その2 柳本古墳群めぐり(前編)
桜井線はついに柳本駅に着いた。無人駅なので運賃箱に奈良から柳本ゆきの別途乗車分のきっぷを入れ下車する。古びた木造駅舎の梁には「ロマンの里 黒塚古墳」と書いてありぐもももも~っと気分が高揚する。去りゆく105系500番台を撮影した後ホームに三脚を立てて駅名表と駅舎をバックに記念撮影。旅行貯金しに郵便局を目指すと柳本は古い町屋か多く残る町で大変よい風情だ。郵便局で貯金し、友に風景入日付印でハガキを送る。
郵便局近くの黒塚古墳に行く。ここは全長130メートルの前方後円墳で地震で石室がつぶれたため未盗掘(墓荒らしに遭っていない埋葬当時のままのこと)の石室から33面の三角縁神獣鏡が出土したのだ。これはひとつの古墳から出た数として全国最多の枚数である。三角縁神獣鏡は魏志倭人伝で邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝に使者を送り朝貢したおりに下賜された「銅鏡百枚」の一部ではないかとの説もある銅鏡だ。もっとも全国からすでに300面以上が出土し、中国・朝鮮半島では一面も出土していないなど異論の入る余地はまだまだ多い。ここは天皇陵ではないからきちんと発掘調査がなされ公園として整備され自由に墳丘(古墳の丘)に上がることが出来る。
全周はしていないので濠(ほり)というよりも池越しに黒塚古墳の姿を見ると大変に美しい。ほっそりとした前方部が女性的な感じで大変によい。日程に余裕があればスケッチブックを開いて一日かけて絵を描くところだろう。墳丘に上がり前方部から後円部を見ると段築(お供え餅のように段重ねのような形に墳丘を作ること)の様子が手にとるように見て取れる。解説版によればごたぶんにずれ黒塚古墳も戦国時代には城郭に改造され主郭として使った後円部を守るため前方部と後円部のくびれ部分に深さ3メートルの掘割を作ったそうだ。後円部墳頂部には石室の位置と発掘状況がわかるようにレリーフが設置されていて古墳愛好家にわかりやすい古墳になっている。後円部墳頂部から見る柳本の町並みはのどかで、黒塚古墳を作った人や戦国大名もこれを見たのかと思うと感動する。
後円部そばにある黒塚古墳展示室は月曜日なのでお休み。黒塚古墳展示室が月曜日休みなのは知っていたけれど、この日をはずせば次はいつ柳本にゆけるかわからない因果な仕事をしているためやむをえない。窓越しに展示パネルの一部を見た。
その先にある南アンド山古墳に行く。ここは行燈山古墳の陪冢陪冢(ばいちょう・大きな古墳の回りにある副葬品を収めた小さな古墳)の一つである。陪冢といっても全長50メートル級はあろう大きな前方後円墳だ。国道沿いの柿木をバックに一枚撮る。
行燈山古墳に行く。ここは第10代 崇神天皇陵だと宮内庁が言い張っている古墳なので拝所が設けられ墳丘に上がることは出来ない。拝所で参拝するが巨大な前方後円墳なのでその全貌は地上からでは理解し得ない。宮内庁書陵部という古墳を管理している部署の事務所があり当古墳に関するパンフレットを所望すると、パンフレットをもらえはしたもののありえないくらいに愛想が悪かった。別に天皇陵問題を前面に押し出していたわけではないのだけれども宮内庁書陵部って天皇陵問題研究家にはやはり冷たい。
桜井線はついに柳本駅に着いた。無人駅なので運賃箱に奈良から柳本ゆきの別途乗車分のきっぷを入れ下車する。古びた木造駅舎の梁には「ロマンの里 黒塚古墳」と書いてありぐもももも~っと気分が高揚する。去りゆく105系500番台を撮影した後ホームに三脚を立てて駅名表と駅舎をバックに記念撮影。旅行貯金しに郵便局を目指すと柳本は古い町屋か多く残る町で大変よい風情だ。郵便局で貯金し、友に風景入日付印でハガキを送る。
郵便局近くの黒塚古墳に行く。ここは全長130メートルの前方後円墳で地震で石室がつぶれたため未盗掘(墓荒らしに遭っていない埋葬当時のままのこと)の石室から33面の三角縁神獣鏡が出土したのだ。これはひとつの古墳から出た数として全国最多の枚数である。三角縁神獣鏡は魏志倭人伝で邪馬台国の女王卑弥呼が魏の皇帝に使者を送り朝貢したおりに下賜された「銅鏡百枚」の一部ではないかとの説もある銅鏡だ。もっとも全国からすでに300面以上が出土し、中国・朝鮮半島では一面も出土していないなど異論の入る余地はまだまだ多い。ここは天皇陵ではないからきちんと発掘調査がなされ公園として整備され自由に墳丘(古墳の丘)に上がることが出来る。
全周はしていないので濠(ほり)というよりも池越しに黒塚古墳の姿を見ると大変に美しい。ほっそりとした前方部が女性的な感じで大変によい。日程に余裕があればスケッチブックを開いて一日かけて絵を描くところだろう。墳丘に上がり前方部から後円部を見ると段築(お供え餅のように段重ねのような形に墳丘を作ること)の様子が手にとるように見て取れる。解説版によればごたぶんにずれ黒塚古墳も戦国時代には城郭に改造され主郭として使った後円部を守るため前方部と後円部のくびれ部分に深さ3メートルの掘割を作ったそうだ。後円部墳頂部には石室の位置と発掘状況がわかるようにレリーフが設置されていて古墳愛好家にわかりやすい古墳になっている。後円部墳頂部から見る柳本の町並みはのどかで、黒塚古墳を作った人や戦国大名もこれを見たのかと思うと感動する。
後円部そばにある黒塚古墳展示室は月曜日なのでお休み。黒塚古墳展示室が月曜日休みなのは知っていたけれど、この日をはずせば次はいつ柳本にゆけるかわからない因果な仕事をしているためやむをえない。窓越しに展示パネルの一部を見た。
その先にある南アンド山古墳に行く。ここは行燈山古墳の陪冢陪冢(ばいちょう・大きな古墳の回りにある副葬品を収めた小さな古墳)の一つである。陪冢といっても全長50メートル級はあろう大きな前方後円墳だ。国道沿いの柿木をバックに一枚撮る。
行燈山古墳に行く。ここは第10代 崇神天皇陵だと宮内庁が言い張っている古墳なので拝所が設けられ墳丘に上がることは出来ない。拝所で参拝するが巨大な前方後円墳なのでその全貌は地上からでは理解し得ない。宮内庁書陵部という古墳を管理している部署の事務所があり当古墳に関するパンフレットを所望すると、パンフレットをもらえはしたもののありえないくらいに愛想が悪かった。別に天皇陵問題を前面に押し出していたわけではないのだけれども宮内庁書陵部って天皇陵問題研究家にはやはり冷たい。
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