海神奈川吹奏楽部愛好会ブログ

海神奈川吹奏楽部愛好会=タリカスの
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柳本古墳群めぐりの旅4

2006年12月10日 23時12分32秒 | 柳本古墳群
その4 奈良県から華麗なる撤退

 柳本駅に戻ると予定より1本前の15:09発の奈良行きに乗れた。車両は105系500番台。車内には下校途中の女子高生もおりにぎやか。  奈良で下車しおみやげを買いに駅前商店街へ。仮説駅舎の脇に寺院風の旧 奈良駅舎が建っており高架化によって取り壊されると聞いていたけれど反対運動でもあって保存が決まったのだろうか。ともかくめでたいことだ。おみやげ屋に入り饅頭と素焼きの埴輪キーホルダー(武人・馬)を買い古墳めぐりの旅にふさわしいおみやげとなる。このほかに遮光器型土偶と踊る埴輪のキーホルダーもあったけれど買わなかった。  当初の予定では16:09発のみやこ路快速で京都に出る予定であるが黄緑白帯の103系に乗りたくなり15:57発の普通でみやこ路快速に追いつかれる宇治まで先行する。この列車も下校途中の女子高生たちでにぎわっている。 宇治で追いついてきたみやこ路快速の221系に乗り移る。103系に比べると221系はずっと静かで快適だ。 京都ではのぞみ96号まで約30分の時間があるので奈良線ホームで103系、221系、山陰本線ホームで113系、183系きのさき、サンダーバートなどをスナップする。山陰本線ホームで洋風弁当と缶ビールを買って新幹線ホームに向かう。 のぞみ96号は700系。E席にすわるのだがD席は京都では乗ってこない。だから隣に気兼ねなく洋風弁当を開く。この弁当は御飯の半分がカレーピラフでハンバーグや海老フライなどのおかずが入ったもので大変美味しかった。女性カレチに別途乗車で東京都区内から乗り越しとなる蒲田から川崎ゆきの車内補充券を発行してもらうと「原券 契約団体」となっていた。名古屋でもD席は埋まらず、車内販売から抹茶アイスを買って食べながら過ごした。 旅の終りに新幹線から見えた新橋駅のホームに会社帰りにお父さん方を見て今日が月曜の夜だと思い出す。東京19:53発の東海道線に乗ると新橋で前述のお父さん方がどどっと乗ってきた。
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柳本古墳群めぐりの旅3

2006年12月07日 18時55分55秒 | 柳本古墳群
その3 柳本古墳群めぐり(後編)

 行燈山古墳を回り込むように歩いてゆくとその巨大さをよくわかる。前方部に設けられた拝所からではその巨大さをわかりにくい。前方後円墳は横から拝むものだという説もこうして歩いてみればしっくりと受け入れられる。
 行燈山古墳のすぐ隣にある櫛山古墳の墳丘に上がるとどんぐりがっいっぱい落ちていて小さい子供づれで来ていたらきっと
「どんぐりぃ~」
と言って大喜びで拾い集めることだろう。西殿塚古墳に向かう途中黒塚古墳の絵葉書セットを買うことが出来た。いい記念になる。そのあと少し道に迷った。

中山大塚古墳は前方部を削平して大和(おおやまと)神社の御旅所が建っている。だからパッと見には前方後円墳とわかりにくい。そろそろ帰りの電車の時刻が気になってきて柳本15:31発の奈良ゆきに乗れないとまずいのだ。今回の新幹線のきっぷはパックツアーの乗車票なので指定券の交付を受けたのぞみ96号に乗り遅れたら自由席にも乗れないばかりか乗車券も無効になってしまうのだ。古墳関係の学術書で何度もその名を目にした西殿塚古墳を見たいから中山大塚古墳はちらと立ち寄っただけで西殿塚古墳へ急ぐ。

