ねぎ置き場~ひっそり貯えるネタの貯蔵庫~

(自称!)青春系ダンスユニット○~まる~の左。ダンスやったり、表現したがりな三十路が送るブログエンターテイメント

実録「家族で舞台に立つまで」第7回

2016-01-24 16:56:53 | 踊りに関することシリーズ

今日は朝から家族に時間をもらい、近所のスタジオへ一人こもる。
鏡を見ながら、自分があまり太って見えないポーズを追求し始める。

ここはお尻がぷりっと見えるな…

ここだとあごが完全に無くなるな…

あごを引くと二重になるな…



練習開始から実に30分間…
なにやってんだ!!おじさん!!

入念なストレッチから始めて、徐々に身体を温める。
(ここを怠るとその後しばらくの生活に影響が出る。ええ、あたしも大学生のころはストレッチの重要性が分からず、牛丼食った直後にアップ無しでぴょんぴょん跳ねてたけど、いまそれをやったらダメージダメージ!)

そして、今一度やるべきことを思い出し、心に火を付ける。

俺が今、息子に伝えられること。
息子のために遺せるもの。
生まれてきてくれた感謝。


うおっし!!
いつもありがとう、家族!


前回のビデオを見直して、今日までにメモしておいた自分で書いたダメ出しをみる。

この作業が作品作りにおいて、最重要だと僕は考えている。

もっと大げさにいえば人生においてもかなり大事だと思う。

僕はもともと見直し大嫌いな人間なので、何かと小さいミスがポロポロ出てくる。

一通りやり終わったことですっきりして、もういいかな、と言う気分になることがよくある。

テストでも解答用紙が埋まることに満足をして、それ以上見直しをしない。そうすると、必ずケアレスミスがポロポロ出てくる。あとちょっとで満点だったのに…ということがよくある。

また、仕事で上司に出来上がったばかりの書類を確認してもらったときに、

これは『沸騰した書類』っていうんだ、確認もせずに持ってくるんじゃない!

と一喝されたことがある。

このときも、書類が完全したことに満足で見直す気にもならなかった記憶がある。


どれも、共通していえることがある。


『自分の力を過信しすぎている』


ということだ。

そして、

自分の力を過信しすぎたことにより、ミスが生じ、結果的に自分の能力以下の結果しかだせなかったということも共通している。


これは作品作りにおいてはなおさら重要だ。

自分で一通り作品が通せるようになったままお客様に見てもらうなんてことは、
自己満足の極みである。

自己を過信せずに、
沸騰したお湯を冷ましてちょうどよい湯加減になってからお客様に見せる。

自己を過信せずに、
第三者の視点をもちながら、「本当にこれでよいのか」と常に考え続ける。

この作業を繰り返し繰り返し行うことが作品の質を良くすることともつながる。

まずは、自分を疑う。
ダメな部分を洗い出す。

今回自分のビデオを見返しも、ぽっちゃりおじさんが暴れているようにしか見えなかった。

ちくしょう!

想いは熱く!
作品作りは第三者的視点を忘れない!



僕のチャレンジはまだまだこれからだ!

プライドを捨てて自分のあらを探します。


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