新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

下水・中水処理施設

2023-07-30 19:25:26 | 旅行

  前述したように、逆浸透膜による高度な上水施設は1990年に完成し、島内の全ての家庭に供給されるようになった。しかし、下水処理は未発達であった。家庭で蛇口を捻るとそのまま飲料できる水は供給されたが、トイレは相変わらず汲み取りか独立浄化槽による処理に頼っていた。農業集落から排出される生活排水を集めて処理し、処理の終わった水を農業用水や河川に放出して農村の生活環境を良好にする農業集落排水事業が1983年に始まった。この農林水産省による事業により、南大東島では1995年より下水の整備に着手し、2000年に下水処理施設が竣工した。この年以来、島でも都会と同じ水洗トイレが使用でき、快適な生活ができるようになった。
 一段目の写真は下水処理場で、施設の運営には特殊技術が必要なため、民間企業に委託しているようである。二段目の写真は、下水処理場にお馴染みの汚泥槽で、ここだけは特有の匂いがした。小学校にあるプールの半分位の大きさで、東京の下水処理場(現在は、「水再生センター」と名称が変わった)の処理槽に比べると極めて小さい。しかし、人口が1千人強の島ではこの容量の汚泥槽で十分なようである。三段目の写真は、反応タンクと思われ、手前には汚泥槽から回収された汚泥を収納したフレコンが積まれていた。
 この2つの写真から判るように、下水処理場は池之沢集落から少し離れた小高い位置に設置されていて、下水は集落からポンプアップされていた。通常なら下水処理場は下流に設置し、高低差により下水を流下させている。下水をポンプアップするのはこの島独特の理由があるようだ。人口が集中している在所集落と沼水の水面とはあまり高低差が無く、下水を自然流下させ難いようだ。また、島の中央は砂糖きび畑であり、下水処理場を設置すると農作業に不便であるなどの理由でこの場所が決まったのではないかと推測された。
 また、下水処理施設が完成した翌年の2001年には中水処理場が竣工した。四段目の写真は中水処理場である。ここでは、下水処理場で濾過、殺菌した再生水を家庭の便所に中水として供給していた。前述したように、南大東島での上水は海水を逆浸透膜方式で生産しているため供給量が限られ、料金も極めて高いものである。このため、貴重な上水を無駄にせず、下水から中水に再生し、循環させて再利用することになった。本州のほぼ全てのホテルは温水洗浄便座が設置されているが、島のどのホテルにもこの便座は設置されていない。それは、島のホテルのトイレでは中水が利用されているのが原因である。下水から再生された中水には雑菌が混入していることも想定され、衛生面からして各ホテルでは温水洗浄便座を設置できないのである。
 さて、下水処理施設が2000年に完成したが、その恩恵を受けている島の住民は半分程度と思われた。2021年3月における上水と下水の利用者数を比較すると次のようになる。
          利用人口    給水戸数
   上水利用  1261人    640戸
   下水利用   669人    360戸
 つまり、水道は島の全戸に供給され、住民の全員が利用できるのに対して、下水を利用できるのはほぼ半分の家屋と住民なのある。在所集落の人口は636人で、戸数は363戸であることから、下水を利用できるのは在所集落に居住している住人に限られているようである。これは致し方ないことで、島では在所集落に人口、家屋が集中していて、この範囲にしか下水道管を配管できなかった。砂糖きび畑に農家が点在する新東集落では、住人は41人、住戸は22戸しかいない。家屋が散在する新東地域から下水処理場のある池之沢まで、延々と下水管を配管するのは設置の予算や運営費用などから現実的ではない。このため、在所集落以外の集落の家屋では合併処理浄化槽か単独浄化槽が利用されているようである。