海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

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【連載】吹奏楽部定期演奏会でストロボたくんじゃない!
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大阪地区乗り鉄

2006年10月30日 23時33分23秒 | 百舌鳥古墳群
 堺東駅に戻り南海でなんばに出る。なんば駅でしばらく南海電車をスナップしてから地下鉄の連絡通路をJR難波駅まで歩く。たっぷり15分以上は歩いた。こんなに離れているのに難波は無理があるぞ。湊町に戻すべきだ。JR難波駅は地下化されていて黄緑の103系で天王寺に出る。
 天王寺で関空快速を待つと帰宅ラッシュに重なり大混雑。大荷物持って乗るのを断念して特急はるか49号に宗旨替え。自由席にすわれた。乗客の大半は和泉府中を降りてしまう。
 車掌から乗車券の乗越と自由席特急券を発行してもらうと何を血迷ったのか天王寺-京都(940円)を発行。気付いて天王寺-関西空港(730円)を発行し直してもらうのだが同額だと勘違いしていて差額の210円を返さない始末。
「210円ちゃうでしょ!」
となぜか関西弁で筆者が強く言ったらようやく気付いて210円返した。みやこ列車区のこの車掌は<日勤教育>じゃあ~!  日根野から関西空港線に入る。

 関西空港に着いた。下車客には外国人も多い。国内線ターミナルへゆき御土産を買い込んでチェックインする。手荷物検査のピンポンゲートも鳴らず無事通過する。21:15発の全日空羽田ゆきは関西-羽田の幹線なのにボーイング737-700で機体が小さいのでボーディングブリッジが急な下り坂になっており奈落の底に降りてゆくようだ。
 飛行機は落語をヘッドホンで聞いている間に羽田に着いた。全日空の第2ターミナルを利用するのは初めてだ。飛行機が後ろのほうの席だったゆえ最後のほうに降りたのではあるが、手荷物引き渡しのターンテーブルにゆくと今時はカートを機内に持ち込むのが主流なのか筆者の荷物だけがぽつねんと回っていた。

 地下の東京モノレール羽田空港第2ビル駅からモノレールに乗り天空橋へ。これで東京モノレールの未乗区間を踏破した。天空橋から京浜急行で京急川崎へ帰った。
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百舌古墳群散策

2006年10月30日 23時27分27秒 | 百舌鳥古墳群
 百舌鳥駅に着く。ついにあこがれの地 百舌鳥に来ることができた。感激のあまりいい旅チャレンジ20,000kmみたいに駅名表をバックに三脚立てて記念撮影をした。百舌鳥駅そばの郵便局で旅行貯金をしたら百舌鳥古墳群の風景入り日付印を用意していて感心した。

 まずは大山(だいせん)古墳へゆく。昭和の時代の教科書に仁徳天皇陵と書いてあった古墳だ。現在の教科書には大山古墳と書いてあるそうだ。拝所で柏手を打って仁徳天皇ではなく大山古墳の真の被葬者(葬られている人)に対して参拝する。教科書では航空写真しか載っていないので鍵穴型をした前方後円墳という漠然とした知識はあったものの拝所から見た大山古墳は大きな森にしか見えない。濠(ほり)を含めた東西の長さが656m、南北の長さが793mとなにしろ大きい。ナスカの地上絵と一緒で空から見なくては全景はつかめないのだ。

 堺市博物館に行く。歴史サークルと小中学校の団体が見にきていて少し落ち着かない。大山古墳出土の埴輪や銅鏡のレプリカ(現物は宮内庁やボストン美術館所蔵)を見る。大山古墳の石棺の推定復元があり、幅1.4m、長さ2.7m、高さ1.6m、重さ30tというばかでかい石の棺のレプリカがある。大山古墳の主はずいぶんと大層な棺に収められたもんだと思う。
 このほかスポット展示として堺市内出土の土師器や須恵器がありこちらも感心した。ほかには中世の堺の町や茶器についての展示があった。

 博物館を出て大山古墳の陪冢(ばいちょう・大きな古墳の回りにある副葬品を収めた小さな古墳)の一つである竜佐山古墳(前方後円墳)、孫太夫古墳(前方後円墳)、狐塚古墳(円墳)を見ると柵や針金で囲ってある。これが悪名高い、宮内庁が設置した 菊のカーテンかぁと感心した(笑)

 大山古墳そばの観光案内所に行って
「古墳めぐりをするので古墳マップはないですか?」
と行ったら古墳マップをもらったうえにおじさんにいろいろと解説してもらえた。しかも古墳を研究していて神奈川県川崎市から天皇陵を見に来たと言ったら観光案内所のお姉さんに大変感心された。

