bowbowのゆううつ~Returns

双極性障害Ⅱ型(躁うつ病)サバイバー&共生模索中のbowbowの日常。

某前大臣の軽い躁での入院について。

2011-08-25 11:06:46 | 双極性障害・躁うつ病

双極性障害研究者・加藤忠史氏のHPで知ったのだが、被災地の知事とのやりとりで更迭となった某前復興大臣は、「軽い躁」という診断で九州大学病院に入院しているという報道がなされたそうだ。

加藤氏もHPで触れるぐらいだから、これは某前大臣周辺からのきちんとした発表もしくはリークなのだろう。

そもそも、「心労で入院」というのはよくある手だが、「軽い躁」という言葉がついていること自体、たぶんある程度正式な発表だと思う。

新聞屋自体もこうした報道は当人の政治家生命にも関わりかねない内容であるので、特に精神疾患となれば「差別的な扱い」とも取られかねない。彼らだって慎重に扱っているだろう。

「葬式躁」という躁の形態がある。

ストレスと過重な労働や徹夜、悲しみがあまりにも大きすぎると悲哀を通り越して双極性障害傾向の人は葬式後に「躁」状態になってしまう。躁発症の典型例だ。

もし某前復興大臣があまりにも熱心に被災地と向き合い、そしてその結果悲しみをも担ったためにストレス等によって発病してしまったとすれば、なんとも哀しい出来事である。もともと双極性の傾向を持っていたのかもしれない。あるいはある日突然発症することもある。

加藤氏はHPで次のように言及している。

「前大臣が、COP10の際、先進国と途上国の激しい対立により決裂しかけていた会議をまとめあげて議長案採択にこぎつけ、スタンディングオベーションが起きた様子をテレビで観ていたので、被災地訪問時の人が変わったような言動に、ひょっとして…と案じておりました。」

被災地の人たちが某前大臣の躁状態の言動で傷ついたのは申し訳ないと思うが、一方で彼が心から被災地を思って必死に働き発病してしまった可能性があると理解していただければ有り難いと思う。またこのことを通じて双極性障害の「躁」が周囲を傷つける要素があるのは確かであるが、明らかな「脳の病気」であること、発症時本人のコントロール下にないこと、また薬を飲めばある程度コントロールもできることなど、社会全体に理解が広がると良いと思う。

何にしても有能な人であるのだから、政治であれどんな形でも社会に復帰してほしい。できることならば今回の事件をきっかけにご本人がこれから経験するであろううつ状態での自殺未遂や自殺が避けられることを心から願う。

                  ○ 加藤忠史氏HP「躁うつ病のホームページ」


残暑になって落ち気味。

2011-08-24 19:40:04 | 双極性障害・躁うつ病

残暑になって落ち気味になっています。

まるで双極性障害の教科書通り、秋・冬がうつ気味に移行するんでしょうか。

でも春から夏にかけてうつで動けなかったこともあるが・・・。

いままで躁はあんまり気にしていなかったので、うつに対する気に仕方もちょっと違ってきているかもしれん。


双極性2型障害の対人同調性。

2011-08-22 15:58:47 | 双極性障害・躁うつ病

双極性2型障害には「対人同調性」という傾向がある。これは内海健氏が強調しているし、また神田橋條治氏も似たような指摘をしている。

これは単なる「協調性」というものではなく、ときに自分を殺してまで「同調する」という傾向である。

多くは生育環境やいわゆる3歳までに培われる「根拠なき自信」のあるなしに、大きく影響されていると考えられる。

したがって、依存症家庭や機能不全家族で多く作られる、大人の顔色を見ながら育つAC(アダルト・チャイルド)は明らかに精神疾患の予備軍である。そうした背景を持つ人のひとつの疾患の形態が双極性2型である(もちろん、リストカットや摂食障害などもある)。

あまりにもトラウマの大きい人や大きな機能不全家族に育った人はたぶんパーソナル障害の方に移行する。それほどに大きな混乱なのだ。

一方で、少なからず家族の形態が守られた機能不全家族では、子供は一生懸命親に順応しようとする。「根拠なき自信」が存在しないために、こうした子供は本当の意味で自立することができない。

メラニー・クラインなどでいわれるように「よいおっぱい・わるいおっぱい」は、つまり「よいおっぱい」とは慈愛に満ちた母という幻想であるのだが、一方でこの「よいおっぱい=根拠なき自信」がなければ、アンビバレントな「わるいおっぱい=母への憎悪・限界性・客観視=自立」ということは起こらない。

このことでいえば、やはり人はある種の物語を必要としており、対人同調性とは本来与えられたはずの物語がないために、自立せず人に頼る「同調」ということを発達心理的にはせざるを得なかった状態ではないかと思う。

