国盗りに明け暮れていた戦国の世に、てて親を討たれても弔い合戦を仕掛けるでもなく、蹴鞠にうつつを抜かし、されどその芸によって、生き長らえる武将‥‥  こんなユニークな武将はおるまい ♪

(まー、生き延びる交渉は氏真の賢妻が尽くした内助の功も与っているのだが…… )

 

いずれにしても、今川家に人質となって育った松平元康(後の徳川家康)を取り込んだ織田信長が今川家を滅ぼして、氏真の首をとらなかったのは、蹴鞠において超一流だったからに他ならない

信長公は、能楽や茶の湯にも嗜みの深い傾奇者(かぶきもの)だから、松永弾正 の茶人としての力量にも信をおいていた、風流な数寄者が大好きなのであろー

 

わたしが、氏真公にそれこそ瞠目したのは、図書館で 『武芸流派大事典』(綿谷雪・山田忠史編、1969年) をパラパラめくって、神技をふるう名人を探していた最中に……  たまたま流祖の欄に「今川氏真」の御名を見つけたときです

わたしは、目を疑いました、あのお公家さんのよーにナヨナヨした蹴鞠人が何故?と、だって蹴鞠道の流祖ではなく、剣術の創始者(流祖)なのですよ

かんがえてみれば、氏真公はあの獰猛な 武田信虎(信玄公が追い出した先代=父上)のお孫さんにあたるお血筋です、人一倍の膂力があった義元公を父に持ち、信玄公の姉を母にもったのですから、抜群の才に恵まれても不思議ではありません

 

小池一夫・小島剛夕『半蔵の門』 では、家康の正妻・築山殿 が嫁いでくる前に、ねんごろだった色男とゆー設定で氏真公が出てきました

主家から嫁いだプライドの高い嫁に、コンプレックスを抱いて卑屈にふるまってしまう若き日の家康の機微をよく描いていたと思います

大企業の社長の息子(氏真)と派遣社員の息子(家康)みたいな間柄だもんな、種つけられた娘を正妻に迎える屈辱たるや、なんとも…… 

のちのち信長から自害を命じられた家康の長男・信康公 のご最期に向けた伏線にもなっていましたが、ちょっと意地悪な氏真像でした

 

「今川流」と一流を立てた剣豪としての氏真公をよく描いて余す処がないのが、戸部新十郎『秘剣龍牙』(徳間文庫)にふくまれる 短編「睡猫(すいびょう)」です

武田家の軍師、山本道鬼入道勘助 「京流」の達人だが、新当流も卜伝から修めていて、その極意に「睡猫の位」とゆーものがある

一方、氏真公の蹴鞠道にも「睡猫児」の奥義があり、新当流(神道流の含意)のそれと相通じる消息がありそーである

武蔵が、剣の極意でもって、習わぬ水墨画を描いた逸話があるよーに、芸道は極めれば諸芸に通ずとゆーことはあるものかも知れない(但し、武蔵の場合は、初めて殿様の面前で描いたときは上手くゆかなかったと云ふ、一晩思いにふけって翌日に見事な一幅を描いたのではなかったかな)

 

じっさい、能の金春流の 金春七郎禅竹 が、柳生新陰流を創始した 柳生石舟斎 の下で剣術修業して、金春流に伝わる極意と新陰流の極意を交換したとゆーロマン溢るる伝承もある

能は、渡来民たる秦氏のもたらしたもので、聖徳太子に仕えた 秦河勝 をご先祖に戴いている、観阿弥・世阿弥 は伊賀の服部半蔵家(上忍)と親戚で、楠木正成 の妹御も服部家に嫁いでいるはずです

能楽の「すり足」は、忍者の歩法でもあり、剣術の足捌きでもあるわけですな

 

秦氏は、秦の始皇帝の末裔といわれ、大陸で景教(キリスト教ネストリウス派)祆教(ゾロアスター教)も奉じているとかで……   浄土教における世界宗教レベルの救済思想は、秦氏の法然上人 にキリスト教が伝わっていたのかも知れないと思わせる処があります

 

金春禅竹『明宿集』 に観られる、「宿神」の包括的な思想は、

中沢新一の名著『精霊の王』 

に詳しいが、能=舞踊(旋回と上下動)と武道は究極で一致するとゆーことだろー

沖縄の琉球王家の武術・本部御殿手の名人であられた上原清吉 は、「武の舞」 と称して、琉球舞踊の女踊り(秋篠宮家の紀子様も習われた)も兼修なされていた

ダンスと武術が同源でも何ら可笑しなことではない、バレリーナの後ろ蹴りはプロの格闘家の打撃に匹敵する威力だと聞く

 

 

ー 横道にそれてしまったが……  今川氏真公が会得なさった蹴鞠道の神髄「睡猫児」をみてみよー

 

「ありゃあ 、 おう」と長閑な発声、蹴鞠の鞠乞う声である

「ありゃあ」=春の心、「おう」=夏の心であると云ふ

 

【 牡丹花下の睡猫 、 心 、 舞蝶にあり 】

“ 草花の下にねむりし猫さえも  そらを飛びゆく蝶をめがくる ”

 

> 解説;

