初秋のまだ蒸し暑い夜のこと、JR福島駅前を通りかかったところ
一台の車が止まっていました。
何かな?と車の方を見ておりますと、
一人の男性が周囲の人にあいさつをしながら、車に乗り込もうとしていました。
まわりの人たちと何か雰囲気が違う人だなと思ったら
NHKの人気アナウンサー、「麿」こと登坂 淳一さんでした。
まだまだ汗がにじむような蒸し蒸しとした空気の中、
登坂さんの周囲だけスカイミントの風が吹いているかのような爽やかさでした。
挨拶をしている時の笑顔も素敵でしたし、何より声が素晴らしかった。
ファンでもなんでもありませんが、あまりの格好良さに驚きました。
それにしても、なんで登坂さんがこんなところに?
と疑問に思っていましたが、しばらくして謎が解けました。
『かんさい熱視線』のロケで高架下の「更科食堂」に来ておられたのです。
『この街に“怪童”は生きた~村山聖 青春の記憶を訪ねて~』の放送のためでした。
30分の短い番組でしたが、とても面白く、映画も見てみたいなと思いました。
・かんさい熱視線「この街に“怪童”は生きた~村山聖 青春の記憶を訪ねて~」
・映画『聖の青春』 大ヒット上映中!
早世した将棋棋士、村山聖が青春を過ごしたのは、関西将棋会館のある福島の町でした。
福島6丁目にある将棋会館と浦江公園近くの自宅アパートが生活の中心。
足しげく通っていたのが更科食堂です。
村山が住んでいた前田アパートの建物は今も残っていて、
ファンの間では聖地になっているのだとか。
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アパートの目の前は緑豊かな浦江公園。
村山聖ゆかりの地=福島と言われていますが
実はここは福島区ではなく、北区です。
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アパート右側の建物のシャッターには映画のちらしが貼られていました。
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アパートの大家さんの好意で、
村山の部屋は今も空き部屋のまま残されていて、今も見学希望者が訪れるらしい。
映画の撮影の際は当時の彼の居室の様子が忠実に再現されたそうです。
この写真ではシャッターが下りていて看板が見えてませんが
一階には三谷工業という会社が入居しています。
体調不良でふらふらの村山を何度も将棋会館まで送ってくれたという
親切な電気工事屋さんです。
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村山の居室はアパートの二階にありました。
木造で簡単なキッチン付きの一間。
たしかトイレは共同でお風呂は無かったような。
のちにシンフォニーホールの近くにある
設備のしっかりしたきれいなマンションを借りましたが
そちらは研究のための部屋で、あくまでも住居は前田アパートでした。
安心できる巣、ねぐらのような場所だったんでしょうね。
マンションの所在地は将棋会館とアパートの中間くらいの場所なので
病弱な彼にとっては、会館に通う時の休憩場所にもなっていたのかなと思う。
ちなみにその研究用のマンションの住所も福島区ではなく、北区です…。
なお、通っていた中学は大淀中学。
大阪に出てきた頃に師匠と同居していた市山ハイツ(現存せず)から越境通学していました。
市山ハイツは福島6丁目にあったので、本当なら下福島中学の校区なのですが
ちょっと遠くて(約2km)、病弱な村山には通学が困難だったため、
特例という形で北区の大淀中学の養護学級に転入が認められました。
師匠の森信雄七段はのちに市山ハイツを出て、
結婚するまでは大淀ハイツ(北区大淀中3丁目)に住んでいました。
羽生善治とランチデート(?)をした福島食堂(閉店、建物も現存せず)は福島7丁目。