もちろん、この「同調性」が必ずしも「精神疾患」までたどり着くわけではなく、この才能が特に対人関係の仕事ではむしろよいものとして働いている場合も多くある。相手が思っていないころから相手の望んでいることを先んじて提供するのだから。

ただ精神疾患までたどり着いてしまったものは、結局「根拠なき自信」のなさ、寄る辺なさで右往左往することになる。

たぶんこうした不安定さが躁だったり、うつだったり、あるいは易怒性だったり、ちょっとした否定的なことばが本人の実存までつながってしまったりするのだと思う。

そうすると本来あるべきだった物語を自分なりに作り直すという、臨床心理や精神分析等のやり方に戻っていくのだと思う。ただ問題は誰がこの物語の作り直しに伴走してくれるかということである。

うまくするとこれは精神科医や臨床心理家が担える場合もあるし、ある場合には家族周辺がこれを担える場合もあるだろう。

なんにしてもこの伴走者とうまく出会えるかどうかで、かなり状態が変わってくる。だって同調性が誰よりも強いんだから。


現代思想2月号(青土社)「うつ病新論」。

2011-08-21 17:52:05 | 双極性障害・躁うつ病

「うつ病新論~双極2型のメタサイコロジー」という題名に惹かれて買ってしまった。

久々に読んだ現代思想。

そう、題名は「うつ病新論」でもこれは「現代思想」であったのだ。フロイトだとかラカンとか浅田彰とかスキゾとか、なんだか懐かしい言葉が行き交っている。

双極性障害の臨床医である内海健氏と社会学者・大沢真幸氏の「うつ病と現在性」は言っていることは判るが、何か新しいことや患者にとって意味あることがあるかと言えば、単なる文化論になってしまっている気がする。まぁ、「現代思想」だから仕方ないか。

結局、内海健氏の著作の言い方でいえば「大きな物語の喪失」が、対人同調性の高い精神疾病であるうつ病に、治るための足がかりをそれが「物語(神話)」であったとしても亡くしてしまったことで、病態に大きな変化をもたらした、という話である。つまりそれが双極性2型であったり新型うつ病あるいは軽症化である。

で、「物語喪失の認知」からしか出直すことはできないし、むしろ病者は一般の健常者以上に「物語の喪失」を直視しているからこそ病気になったともいえるという話だ。そして未だ一般人が棚に置いたままの物語喪失を、病者が直視しつつ快復への道筋を探す試みが一方で社会の新たなポスト・物語喪失の手がかりになる可能性もあるのではないかという、社会学的見方である。

確かにほかのブログで内海健氏の本を読んだ後で「それじゃあ、どうすりゃいいのさ」的なことが書いてあったが、そうした気持ちも分からないでもない。

一方で「大きな物語の喪失」はたぶん大きくはニーチェ等の「神の死」、直近では近代や高度成長期の右肩上がりや弁証法的社会経済発展をいうんだと思う。

自分がユングも読んでいるからいうわけではないが、それじゃあ「物語なし」でみんながいけるのかといえば、そうじゃない気がする。

確かに高度成長期という「大きな物語」は終わった。けれど人間にはやはり「物語」が必要だし、逆説的にいえばだからボクは「病んで」いるのだと思う。小さな物語、家族やコミュニティーの再生と限界性認知も必要だし、やはり小さな物語の限界性を支えるために普遍的な大きな物語も個別には必要だろう。その意味では河合隼雄氏が「宗教と科学の接点」の最後で語っているように既成宗教の社会的役割は未だあるのだと思う。

もちろん、病気はただ社会的なものではなく、もともとの傾向やボクの場合あきらかなトラウマがあって病気が成立しているわけだが。


新しいNetbook。

2011-08-20 21:16:08 | 日記

前のネットブックがインテルのATOM-Z510とかだった。このバージョンはもともと家電などの組み込みcpuを想定して作られていて、ネットブックに使用される予定ではなかった。だからGPUに動画再生支援はついていたものの超非力PCであった。Sonyとかでも製品が出ていたが、みんな苦労したと思う。

新しいネットブックはAMDのFusion系のC-50(Dual)だ。一つの集積回路に中央演算のCPUと画像処理のGPU両方乗っけて消費電力を下げようっていう新型である。

けれど非力は非力だが、前がZ510だったのでずいぶんと快適である。GPUがAMD(ATI)系というだけでもずいぶん安心感がある。生意気にハイビジョンTVなんかに付いているHDMIまでついている。

快適は快適なんだけれども、昔みたいにPCにワクワクしなくなった。昔はアキバに行ってもわくわくできたが、いまはあんまりワクワクしない。

安くて快適で安定していることは良いことだ。けれど発展途上のあの不安定な中でのわくわく感は、特に今の若い人たちには感じられないだろう。

まあ、社会はおもいっきり不安定になってしまったが・・・。