藤山まさきの備忘録

和歌山県議会議員 藤山将材のブログです

今、思うこと。

2011年05月01日 09時51分44秒 | 日記
おはようございます。

視察を終えてショックの一言しかありませんが、非常に長く感じた3日間の滞在でした。

以前、釜石市のスーパー堤防を視察に訪れた際、正直「ここまでの物がいるのかなぁ」と思った世界一の堤防を、今回の津波はいとも簡単に壊してしまいました。

「あの堤防があるから大丈夫」と避難せずに、津波の被害にあわれた方も大勢いたと聞きます。

いみじくも石原都知事が発言したように、私達は自然に対する畏れや謙虚さを忘れ、科学技術をもってすれば何でも出来るというおごりがあったのかもしれません。

それがこれまで使われてきた『防災』という言葉にも表れていると思います。
これからは『減災』という観点で、自然災害と向き合っていくことを考えていかなければなりません。


先月、新聞にこういう記事が載ってました。
岩手県大船渡市三陸町の吉浜地区という集落は、海岸沿いの集落であるにもかかわらず、高台にあるため被害をまぬがれました。

なぜこの集落が高台にあるかといえば、戦前に沿岸部から高台に移住したためだそうで、
昭和の三陸地震の後、当時の東京帝国大学の今村明恒教授という方が、政府に働きかけて、高台への移住を提言したそうです。

政府は提言に従って移住支援策をつくり、高台に移住する人に低金利で住宅建設費を融資し、約8千世帯が高台に移住しました。
インタビューで、「またこの土地に家を建てる」と話されている方もいらっしゃいますが、当時は現在よりも土地に対する想いや執着は、はるかに強い時代。

結果、その8千世帯の住民の子孫はかなりの割合で、津波の被害に遭わずにすんだと思われます。

今村教授は住民を説得するときにこう言ったそうです。

“もう君たちの代にはこんな大津波はないだろう。
しかし子孫のためを考えるんだ。
村の百年の大計どころか、
百世にわたる仁政ではないか”

戦前の日本には百年先を見据える立派な学者がいて、その意見を受け入れるだけの度量が政府にあり、子孫のために移住を決断した先見の明のある住民がいました。

今の日本にもそういう人たちは必ずいるはず。

がんばろう、日本!



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