今年度5回目の古道歩きは、令和5年3月4日(土)に南伊豆町の大池から松崎町の岩科へ農業用水を引いた用水路の一部を見てきました。
大池は、蛇石火山によってできた湿地と言われていますが、昭和30年代まで田んぼを作っていたそうです。そのための作業小屋を建てて生活していた跡がところどころで見られます。
町から大池への道しるべはないので、案内する人がいないと行くのは難しいと思います。でも車があれば意外とアクセスしやすく、偉大な先人が残した農業遺産のすごさを目の当たりにすることができます。
今回はメンバー9人全員が集まり、わくわくする気持ちを胸に、南伊豆町天神原を目指しました。
林道脇に自家用車を置いて、ゆるやかな坂を下って大池へと歩いていきます。
大池の畔に建っていた農作業小屋は1階が倉庫で2階が居住のための部屋だった、という話を聞いたことがあります。
池尻へと歩いていきます。
石橋を渡り、水路へと向かいます。
小川から分岐した用水路跡を辿っていきます。
15分ほど水路跡を辿ると、北から下ってきた古道と合流します。その地点に小さな石橋が架けてあります。そういう小さな工作物を見つけるのも、古道歩きの一つの楽しみです。
用水はこのように岩の上を通る部分があるのです。ホントに驚くばかりです。
ようやく用水路の掘割りの部分に着きました。
見上げるような高い岩壁に、誰もが息をのんで歩きます。
この深い掘割りは、人の手で掘ったそのままの形を保っているそうです。
興奮が冷めぬまま、大池にもどって周囲を1周します。
作業小屋が建っていた跡には、陶器の欠片などが散乱しています。
大池の見学をした後、自家用車で石部の棚田に移動して、昼食をとりました。
この日は棚田のオーナーたちが集まって、田起こしの作業をしていました。
本日集まった最強メンバー。すでに令和5年度の古道歩きへの期待に胸を膨らませています。
大池は、蛇石火山によってできた湿地と言われていますが、昭和30年代まで田んぼを作っていたそうです。そのための作業小屋を建てて生活していた跡がところどころで見られます。
町から大池への道しるべはないので、案内する人がいないと行くのは難しいと思います。でも車があれば意外とアクセスしやすく、偉大な先人が残した農業遺産のすごさを目の当たりにすることができます。
今回はメンバー9人全員が集まり、わくわくする気持ちを胸に、南伊豆町天神原を目指しました。
林道脇に自家用車を置いて、ゆるやかな坂を下って大池へと歩いていきます。
大池の畔に建っていた農作業小屋は1階が倉庫で2階が居住のための部屋だった、という話を聞いたことがあります。
池尻へと歩いていきます。
石橋を渡り、水路へと向かいます。
小川から分岐した用水路跡を辿っていきます。
15分ほど水路跡を辿ると、北から下ってきた古道と合流します。その地点に小さな石橋が架けてあります。そういう小さな工作物を見つけるのも、古道歩きの一つの楽しみです。
用水はこのように岩の上を通る部分があるのです。ホントに驚くばかりです。
ようやく用水路の掘割りの部分に着きました。
見上げるような高い岩壁に、誰もが息をのんで歩きます。
この深い掘割りは、人の手で掘ったそのままの形を保っているそうです。
興奮が冷めぬまま、大池にもどって周囲を1周します。
作業小屋が建っていた跡には、陶器の欠片などが散乱しています。
大池の見学をした後、自家用車で石部の棚田に移動して、昼食をとりました。
この日は棚田のオーナーたちが集まって、田起こしの作業をしていました。
本日集まった最強メンバー。すでに令和5年度の古道歩きへの期待に胸を膨らませています。