金蘭会の斜め前にあるコンビニがその跡地だったと思う。
福島の町、と言っても環状線の北側のごく狭い地域で生活をしていたようです。
関係ないけど、羽生善治の夫人(畠田理恵さん)のご実家も福島区内です。
村山の当時の生活は森信雄七段のブログに詳しく掲載されています。
・森信雄の写真あれこれ(カテゴリー:村山聖)
NHKの番組を見たこと、福島+大淀の町が登場することから
映画が公開されたら、すぐに見に行こうと思っていました。
番組を見てから映画公開までは間があったので、
予習として原作となった同名のノンフィクションを読むことにしました。
原作はとても面白く、将棋が全然わからなくてもぐいぐいと引き込まれました。
筆者自身が村山と親しい間柄だったこともあるでしょうけれど
とても愛情深く描かれています。
でも、しんどい。
何がしんどいって、彼の病気です。ネフローゼという深刻な腎疾患。
子どもの頃から入退院を繰り返す病弱な身でありながら
将棋に取りつかれ、健康を犠牲にしてでも将棋に打ち込む彼の姿は
確かに美しいかもしれませんが、読んでいてとてもつらいです。
何故なら、私も似たような慢性疾患を持っているから。
もっとも私は今のところ軽度で済んでいるので
ふつうに仕事もしてますし、制限といえばゆるい減塩くらいなものです。
タンパク質やカリウム、水分摂取の制限もありません。
お酒もたばこも体質的に無理だったので、禁酒・禁煙の苦労を知りません。
でも心の奥底にはいつも病気への恐怖が横たわっていて
ちょっとむくみが出たり、検査の数値が悪かったりするとびくびくします。
未成年の頃から飲酒をし、夜更かしをし
自炊も制限食の宅配の利用もせず、食事はもっぱら外食ばかり、
ちょっとした感染症が命取りになることもあるのに
風呂に入らず、爪も切らず、髪を洗うのも嫌がり、床屋にもいかない。
歯もめったに磨かない。
(歯周病や虫歯は腎臓に悪い影響を及ぼします)
本人に健康管理をしようという意志が全然感じられないのです。
そんな村山の生活の描写には恐怖と嫌悪感を感じました。
尿蛋白+3だというのに、毎日外食に深酒もしばしばって、
日々毒をあおってるようなもんですよ。
長時間の対局や将棋の研究で疲れやすい生活を送っているのに。
無茶な生活を美化するかのような描写がところどころにあって
患者として非常につらかったです。
体がだるくて足を引きずるように歩く感じとか
手足がむくんで動かすのがおっくうになる感じとか
いろいろと想像してしまうのです。
というわけで、原作を読んだ後はものすごく疲れてしまいました。
映画を見に行きたいけれど、耐えられるどうか自信がありません。
見に行くかどうか、まだ悩んでいます…
一台の車が止まっていました。
何かな?と車の方を見ておりますと、
一人の男性が周囲の人にあいさつをしながら、車に乗り込もうとしていました。
まわりの人たちと何か雰囲気が違う人だなと思ったら
NHKの人気アナウンサー、「麿」こと登坂 淳一さんでした。
まだまだ汗がにじむような蒸し蒸しとした空気の中、
登坂さんの周囲だけスカイミントの風が吹いているかのような爽やかさでした。
挨拶をしている時の笑顔も素敵でしたし、何より声が素晴らしかった。
ファンでもなんでもありませんが、あまりの格好良さに驚きました。
それにしても、なんで登坂さんがこんなところに?
と疑問に思っていましたが、しばらくして謎が解けました。
『かんさい熱視線』のロケで高架下の「更科食堂」に来ておられたのです。
『この街に“怪童”は生きた~村山聖 青春の記憶を訪ねて~』の放送のためでした。
30分の短い番組でしたが、とても面白く、映画も見てみたいなと思いました。
・かんさい熱視線「この街に“怪童”は生きた~村山聖 青春の記憶を訪ねて~」
・映画『聖の青春』 大ヒット上映中!
