大阪に定時に着く。隣のホームの大阪環状線のオレンジの電車を見て昭和59年の夏休みに14系座席車による 銀河51号で大阪に着いたときのことを思い出した。321系、183系北近畿、681系びわこエクスプレス、113系、日本海2号などをスナップできた。ホーム移動のおりに乗ったエスカレーターの左側に立っていたらみんな邪魔そうに筆者を追い越してゆく。はっとした。大阪ではエスカレーターの追い越し車線が左側なのだ。なぜエスカレーターの組合で全国を統一しなかったのだろうか? これが車の車線だったら事故になるぞ。
今回は鉄道研究ではなく天皇陵問題研究の旅なので余り鉄分を出しているわけにもゆかず後ろ髪引かれる思いで環状線のりばへ。昭和59年に来たときは環状線のりばはホーム番号がなく単に「環状線のりば」と呼ばれていたのだが今では1,2番線と立派な番号で呼ばれている。2番線から水色のサハ201に乗り京橋回りで天王寺に出る。
天王寺の阪和線の頭端式ホームを見ていかにも天王寺らしいと感じる。阪和線には水色の103系が健在だ。しかも低運転台車だ。阪和線でクハ103水中メガネ君(運転台が1枚ガラスになった更新車)を見掛けたが撮り損ねた。くやしーっ。
堺市まで水色のモハ102の区間快速に乗る。やっぱり国鉄通勤電車は心が安らぐ。南田辺から我孫子町までの区間が最近高架になったようで旧線を撤去した跡地が見える。堺市で普通に乗り換えて三国が丘を出てずっと右側の車窓を見ていたのだけれど家が建っていて大山古墳が見えなかったのが予想外だった。
今回は鉄道研究ではなく天皇陵問題研究の旅なので余り鉄分を出しているわけにもゆかず後ろ髪引かれる思いで環状線のりばへ。昭和59年に来たときは環状線のりばはホーム番号がなく単に「環状線のりば」と呼ばれていたのだが今では1,2番線と立派な番号で呼ばれている。2番線から水色のサハ201に乗り京橋回りで天王寺に出る。
天王寺の阪和線の頭端式ホームを見ていかにも天王寺らしいと感じる。阪和線には水色の103系が健在だ。しかも低運転台車だ。阪和線でクハ103水中メガネ君(運転台が1枚ガラスになった更新車)を見掛けたが撮り損ねた。くやしーっ。
堺市まで水色のモハ102の区間快速に乗る。やっぱり国鉄通勤電車は心が安らぐ。南田辺から我孫子町までの区間が最近高架になったようで旧線を撤去した跡地が見える。堺市で普通に乗り換えて三国が丘を出てずっと右側の車窓を見ていたのだけれど家が建っていて大山古墳が見えなかったのが予想外だった。
大阪地区でも車体広告をしていて驚きました。
JR西日本が好きな戸袋窓を埋めた201系もいました。