 西殿塚古墳への入口には「←衾田陵」という立て札が出ているが墓地や畑の中を通る細い野道だ。この立て札が出ていなかったら決してこの先に西殿塚古墳があると気がつかないだろう。古墳に4世紀の人骨が転がっていても別に恐くはないが、20世紀に亡くなった人たちの現代の墓地を抜けてゆくのはちょっと恐い。ここも宮内庁が手白香皇女陵(第26代 継体天皇皇后)だと言い張っているため拝所から拝むのみ。ひとつ気になるのが天理市の立てている案内板で、西殿塚古墳への入口には「←衾田陵」という立て札が出ていたのに西殿塚古墳の前には「西殿塚古墳」という立て札が出ていることだ。衾田陵は手白香皇女陵であり宮内庁が西殿塚古墳こそが衾田陵だと言い張っている、という事実を知らない人が来たら衾田陵を捜し求め西殿塚古墳の前を通過してしまうだろう。もう少し頭を使ってほしい。

 西殿塚古墳の先にある東殿塚古墳へゆく。こちらは宮内庁とは無縁ではあるが濠があるので墳丘に上がることは無理だ。国民から巻き上げた税金で整備された西殿塚古墳に対して東殿塚古墳は荒れているという印象だ。天理市の観光マップのモデルコースからも外れているので古墳愛好家以外の観光客は誰も来ないのであろう。東殿塚古墳の周りには無尽の山畑が広がるだけで畑の手入れに人が来ることはあるようだけれど無人境である。西殿塚古墳と東殿塚古墳の被葬者(古墳に葬られた人)はすぐ隣に作るくらいだから深い関係があるのだろうけれどこの格差では東殿塚古墳の被葬者の御霊は浮かばれまい。

 残念だが西山塚古墳は時間切れで行けそうにない。西殿塚古墳と東殿塚古墳と関連付けてこれら三つの古墳を見たかったけれど新幹線のきっぷを無効にするわけにもゆかないので泣く泣く柳本駅に戻ることにする。

以下未完
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柳本古墳群めぐりの旅2

2006年12月07日 15時49分00秒 | 柳本古墳群
その2 柳本古墳群めぐり(前編)

  桜井線はついに柳本駅に着いた。無人駅なので運賃箱に奈良から柳本ゆきの別途乗車分のきっぷを入れ下車する。古びた木造駅舎の梁には「ロマンの里 黒塚古墳」と書いてありぐもももも~っと気分が高揚する。去りゆく105系500番台を撮影した後ホームに三脚を立てて駅名表と駅舎をバックに記念撮影。旅行貯金しに郵便局を目指すと柳本は古い町屋か多く残る町で大変よい風情だ。郵便局で貯金し、友に風景入日付印でハガキを送る。

 郵便局近くの黒塚古墳に行く。ここは全長130メートルの前方後円墳で地震で石室がつぶれたため未盗掘(墓荒らしに遭っていない埋葬当時のままのこと)の石室から33面の三角縁神獣鏡が出土したのだ。これはひとつの古墳から出た数として全国最多の枚数である。三角縁神獣鏡は魏志倭人伝で邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝に使者を送り朝貢したおりに下賜された「銅鏡百枚」の一部ではないかとの説もある銅鏡だ。もっとも全国からすでに300面以上が出土し、中国・朝鮮半島では一面も出土していないなど異論の入る余地はまだまだ多い。ここは天皇陵ではないからきちんと発掘調査がなされ公園として整備され自由に墳丘(古墳の丘)に上がることが出来る。
 全周はしていないので濠(ほり)というよりも池越しに黒塚古墳の姿を見ると大変に美しい。ほっそりとした前方部が女性的な感じで大変によい。日程に余裕があればスケッチブックを開いて一日かけて絵を描くところだろう。墳丘に上がり前方部から後円部を見ると段築(お供え餅のように段重ねのような形に墳丘を作ること)の様子が手にとるように見て取れる。解説版によればごたぶんにずれ黒塚古墳も戦国時代には城郭に改造され主郭として使った後円部を守るため前方部と後円部のくびれ部分に深さ3メートルの掘割を作ったそうだ。後円部墳頂部には石室の位置と発掘状況がわかるようにレリーフが設置されていて古墳愛好家にわかりやすい古墳になっている。後円部墳頂部から見る柳本の町並みはのどかで、黒塚古墳を作った人や戦国大名もこれを見たのかと思うと感動する。

