第6章 上り寝台特急あかつき
2007/12/23 長崎駅でキハ66・67、キハ200などをスナップしていると空にはおぼろ月が出ている。817系が車内保温のため3つあるうちの真ん中だけドアを開けている。九州の電車にもこういった機能はあるんだなぁと思う。
寝台特急あかつき号が入線してくる。京キトの車両なので今朝乗ってきたのと同編成だ。上りのあかつきはソロがとれたので個室に収まる。昨夜コ★ジコさんが乗っていた上段の部屋は車両限界により天井が丸くなり圧迫感があったが下段は四角い断面が確保されているので過ごしやすい。長崎を出発するがさっそく浦上でかもめ39号と交換する。長崎駅のホームを空けるためなんだろうけれど出鼻をくじかれるダイヤだなぁ。A寝台個室シングルDXに乗っているコ★ジコさんのところにゆく。さすがにA寝台個室は広く洗面所とコンセントがある。このオロネ14 300番台は改造車なので国鉄オリジナルのオロネ25よりも部屋が広い(1.8倍くらいはあるだろうか)。隣室との境にドアもありコネクティングルームにもなる。旅の成功を祈ってビールで乾杯する。しばらく鉄分濃く語り合ったあとコ★ジコさんが眠そうなので自室に引き上げる。そうしたらソロのナンバーロックが不調で開かず車掌を呼んでマスターキーで開けてもらうと
「廃車寸前の車両なもんで…」
と言い訳しているところにあかつきの末路を見た気がした。肥前浜で白いかもめと交換し、肥前山口では常磐線から姿を消した415系鋼体車を見られた。佐賀を出ておやすみ放送が流れた。
鳥栖に接近し寝台特急なは号との併結のために10号車のデッキを目指す。寝台特急あかつき号は3番線に着き一度ドアを開けた後博多方に引き上げて1番線に止まっている寝台特急なは号の前に連結するのだ。それを多くの鉄道ファンたちが群がって撮影する。この光景は昭和の時代はみずほ号、平成に入ってからはさくら・はやぶさ号で展開されていたものだが客車の分割・併結も門司の富士・はやぶさ号と鳥栖のなは・あかつき号だけになってしまった。上りあかつき号の機関車が門司まで引いてゆくから下りあかつき号の機関車も「あかつき・なは」の合同ヘッドマークだったのだ。なは号は熊クマの所属であるが昨夜と同じ編成であった。なは号が関門トンネル最後の24系寝台車となりそうだ。鳥栖を出発するとき、ホームで普通電車を待っている家族連れがソロにいる私に向かって手を振ってくれたので盛大に手を振り返して応えたら小学生の娘が笑い転げていた。これも寝台列車ならではだ。
門司でED76からEF81 400番台に付け替えられる。それを鉄道ファンたちは撮りまくる。下関ではカマの先頭がホームからはみ出しているがEF66への付け替えを撮りまくる。こうして門司と下関でブルートレインの機関車付け替えをしていたことも近く伝説となるだろう。
上りは厚狭・宇部・新山口と下りが深夜で通過していた駅にも止まる。今夜も洗面所で歯を磨きヒゲを剃り、入念に手を洗って時間稼ぎをしながら携帯電話を充電した。そのかいあって翌24日の夜家に帰るまで携帯電話の電池は十分にもったのであった。
2007/12/24 目が覚めると岡山-姫路間を走っている。外はまだ真っ暗で満月が列車と同じスピードでついてくる。サンライズ瀬戸・出雲とすれ違う。西明石でおはよう放送があり夜が明けると今日は晴れ。三ノ宮駅前に気温8度と掲示してあり外は寒そうだ。大阪で4分泊まり先頭に立つEF66を撮影できた。4番線に銀河が止っているのが見えた。新大阪で遅れてきた寝台特急日本海2号とすれ違う。羽越・北陸本線で大雪でも降ったのだろうか?
終点の京都駅に着き機関車と最後尾のなは号電源車などを撮る。寝台特急あかつき号の一夜も終わってしまった。
関西発のブルートレインは今回の旅行で初めて乗ったけれどこれが最後になりそうだ。あかつき・なは号ともに普通のB寝台車は2両しか連結しておらずその他はすべて個室とレガートシート車だ。廃止騒ぎが始まる前はB寝台車2両でも十分な旅客数しかなかったのだろう。寝台特急という移動手段はもはやわが国では死に体のようだ。車両の老朽化に加え整備新幹線工事の進展もあり残された寝台特急にも明るい要素がない。最後の客車寝台特急はどれになるのだろうか?