海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

海神奈川吹奏楽部愛好会=タリカスの
吹奏楽部定期演奏会鑑賞に関するブログ。
吹奏楽部定期演奏会情報お寄せください。

百舌古墳群散策

2006年10月30日 23時27分27秒 | 百舌鳥古墳群
 百舌鳥駅に着く。ついにあこがれの地 百舌鳥に来ることができた。感激のあまりいい旅チャレンジ20,000kmみたいに駅名表をバックに三脚立てて記念撮影をした。百舌鳥駅そばの郵便局で旅行貯金をしたら百舌鳥古墳群の風景入り日付印を用意していて感心した。

 まずは大山(だいせん)古墳へゆく。昭和の時代の教科書に仁徳天皇陵と書いてあった古墳だ。現在の教科書には大山古墳と書いてあるそうだ。拝所で柏手を打って仁徳天皇ではなく大山古墳の真の被葬者(葬られている人)に対して参拝する。教科書では航空写真しか載っていないので鍵穴型をした前方後円墳という漠然とした知識はあったものの拝所から見た大山古墳は大きな森にしか見えない。濠(ほり)を含めた東西の長さが656m、南北の長さが793mとなにしろ大きい。ナスカの地上絵と一緒で空から見なくては全景はつかめないのだ。

 堺市博物館に行く。歴史サークルと小中学校の団体が見にきていて少し落ち着かない。大山古墳出土の埴輪や銅鏡のレプリカ(現物は宮内庁やボストン美術館所蔵)を見る。大山古墳の石棺の推定復元があり、幅1.4m、長さ2.7m、高さ1.6m、重さ30tというばかでかい石の棺のレプリカがある。大山古墳の主はずいぶんと大層な棺に収められたもんだと思う。
 このほかスポット展示として堺市内出土の土師器や須恵器がありこちらも感心した。ほかには中世の堺の町や茶器についての展示があった。

 博物館を出て大山古墳の陪冢(ばいちょう・大きな古墳の回りにある副葬品を収めた小さな古墳)の一つである竜佐山古墳(前方後円墳)、孫太夫古墳(前方後円墳)、狐塚古墳(円墳)を見ると柵や針金で囲ってある。これが悪名高い、宮内庁が設置した 菊のカーテンかぁと感心した(笑)

 大山古墳そばの観光案内所に行って
「古墳めぐりをするので古墳マップはないですか?」
と行ったら古墳マップをもらったうえにおじさんにいろいろと解説してもらえた。しかも古墳を研究していて神奈川県川崎市から天皇陵を見に来たと言ったら観光案内所のお姉さんに大変感心された。

 古墳マップを見ながら収塚古墳(前方後円墳)、長塚古墳(前方後円墳)、銭塚古墳(前方後円墳)、グワショウ坊主古墳(円墳)、旗塚古墳(前方後円墳)(前方後円墳)、七観音古墳(円墳)、寺山南山古墳(方墳)を歩いてめぐる。この百舌鳥の町ではちょっと土がこんもりしていて木が生えていたら古墳なのだ。観光案内所で聞いた話では宅地開発が始まる前はもっとたくさんの古墳があったという。犬も歩けば古墳に当たるという感じだ。
 ニサンザイ古墳(履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)も大きい。ここから写真を撮れとばかりに階段が整備されていて柵のスリットの間にレンズを突っ込んで撮る。いい天気なのでいい絵になる。古墳と道路を挟んで民家が建っているが天皇陵を前に住む気分はどんなものだろうか? 履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳の拝所に着き真の被葬者に参拝。ここから阪和線の上野芝駅へ歩く。

 上野芝13:59の電車で三国が丘へゆき、南海に乗り換えて堺東へ。ここから田出井山古墳(反生天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)に歩く。この古墳は住宅地の真ん中にある。拝所が小さく道路から丸見えなので道ゆく人々が田出井山古墳をバックに三脚立てて写真を撮る筆者のことを怪しみ見ること限りなし。
 陪冢の鈴山古墳(方墳)と天王古墳を見る。天王古墳(方墳)は民家のすぐ隣にある一辺9m、高さ3mの小さな方墳だ。近所の人は「立入禁止/宮内庁」の札の貼られたフェンスを見てどう思って暮らしているのだろうか? 天王古墳の少し先に方違神社がある。境内で休憩をしていたら具体的なエピソードは記さないが、ものすごい御利益に見舞われたのでありがたいお守りを授けて頂いた。

写真は菊のカーテンの隙間から撮影したニサンザイ古墳(履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 久しぶりの大阪 | トップ | 大阪地区乗り鉄 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

百舌鳥古墳群」カテゴリの最新記事