双極性2型障害には「対人同調性」という傾向がある。これは内海健氏が強調しているし、また神田橋條治氏も似たような指摘をしている。
これは単なる「協調性」というものではなく、ときに自分を殺してまで「同調する」という傾向である。
多くは生育環境やいわゆる3歳までに培われる「根拠なき自信」のあるなしに、大きく影響されていると考えられる。
したがって、依存症家庭や機能不全家族で多く作られる、大人の顔色を見ながら育つAC(アダルト・チャイルド)は明らかに精神疾患の予備軍である。そうした背景を持つ人のひとつの疾患の形態が双極性2型である(もちろん、リストカットや摂食障害などもある)。
あまりにもトラウマの大きい人や大きな機能不全家族に育った人はたぶんパーソナル障害の方に移行する。それほどに大きな混乱なのだ。
一方で、少なからず家族の形態が守られた機能不全家族では、子供は一生懸命親に順応しようとする。「根拠なき自信」が存在しないために、こうした子供は本当の意味で自立することができない。
メラニー・クラインなどでいわれるように「よいおっぱい・わるいおっぱい」は、つまり「よいおっぱい」とは慈愛に満ちた母という幻想であるのだが、一方でこの「よいおっぱい=根拠なき自信」がなければ、アンビバレントな「わるいおっぱい=母への憎悪・限界性・客観視=自立」ということは起こらない。
このことでいえば、やはり人はある種の物語を必要としており、対人同調性とは本来与えられたはずの物語がないために、自立せず人に頼る「同調」ということを発達心理的にはせざるを得なかった状態ではないかと思う。
もちろん、この「同調性」が必ずしも「精神疾患」までたどり着くわけではなく、この才能が特に対人関係の仕事ではむしろよいものとして働いている場合も多くある。相手が思っていないころから相手の望んでいることを先んじて提供するのだから。
ただ精神疾患までたどり着いてしまったものは、結局「根拠なき自信」のなさ、寄る辺なさで右往左往することになる。
たぶんこうした不安定さが躁だったり、うつだったり、あるいは易怒性だったり、ちょっとした否定的なことばが本人の実存までつながってしまったりするのだと思う。
そうすると本来あるべきだった物語を自分なりに作り直すという、臨床心理や精神分析等のやり方に戻っていくのだと思う。ただ問題は誰がこの物語の作り直しに伴走してくれるかということである。
うまくするとこれは精神科医や臨床心理家が担える場合もあるし、ある場合には家族周辺がこれを担える場合もあるだろう。
なんにしてもこの伴走者とうまく出会えるかどうかで、かなり状態が変わってくる。だって同調性が誰よりも強いんだから。
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