 古墳マップを見ながら収塚古墳(前方後円墳)、長塚古墳(前方後円墳)、銭塚古墳(前方後円墳)、グワショウ坊主古墳(円墳)、旗塚古墳(前方後円墳)(前方後円墳)、七観音古墳(円墳)、寺山南山古墳(方墳)を歩いてめぐる。この百舌鳥の町ではちょっと土がこんもりしていて木が生えていたら古墳なのだ。観光案内所で聞いた話では宅地開発が始まる前はもっとたくさんの古墳があったという。犬も歩けば古墳に当たるという感じだ。
 ニサンザイ古墳(履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)も大きい。ここから写真を撮れとばかりに階段が整備されていて柵のスリットの間にレンズを突っ込んで撮る。いい天気なのでいい絵になる。古墳と道路を挟んで民家が建っているが天皇陵を前に住む気分はどんなものだろうか? 履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳の拝所に着き真の被葬者に参拝。ここから阪和線の上野芝駅へ歩く。

 上野芝13:59の電車で三国が丘へゆき、南海に乗り換えて堺東へ。ここから田出井山古墳(反生天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)に歩く。この古墳は住宅地の真ん中にある。拝所が小さく道路から丸見えなので道ゆく人々が田出井山古墳をバックに三脚立てて写真を撮る筆者のことを怪しみ見ること限りなし。
 陪冢の鈴山古墳(方墳)と天王古墳を見る。天王古墳(方墳)は民家のすぐ隣にある一辺9m、高さ3mの小さな方墳だ。近所の人は「立入禁止/宮内庁」の札の貼られたフェンスを見てどう思って暮らしているのだろうか? 天王古墳の少し先に方違神社がある。境内で休憩をしていたら具体的なエピソードは記さないが、ものすごい御利益に見舞われたのでありがたいお守りを授けて頂いた。

写真は菊のカーテンの隙間から撮影したニサンザイ古墳(履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳・前方後円墳)
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久しぶりの大阪

2006年10月30日 23時23分11秒 | 百舌鳥古墳群
 大阪に定時に着く。隣のホームの大阪環状線のオレンジの電車を見て昭和59年の夏休みに14系座席車による 銀河51号で大阪に着いたときのことを思い出した。321系、183系北近畿、681系びわこエクスプレス、113系、日本海2号などをスナップできた。ホーム移動のおりに乗ったエスカレーターの左側に立っていたらみんな邪魔そうに筆者を追い越してゆく。はっとした。大阪ではエスカレーターの追い越し車線が左側なのだ。なぜエスカレーターの組合で全国を統一しなかったのだろうか? これが車の車線だったら事故になるぞ。
 今回は鉄道研究ではなく天皇陵問題研究の旅なので余り鉄分を出しているわけにもゆかず後ろ髪引かれる思いで環状線のりばへ。昭和59年に来たときは環状線のりばはホーム番号がなく単に「環状線のりば」と呼ばれていたのだが今では1,2番線と立派な番号で呼ばれている。2番線から水色のサハ201に乗り京橋回りで天王寺に出る。

 天王寺の阪和線の頭端式ホームを見ていかにも天王寺らしいと感じる。阪和線には水色の103系が健在だ。しかも低運転台車だ。阪和線でクハ103水中メガネ君(運転台が1枚ガラスになった更新車)を見掛けたが撮り損ねた。くやしーっ。
 堺市まで水色のモハ102の区間快速に乗る。やっぱり国鉄通勤電車は心が安らぐ。南田辺から我孫子町までの区間が最近高架になったようで旧線を撤去した跡地が見える。堺市で普通に乗り換えて三国が丘を出てずっと右側の車窓を見ていたのだけれど家が建っていて大山古墳が見えなかったのが予想外だった。
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急行銀河は走る

2006年10月30日 23時20分03秒 | 百舌鳥古墳群
2006/10/26 プロローグ

 夕方のNHKニュースで茅ヶ崎の踏切を渡っていたトラックの荷台からショベルカーが落ちて線路をふさぎ東海道線東京-熱海間が不通との一報が流れる。
ぎぇーっ!
と思った。なぜならば今夜の急行銀河で大阪に旅立つからだ。
なんてことするんだ
運転手は酒でも飲んでいたのか! 大あわてで情報収集を行うがその後21時過ぎに東海道線が復旧とのことだったが運転整理のため銀河は運休になったのではないか?!との不安が尽きない。2月にサンライズ瀬戸シングルDXを静岡で捨てざるを得なかったのも安倍川で急行銀河の機関車が故障して立ち往生したからだ。急行銀河とは相性が悪いなぁ。