 後円部そばにある黒塚古墳展示室は月曜日なのでお休み。黒塚古墳展示室が月曜日休みなのは知っていたけれど、この日をはずせば次はいつ柳本にゆけるかわからない因果な仕事をしているためやむをえない。窓越しに展示パネルの一部を見た。

 その先にある南アンド山古墳に行く。ここは行燈山古墳の陪冢陪冢(ばいちょう・大きな古墳の回りにある副葬品を収めた小さな古墳)の一つである。陪冢といっても全長50メートル級はあろう大きな前方後円墳だ。国道沿いの柿木をバックに一枚撮る。

 行燈山古墳に行く。ここは第10代 崇神天皇陵だと宮内庁が言い張っている古墳なので拝所が設けられ墳丘に上がることは出来ない。拝所で参拝するが巨大な前方後円墳なのでその全貌は地上からでは理解し得ない。宮内庁書陵部という古墳を管理している部署の事務所があり当古墳に関するパンフレットを所望すると、パンフレットをもらえはしたもののありえないくらいに愛想が悪かった。別に天皇陵問題を前面に押し出していたわけではないのだけれども宮内庁書陵部って天皇陵問題研究家にはやはり冷たい。
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柳本古墳群めぐりの旅1

2006年12月07日 15時48分03秒 | 柳本古墳群
その1 500系のぞみさよなら乗車

この日の早朝の川崎の街はしんと冷え込んでいて冬という感じだ。人気のない川崎駅から京浜東北線に乗り込み多摩川を渡ると黄色い満月が見えた。今回は奈良県天理市柳本町の柳本古墳群へ天皇陵問題の現状を見に出かける。今回はJR東海ツアーズの「1day奈良」という東京駅6時代の限定されたのぞみで出発し、復路は任意の新幹線の指定席で奈良まで往復して20800円という激安の日帰りパックを使用しての旅だ。

 東京駅で東海道新幹線ホームの上がり14番線に停車する500系のぞみ1号をスナップ。500系は東海道区間からの撤退がすでに報じられており、これが事実上のさよなら乗車になるだろう。
 東京駅を出発。オルゴールが「いい日旅立ち」というのがJR西日本の車両であることを感じさせる。品川付近で見る朝焼けがとてもきれいだ。筆者はA席にすわっているのだが、品川と新横浜で乗ってきたB,C席のビジネスマンたちはノートパソコンを開いて英文の報告書を打っていたり、なにやら書類に目を通して仕事モードなのにこちらの頭の中は古墳でいっぱい。由比付近で駿河湾に太陽が顔をのぞかせる。名古屋駅前のビルの温度計は「気温6度」とあり外は寒そう。

 京都に着き走り去る500系のぞみを撮影し、奈良線の区間快速に乗り換え。221系が使用されている。神奈川県民の筆者にすれば221系は今でも東海道線を走っているようなイメージがあるがそれは過去の話なのだ。黄緑に白帯の103系も入線してくる。期末テストなのか区間快速の車内には女子高生の姿もあるがノートを見るでもなく鏡を見ていた。勉強しろよなぁ。
 奈良線は京都からJR藤森まで複線化されている。昭和59年に乗ったときは純然たるローカル線だったのにだいぶ近代化されたなぁと感じる。しかし桃山で103系普通と交換するシーンは電車よりもキハ58が似合うなぁと感じる。桃山にも宮内庁が天皇陵だと言い張る古墳があるのでいつか来てみたい。単線ゆえ通過駅でもポイントで徐行しなくてはいけないからローカル急行の風情だ。交換待ちをする駅ではドアを半自動にして車内の保温をする。221系に半自動装置があったki初めて気づいたが、湖西線用にもともと着いていたのか?奈良線転用時に取り付けたのだろうか? 木津で片町線と関西本線が左右から合流する。昭和59年の夏にキハ58で乗って以来片町線には乗ってないなぁ。

