令和5年度の古道歩き最終回は、令和6年3月2日に松崎町の道部から岩地へ峠を越える古道を歩いてきました。
出発点は、松崎町営のテニスコート駐車場です。すぐそばの町道に石造物がまとめて置かれており、そこを過ぎると、「←岩地」と書いた立札があります。町のどなたかが古道の手入れをしておられて、道しるべを立ててくださったのです。
60年ほど前に海回りの県道が開通するまでは、岩地から徒歩で松崎へ行く人たちは渡船に乗るか、またはこの道を通った、と聞きました。それだけに道には年月の重みを感じられます。
次第に道は荒れてきますが、しっかり歩くことができます。保存状態は良いと言えます。
歩き始めて40分ほどで、舗装された農免道路に出ました。
そこから数分歩くと、2体のお地蔵様が待つ岩地峠に到達します。
岩地のお生まれのメンバーさんがおられるので、この地で過ごされた頃の話を聞きながら、道が日常生活で使われていた様子を想像しました。
指さしておられる方は、石部への道だそうです。
峠からは、畑を作ってあった山や、南隣の石部に行く道などが分かれていて、往来が盛んに行なわれていた頃を偲ぶことができました。
農免道路の丁字路から下に降りるのが古道であるそうです。
辺りには段々畑が作られており、斜面を利用して農業を行っていた時代を想うことができました。
くぬぎ林を抜けると、岩地の青い空と海が一気に開けます。メンバーさん達から「わあー、きれい。岩地の景色を初めて見たよ。」という声が上がりました。案内人としてこの古道を選んでよかった、と思った瞬間でした。
岩地に着いてからは、この地に詳しいメンバーさんから話を伺いながら散策しました。
昔は防潮堤が作ってなくて、砂浜がもっと広く、朝は海亀が産卵に来ることがあったとのことです。
丘の上には「八幡丸物故船員の碑」があり、太平洋戦争の悲しい歴史を伝えていました。
岩地でのひと時を過ごした後は松崎の「久遠」に移動して、昼食会を兼ねたミーティングをして、解散しました。
これまでの古道歩きにお付き合いいただきましたことに、深く感謝いたします。ありがとうございました。
出発点は、松崎町営のテニスコート駐車場です。すぐそばの町道に石造物がまとめて置かれており、そこを過ぎると、「←岩地」と書いた立札があります。町のどなたかが古道の手入れをしておられて、道しるべを立ててくださったのです。
60年ほど前に海回りの県道が開通するまでは、岩地から徒歩で松崎へ行く人たちは渡船に乗るか、またはこの道を通った、と聞きました。それだけに道には年月の重みを感じられます。
次第に道は荒れてきますが、しっかり歩くことができます。保存状態は良いと言えます。
歩き始めて40分ほどで、舗装された農免道路に出ました。
そこから数分歩くと、2体のお地蔵様が待つ岩地峠に到達します。
岩地のお生まれのメンバーさんがおられるので、この地で過ごされた頃の話を聞きながら、道が日常生活で使われていた様子を想像しました。
指さしておられる方は、石部への道だそうです。
峠からは、畑を作ってあった山や、南隣の石部に行く道などが分かれていて、往来が盛んに行なわれていた頃を偲ぶことができました。
農免道路の丁字路から下に降りるのが古道であるそうです。
辺りには段々畑が作られており、斜面を利用して農業を行っていた時代を想うことができました。
くぬぎ林を抜けると、岩地の青い空と海が一気に開けます。メンバーさん達から「わあー、きれい。岩地の景色を初めて見たよ。」という声が上がりました。案内人としてこの古道を選んでよかった、と思った瞬間でした。
岩地に着いてからは、この地に詳しいメンバーさんから話を伺いながら散策しました。
昔は防潮堤が作ってなくて、砂浜がもっと広く、朝は海亀が産卵に来ることがあったとのことです。
丘の上には「八幡丸物故船員の碑」があり、太平洋戦争の悲しい歴史を伝えていました。
岩地でのひと時を過ごした後は松崎の「久遠」に移動して、昼食会を兼ねたミーティングをして、解散しました。
これまでの古道歩きにお付き合いいただきましたことに、深く感謝いたします。ありがとうございました。