急行銀河は走る

 21:30過ぎに川崎駅に行くとはやぶさ・富士が下ってゆく。有人改札で今夜の銀河は走るかと問えばどこかに電話を掛けて確認してくれ「走る」との力強い返事をもらう。正直運休だったら明日の朝一番で羽田から関西空港に飛ぶつもりだったので安心した。遅れている東海道線で東京駅に行くと22時少し前に到着。9番線にいるはずのサンライズ瀬戸・出雲がまだ入線していないようだ。ホームで待っていると東海道線不通を心配したお友達のコ★ジコさんからメールがくる。
 22:30頃ようやくサンライズ瀬戸・出雲が入線してきた。しかも10番線にホームが変更された。(通常は9番線)これはまちがいなく急行銀河も遅れる。サンライズ瀬戸・出雲も普通電車を退避する都合なのかなかなか出発できず22:55に出発していった。

 銀河も今夜に限り10番線にホームが変更(通常は9番線)。A寝台の1号車に乗るのでまるきり2月に乗った寝台特急出雲出発シーンの再現ではないか。23時過ぎに入線してきた急行銀河に群がる鉄の数は深夜だけに少なかった。プルマン方式のA寝台はとてもゆったりとしている。九州まで乗ってゆきたい気分だ。A寝台の1号車は2か所位を除いてすべて客がいる盛況。東京口の夜行列車で急行銀河だけは安泰か。電源車の次の1号車だから機関車の動きや音がよく伝わってくる。
 23:26に出発。品川を出ると時間も遅いのですぐに滅灯した。品川・大船・小田原と急行ならではの駅に止まって行く。大船を出たところで横になる。その後小田原・富士・静岡・浜松で停車したのを覚えている。

 名古屋運転停車で岐阜で降りる客を起しに来た車掌の気配で目を覚ました。車掌は
「岐阜には時刻表とおりに着きます」
と言っているので深夜の大運転停車を切り詰めて回復運転をしたようだ。
 米原で6分停車するので東京駅で撮れなかったFF65 1102[田]を撮影する。出雲のときと違ってほかに撮りに降りる客もいない。221系を見て西日本まで来たなぁと実感した。
 6:25南草津駅通過でおはよう放送が流れる。
「本日は10月27日 金曜日…」
という夜行列車特有の放送が新鮮だ。天気は曇り。車窓に種村直樹さんが通っていた膳所小学校が見えた。
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天皇陵問題について

2006年10月30日 23時18分31秒 | 百舌鳥古墳群
 「天皇陵問題」と聞いてピンと来る日本人は少ないはずだ。なにせマスコミは皇室関係の話題には神経を使っているから決して宮内庁の悪事を槍玉にあげたりしない。
 天皇陵問題とは宮内庁が天皇陵に治定した古墳の発掘はもちろんのことフェンスを立てて立ち入りすら認めない問題を言う。このフェンスを鉄のカーテンになぞらえて 菊のカーテンと言った考古学者がいたが、今回の旅で筆者はこの菊のカーテンの現状を目の当たりにしてきた。

 そもそも天皇陵といえども古墳時代が終わるとこの国の人達は急速に古墳のことについて忘れ去り、早くも奈良に平城京を作るに当たって古墳をつぶしているのだ。戦国時代には古墳を山城に改造し、近代に入り埋め立ての土取りに古墳を崩している。現在宮内庁が治定する天皇陵も江戸末期に尊皇攘夷論が高まり皇室の祖先を敬う機運が高まったおりに日本書紀や古事記の記述を参考に<再発見>したものを明治初期に新発見に伴う若干の修正をしたものを現在に引きずっているわけで、宮内庁の主張するように初代 神武天皇から124代 昭和天皇まですべての天皇陵が現存するというのはありえないことだし、初代 神武天皇から9代 開化天皇までの9人は実在しなかったというのが歴史学での定説だ。実在しない天皇の墓があるというのはどういうことか。
 そもそも宮内庁の天皇陵治定は幕末のレベルのままで考古学の新発見などは全く加味されていないのだ。エジプト考古庁だって所定の手続きを踏めば外国の大学であってもファラオの墓を掘らせるのに、わが国の宮内庁は全くアカデミックではないではないか。
 宮内庁が天皇陵に治定した 場所の中には古墳ではなく中世の山城の跡やただの丘もあるらしい。もしそうだとしたら宮内庁は天皇陵の祭祠と称して税金の無駄使いをしていることになる。しかも 菊の代紋をバックにしているからヤクザ以上にたちが悪い。ましてやマスコミも尻込みして社会保険庁のように糾弾しないだろう。
 しかし宮内庁が全く調査を認めないから上記の説を裏付ける証拠は何もなく、また100%否定する材料もない。宮内庁が天皇陵の調査を認めないのは明治以来やってきた悪事の露見を恐れているとしか思えない。歴史学会などが宮内庁に天皇陵古墳の公開を何度となく申し入れているが宮内庁はそれを黙殺しているのが現状だ。天皇が国民の象徴になっても天皇陵に関しては「神聖ニシテ犯スベカラズ」なのである。