 奈良駅は現在高架中。寺院風の旧駅舎は取り壊されてしまったのだろうか? あわただしく桜井線に乗り換えるので確認する余裕はなかった。桜井線はワンマン仕様の105系500番台が使用されている。かつて常磐線各駅停車-営団地下鉄千代田線直通のために作られた103系1000番台の改造車だ。まだ走っているなんてJR西日本は物持ちがいい。高田から和歌山線に入り和歌山まで直通するのだから気の遠くなるような話だ。(所要約3時間)
 建設中の高架の脇を邪魔臭そうに走り京終駅へ。奈良から一駅とは思えないような古色蒼然としたたたずまいの無人駅だ。次は宮脇俊三氏が愛した帯解駅。ここもいつか降りてみたい。桜井線は柳本、巻向、三輪、畝傍といった古墳愛好家が喜びそうな駅が続く古墳ラインである。あまり線路の手入れが行き届いていないのか、105系500番台は跳ねるような野性味あふれる走りをする。
 天理駅には大留置線があり、駅周辺には天理教関連施設がたくさん見えるが今でも天理臨って走るのだろうか? 駅前には奈良交通バスが止まり奈良県に来たことを実感させる。
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柳本旅行記執筆中

2006年12月06日 22時30分39秒 | 柳本古墳群
現在鋭意執筆中に付き、もうしばらくお待ちください。
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東京駅に帰り着く

2006年12月04日 19時49分16秒 | 柳本古墳群
のぞみ96号は終点東京駅に着きました。
楽しかった古墳めぐりもこれでおしまいです。
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東京駅に着く

2006年12月04日 19時48分38秒 | 柳本古墳群
東海道線で川崎駅に帰ります。
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新横浜駅から

2006年12月04日 19時30分47秒 | 柳本古墳群
ようやく神奈川県に帰ってきました。
しかし降りずに東京駅まで乗ります。

新幹線に川崎駅ができればいいのに。
中原区東刈宿付近か南武線交差地点付近を筆者は想定しています。
新川崎駅は横須賀線で使用しているから武蔵川崎駅なんていいかも。
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静岡通過!

2006年12月04日 18時57分44秒 | 柳本古墳群
静岡駅を通過しました。
静岡と聞くと、お友達のコ★ジコさんを思い出すけれど元気だろうか。
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浜松通過!

2006年12月04日 18時35分29秒 | 柳本古墳群
もう静岡県か。
のぞみだとあっという間だなぁ。
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ただいま名古屋に着く

2006年12月04日 18時01分35秒 | 柳本古墳群
のぞみ96号は名古屋に着きました。
383系しなのが見えました。
夜だから車窓は楽しめないのでおとなしく本を読もう。
次は新横浜。
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京都でのぞみを待つ

2006年12月04日 17時22分45秒 | 柳本古墳群
新幹線京都駅のホームでのぞみ96号を待っています。
帰りは700系にしました。
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奈良県から撤退中

2006年12月04日 16時06分57秒 | 柳本古墳群
ただいま奈良駅から奈良線普通の黄緑103系で京都に向かっています。
103系に乗りたくて宇治まで乗り、みやこ路快速に乗り移ります。
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ふたたび柳本駅から

2006年12月04日 15時04分19秒 | 柳本古墳群
黒塚古墳をかわきりに行燈山古墳、南アンド山古墳、櫛塚古墳、中山大塚古墳、西殿塚古墳、東殿塚古墳をめぐり歩きました。
黒塚古墳は学術的に有名で、
西殿塚古墳と東殿塚古墳は学術書で何度もその名を目にした古墳なので見ることができとてもうれしい!

これから桜井線で奈良に向かいます。
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ついに柳本

2006年12月04日 11時00分06秒 | 柳本古墳群
105系500番台に乗り桜井線の柳本駅に着きました。
柳本は無人駅でした。
これから柳本古墳群を見にゆきますが
まず、黒塚古墳に来て古墳の上を散策しています。
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