ホテルよしざとは島で唯一の近代的なホテルであり、観光客の大半はここに宿泊している。島内で唯一の鉄筋コンクリート4階建てで、食堂も完備している。在所集落の中心地に位置していて、歓楽街に出掛けるには便利である。前回の旅行の際にはこのホテルの別館に宿泊したが、今回は満室で宿泊できなかった。その理由は、4年ぶりに豊年祭が開催されたので、この時期に合わせて親戚を訪問する人達が予約したからであった。また、豊年祭を目的にした観光ツアーにより多数の観光客が来島したことも理由である。
このホテルは創業者の吉里一家の家族で運営されていて、カウンターの奥にある一階が家族が居住する部屋であった。前回の旅行の時、部屋からは赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。今回の旅行の時には、その子は中学生になっていたはずである。
このホテルの創業者である吉里正清は久米島の生まれで、南大東島に移住して農業に従事することになった。砂糖きび畑を耕作していたが、努力家で起業精神があったので、農業だけに飽き足らず島内で各種の新規事業を立ち上げた。NHKの本放送が始まる前の1976年に有線テレビ放送会社を起こしたり、砂糖きびからラム酒を醸造するグレイス・ラム会社の創設に参画したりし、最後は南大東商工会会長に就任した成功者であった。吉里は、島内には民宿程度の宿泊施設しかないことに目を付け、観光客誘致のために内地と同じ規格のホテルを開業することにした。それが有限会社吉里商会の保有するホテルよしざとで、競合するホテルがなかったため大当たりした。
これがホテルよしざとの経過であるが、2023年2月になると経営者が高齢になったため法人は売却され、新しい社長には地元で建設業を営んでいた山城大輝が就任した。この売却により、本館、新館、別館の宿泊施設の全ては新しい経営陣によって運営されることになった(2023年8月3日版、沖縄タイムスによる)。地方の小さな村である南大東島で事業が丸ごと売買されるのは珍しいことではないらしい。その理由は、南大東島には島外からの移住者が多いことである。202年10月に住民登録されている居住者1184人の内、南大東村が本籍地の居住者は635人であった。つまり、半数近い居住者は島外から移住した人達なのである。本籍地が一番多いのは沖縄本島であるが、石垣島、宮古島、伊是名島などが本籍地の移住者も見られる。かって島に人口が多かった時代には、各島の出身者による同郷会が結成されていたこともあったらしい。丁度東京に仕事を求めて各地から労働者が上京し、県人会が結成されたようなもので、南大東島の居住者には東京の上京者と同じような感覚があるようだ。
本州の田舎では、老舗とか名門と呼ばれる企業があるが、事業は代々家族が引き継ぎ売却されることは少ない。しかし、東京では人の出入りが激しく、事業は一つの経済活動と考えて日常的に売買が行われている。事業の承継については特別な感慨は無く、第三者に引き渡すことは現代的なものと割り切っている。南大東島でも人の出入りが多く、経済的な感覚は都会と同じようになっているらしい。
このため、南大東島に移住してある程度の目標を達成したり、老齢になったりした場合、事業を売却することは東京と同じような感覚で行われているようだ。南大東島生まれで、南大東島育ちの或る古老は、島内で事業の売買が行われることをこのように説明していた。
「南大東島は開拓が始まってから百年強で、歴史が浅い。本州のように5代、6代と長く続いた家系はなく、郷土に対する愛着が薄い。島に移住する理由の一つは、沖縄本島よりも収入が良いからで、壮年期に良く働いて資産を蓄え、老後の生活の目処が立つようになると、故郷に戻るか沖縄本島に移転する人が多い。」
なるほど、数千年に及ぶ沖縄の歴史に比べると南大東島の歴史は極めて浅い。歴史はあるがひなびた沖縄の他の離島に比べると、南大東島は現代的な社会であると言える。或る研究者は、南大東島の社会構造を「都市化された離島」と命名されたが、なるほど穿った見解である。