蜆川(曽根崎川)の跡を巡る(4)
蜆川にかかる一番下流の橋が「堂島小橋」。
ではその上流側にかかっていたのはというと、「汐津橋」(塩津橋とも)。
地図を見ながら、大体このあたり…と検討を付けていたのですが
その周辺を見回してもそれらしき石碑などは見当たらない。
堂島小橋の石碑も無いし、ちょっとさびしい。
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たぶん、関電病院の西側の道にかかっていたのだと思う。
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大正13年「大阪市パノラマ地図」。
1863年の古地図複製を見ると汐津橋南詰西側には
「西本願寺舟入」と書かれています。
インターネットで検索したところ、
対岸(福島側)にある西善寺についての文章が見つかりました。
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西善寺は江戸時代初期に大きな船を持っていて、
その船を用いて北陸方面に布教活動をしていたのだそうです。
蜆川は川幅が細いので大きな船は通れませんから、
堂島川側に着岸させていたのでしょう。
(舟入とは川舟の発着場のことらしいです)
船に乗っていた人は堂島を縦断して(狭いですが)
汐津橋を使って、北岸にあるお寺に出入りしていたのかな。
※「福島区の風景・街並み」
蜆川にかかる一番下流の橋が「堂島小橋」。
ではその上流側にかかっていたのはというと、「汐津橋」(塩津橋とも)。
地図を見ながら、大体このあたり…と検討を付けていたのですが
その周辺を見回してもそれらしき石碑などは見当たらない。
堂島小橋の石碑も無いし、ちょっとさびしい。
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たぶん、関電病院の西側の道にかかっていたのだと思う。
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大正13年「大阪市パノラマ地図」。
1863年の古地図複製を見ると汐津橋南詰西側には
「西本願寺舟入」と書かれています。
インターネットで検索したところ、
対岸(福島側)にある西善寺についての文章が見つかりました。
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西善寺は江戸時代初期に大きな船を持っていて、
その船を用いて北陸方面に布教活動をしていたのだそうです。
蜆川は川幅が細いので大きな船は通れませんから、
堂島川側に着岸させていたのでしょう。
(舟入とは川舟の発着場のことらしいです)
船に乗っていた人は堂島を縦断して(狭いですが)
汐津橋を使って、北岸にあるお寺に出入りしていたのかな。
※「福島区の風景・街並み」