今日はなんとなく十牛図を思い出してネットで見ていた。
十牛絵図は禅の悟りを絵にしたもので、たしか中国で最初は書かれたとかいう話だったと思う。
大学の教職のときに、倫理かなにかの授業が仏教系の倫理学の先生だった。そこで見せられたのが十牛絵図であった。
最初は少年?が失った牛を探す場面から始まり、牛と格闘し、仲良くなって家に連れ帰り、すると牛も自分もいなくなってしまう「無」、という物語の進行である。この後に牛も少年もいない場面が挿入されており、最後に悟りを開いたような老師と童子の二人の場面で終わる。
たぶん牛は少年の自我を象徴しており、その飼い慣らし方が悟りの進行として描かれているのだろう。
なんだか、各種依存症や心の病・精神病で言われる「底付き体験」という現象を連想してしまった。
もし「底付き体験」が禅の「無我の境地」と似ているならば、心の病は一種の修行のようなものであるのだろうか?
大学のときの先生に聞いておけばよかった。
「つらつら日暮し」はなんかすごくパワーあふれるブログですね。ときどき閲覧したいと思います。
以前、禅の大家、鈴木大拙のお弟子さんの上田閑照さんの本を読んで感動したことがあります。
それって生きるエネルギーです(笑)
bowbowさんと同じgooブログで、「つらつら日暮し」と言うタイトル(検索ですぐ辿れます)でブログをアップしていらっしゃる禅の僧侶さんがいます。
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月に1度の勉強会を開催されていて、1度お会いしたのですが、とても自由で気持ちのあたたかい方です。