 今回筆者はそうした現状をより知るために最前線である天皇陵古墳を見にいったのである。作中に「~天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳」という回りくどい表現が出てくるのもその古墳が本当に天皇陵なのか現状ではわからないからだ。古代史のブラックホールと化している天皇陵を発掘できる日がくることを筆者は心待ちにしている。

参考資料
「天皇陵を発掘せよ」石部 正志/〔ほか〕編著 三一新書
「続 天皇陵を発掘せよ」石部 正志/〔ほか〕編著 三一新書
「日本の古墳と天皇陵」陵墓限定公開20回記念シンポジウム実行委員会/編 同成社
「天皇陵とは何か」茂木 雅博/著 同成社
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羽田空港に着く

2006年10月27日 22時48分45秒 | 百舌鳥古墳群
無事羽田空港に着きました。
これから未乗の羽田空港第二ビルからの新線区間に乗り川崎へ帰ります。
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関西空港に着く

2006年10月27日 20時58分18秒 | 百舌鳥古墳群
特急はるかは関西空港駅に着きました。
和泉府中で大量下車があり車内はすきました。
お泊まりしてじっくりと古墳と向きあえなかったのが残念です。

その後おみやげを買ってチェックインし、撮影器材すべて手荷物にして乗るのがなんだかなぁ。
フィルム全部出して見せたら意外とたくさん持っていたのに我ながら驚いた。
ピンポンゲートは今回は鳴らなかった。

まだ機内への案内はないから退屈です。
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特急はるか

2006年10月27日 18時37分33秒 | 百舌鳥古墳群
この列車には初めて乗ります。
はるかって自由席あるんだね。
関西空港発だけかと思ってました。
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関空快速はよして

2006年10月27日 18時22分26秒 | 百舌鳥古墳群
天王寺から乗るつもりだった関空快速は3両でものすごく混雑。
だから宗旨替えして特急はるか自由席に乗ることにしました。
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JR難波から

2006年10月27日 17時09分00秒 | 百舌鳥古墳群
南海でなんばに出てJR難波へ歩いたらたっぷり15分は歩いた。
これで難波を名乗るのは問題だ。
むかしの湊町とはイメージを一新していて別の駅のようだ。
ゆるゆると関西空港に向かいます。
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片違神社から

2006年10月27日 15時26分46秒 | 百舌鳥古墳群
鈴山古墳と天王古墳を見て方違神社を参拝。
境内で一休みしていたら、この神社はあることからものすごくご利益があると感じました。
だから旅行安全のお守りを買って帰りの飛行機が墜落しないようにしました。
あることについては秘密です。
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反正天皇陵?から

2006年10月27日 14時47分02秒 | 百舌鳥古墳群
ただいま反正天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳にいます。
ここは拝所が小さな天皇陵?です。
緑豊かな古墳めぐりは蚊に食われます。
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三国ケ丘駅から

2006年10月27日 14時16分01秒 | 百舌鳥古墳群
履中天皇陵?から上野芝駅へ歩いて阪和線に乗り三国ケ丘駅で南海を待っています。
これから堺東にゆき反正天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳にゆきます。
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履中天皇陵?

2006年10月27日 13時28分12秒 | 百舌鳥古墳群
履中天皇陵だと宮内庁が言い張る古墳にいます。
フェンスの隙間にレンズをつっこまないと古墳の写真が撮れないくらい菊のカーテンは厳重です。
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旗塚古墳から

2006年10月27日 12時59分19秒 | 百舌鳥古墳群
堺市博物館にて埴輪や銅鏡を学校で見学に来ていた中学生たちと見てから
一人百舌鳥古墳群をめぐり歩いています。
ただいま旗塚古墳で一休み。
これから宮内庁が履中天皇陵だと言い張る古墳まで歩いてゆきます。
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