早世した将棋棋士、村山聖が青春を過ごしたのは、関西将棋会館のある福島の町でした。
福島6丁目にある将棋会館と浦江公園近くの自宅アパートが生活の中心。
足しげく通っていたのが更科食堂です。
村山が住んでいた前田アパートの建物は今も残っていて、
ファンの間では聖地になっているのだとか。
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アパートの目の前は緑豊かな浦江公園。
村山聖ゆかりの地=福島と言われていますが
実はここは福島区ではなく、北区です。
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アパート右側の建物のシャッターには映画のちらしが貼られていました。
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アパートの大家さんの好意で、
村山の部屋は今も空き部屋のまま残されていて、今も見学希望者が訪れるらしい。
映画の撮影の際は当時の彼の居室の様子が忠実に再現されたそうです。
この写真ではシャッターが下りていて看板が見えてませんが
一階には三谷工業という会社が入居しています。
体調不良でふらふらの村山を何度も将棋会館まで送ってくれたという
親切な電気工事屋さんです。
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村山の居室はアパートの二階にありました。
木造で簡単なキッチン付きの一間。
たしかトイレは共同でお風呂は無かったような。
のちにシンフォニーホールの近くにある
設備のしっかりしたきれいなマンションを借りましたが
そちらは研究のための部屋で、あくまでも住居は前田アパートでした。
安心できる巣、ねぐらのような場所だったんでしょうね。
マンションの所在地は将棋会館とアパートの中間くらいの場所なので
病弱な彼にとっては、会館に通う時の休憩場所にもなっていたのかなと思う。
ちなみにその研究用のマンションの住所も福島区ではなく、北区です…。
なお、通っていた中学は大淀中学。
大阪に出てきた頃に師匠と同居していた市山ハイツ(現存せず)から越境通学していました。
市山ハイツは福島6丁目にあったので、本当なら下福島中学の校区なのですが
ちょっと遠くて(約2km)、病弱な村山には通学が困難だったため、
特例という形で北区の大淀中学の養護学級に転入が認められました。
師匠の森信雄七段はのちに市山ハイツを出て、
結婚するまでは大淀ハイツ(北区大淀中3丁目)に住んでいました。
羽生善治とランチデート(?)をした福島食堂(閉店、建物も現存せず)は福島7丁目。
金蘭会の斜め前にあるコンビニがその跡地だったと思う。
福島の町、と言っても環状線の北側のごく狭い地域で生活をしていたようです。
関係ないけど、羽生善治の夫人(畠田理恵さん)のご実家も福島区内です。
村山の当時の生活は森信雄七段のブログに詳しく掲載されています。
・森信雄の写真あれこれ(カテゴリー:村山聖)
NHKの番組を見たこと、福島+大淀の町が登場することから
映画が公開されたら、すぐに見に行こうと思っていました。
番組を見てから映画公開までは間があったので、
予習として原作となった同名のノンフィクションを読むことにしました。
原作はとても面白く、将棋が全然わからなくてもぐいぐいと引き込まれました。
筆者自身が村山と親しい間柄だったこともあるでしょうけれど
とても愛情深く描かれています。
でも、しんどい。
何がしんどいって、彼の病気です。ネフローゼという深刻な腎疾患。
子どもの頃から入退院を繰り返す病弱な身でありながら
将棋に取りつかれ、健康を犠牲にしてでも将棋に打ち込む彼の姿は
確かに美しいかもしれませんが、読んでいてとてもつらいです。
何故なら、私も似たような慢性疾患を持っているから。
もっとも私は今のところ軽度で済んでいるので
ふつうに仕事もしてますし、制限といえばゆるい減塩くらいなものです。
タンパク質やカリウム、水分摂取の制限もありません。
お酒もたばこも体質的に無理だったので、禁酒・禁煙の苦労を知りません。
でも心の奥底にはいつも病気への恐怖が横たわっていて
ちょっとむくみが出たり、検査の数値が悪かったりするとびくびくします。
未成年の頃から飲酒をし、夜更かしをし
自炊も制限食の宅配の利用もせず、食事はもっぱら外食ばかり、
ちょっとした感染症が命取りになることもあるのに
風呂に入らず、爪も切らず、髪を洗うのも嫌がり、床屋にもいかない。
歯もめったに磨かない。
(歯周病や虫歯は腎臓に悪い影響を及ぼします)
本人に健康管理をしようという意志が全然感じられないのです。
そんな村山の生活の描写には恐怖と嫌悪感を感じました。
尿蛋白+3だというのに、毎日外食に深酒もしばしばって、
日々毒をあおってるようなもんですよ。
長時間の対局や将棋の研究で疲れやすい生活を送っているのに。
無茶な生活を美化するかのような描写がところどころにあって
患者として非常につらかったです。
体がだるくて足を引きずるように歩く感じとか
手足がむくんで動かすのがおっくうになる感じとか
いろいろと想像してしまうのです。
というわけで、原作を読んだ後はものすごく疲れてしまいました。
映画を見に行きたいけれど、耐えられるどうか自信がありません。
見に行くかどうか、まだ悩んでいます…