「この歌によると、眠る猫さえも油断なく、上を飛ぶ蝶があれば跳びかかる、ということになりますね。つまり、二六時ちゅう、身辺の注意を怠らない、というわけですね」

「さよう」

「だから、われらは達人にはなれないのです。本意はあくまでも、“ 牡丹花下の睡猫 ” にあります。心が舞う蝶にとらわれてはならない。ただただ、まどろむことです

「いざというとき、さような真似ができようか」

「そうですな。鞠場に出ればわかりますが、色さまざまな衣装が動く、鞠があがる、音が響く、間断なく鞠乞う声が聞える、そんななかで自分も蹴らねばならない。とうてい、気は許せません」

「でござろう」

「しかし、手前も一度だけ、まどろんだことがあります」

「それはただの眠気というものではないか」

「あなた、妙なことをおっしゃる。眠気がなくてはまどろむことはできません」

「それで、いかがなったか」

「ちゃんとひとりでに蹴っていました。それも、いつもより正確に。いま思うと、なんとも快い一瞬でありましたな」

「なるほど。では訊ねたい。なぜひとりでに足が出るのか」

「ですから、毎度申し上げるように、平生の姿勢 、 足構えが大切なのです。

顔もち、 軽からず、 うなずかず、 あおのかず、

前より見れば、反りたるように、

うしろより見れば、 たおやかなるように。

おおらかに、 うららにて、 癖あるべからず。

足は土踏まずをすりて、 すくいあげるように、 膝頭(ひざがしら)より出すべし。 足任せがよし。

足首には力を入れるべし。

爪先は開かず 、 いかにもいかにも 、 丸げに出すべし。

三足(さんそく)、 続けて蹴る覚悟なり

 

これは三度、蹴ることではない。兵法でいえば、打込みは一刀であって、二の太刀を想定しない。が、単なる一刀ではなく、残れば重ねて打つ覚悟や余力がなくてはならない。

蹴鞠にもそれがある。ひと蹴りだが、続けて蹴り得る覚悟をもたねばならない。いわば  “ 残心 ”  という意味だろう。

 

「道鬼さまは……  なにをするにしましても 、 自ら仕掛けたことがありません。 相手の仕掛けを待って、 出る。

が 、  待つ、というのともちょっと違いますな。 ひとりでに反応する 、 と申したらよいか。これが自分のものになりますと、ひとりでに足が出るのです。

未熟な手前が申すのもはばかりがありますが、道鬼さまはこの “ 睡猫児 ” をお忘れになり、自分のほうから仕掛けなされた。それで不覚をとられたのではありますまいか」

 

‥‥ 道鬼山本勘助の不覚とは、“ 啄木鳥(きつつき)戦法 ” が上杉方から見抜かれて、川中島の八幡原で討ち死にしたことを指す

稀代の軍師であった山本勘助は、武田家はえぬきの将ではない、いわば途中入社した余所者・新参者であった

隻眼・跛足(びっこ)の風体は、「タタラ産鉄民」 の出自を露わにしている、「道々の輩(ともがら)」さしずめ山の民でもあっただろーか

海の民が、川を遡行して川辺に暮らし、尚さかのぼって山間(やまあい)に居を構えたのが山の民である

実際、山の民と海の民は交流が深かった

能楽師は、道々の輩として各地を巡業して歩くなかで、山師のよーなこともしていたし、その素養も兼ね備えていた

徳川幕府の金山奉行で、あの時代に何故か水銀アマルガム製法を知っていた 大久保長安 は、能の大蔵流の太夫であったと聞く

忍者は、手裏剣などの道具を自分で作っていたから、当然タタラ製鉄民とは昵懇であったはずである

いつの時代も、蛇の道は蛇、裏社会は絶妙に繋がっているものらしい

 

ー今川氏真公は、神道の言霊である和歌にしても、宿神の降臨する蹴鞠にしても、鹿島神宮の太刀である剣術にしても‥‥  当代一流の達人に師事しておられる

塚原卜伝から免許皆伝、かの剣豪将軍として知られる 足利義輝公 の兄弟子にあたる

義輝公と伊勢の国司・北畠具教卿 は共に、新当流奥義「一つの太刀」を伝授された高手であった

この秘伝は、代々連綿と鹿島神流に伝わり……

戦後GHQのマッカーサー元帥配下の銃剣術の達人から、圧倒的な実力差で一本取った 国井善弥師範 もよくつかわれたと聞く

警視庁剣道とゆーか現代剣道の第一人者たる剣豪・高野佐三郎 と古武術の実戦派なんでもありの国井師範が立ち合われたことがある

国井師範は、からくも勝ちをおさめたが……   流石に高野佐三郎、「一つの太刀」の二段目まで出さなければならなかったとその腕を認めた

奥義「一つの太刀」は、三段目まであるらしい

 

最近、NHK・BSで 『 武の “ KAMIWAZA ” 』で、武術の達人の動きを目の当たりにできる幸運に恵まれ、V6の岡田くんに大変感謝している

なかでも、伝説の古武術名人・黒田鉄心斎 のお孫さんの 黒田鉄山師 の剣捌き・体捌きには、素晴らしすぎて溜め息が漏れる

古来の剣客のありよう、武芸十八般とはこのことかと、やおら感動してしまう

でも、それだけではいかんのだ!

日本人は「文武両道」を求める 、 尊ぶ 、 その最たるものを童心のままにやり遂げた、特異な実例が、今川氏真公ではないかと思える

          _________玉の海草