バンクの使者!走れ忍者!

元・競輪選手のブログ

競輪選手への道・二次試験

2021-03-01 17:28:49 | Weblog

本日、「競輪学校」改め「競輪選手養成所」で卒業式が行われました。
一昨日の卒業記念レースでは、119期:桑名僚也(埼玉)120期:西脇美唯奈(愛知)が優勝。
成績の良かった人も、良くなかった人も、悔いの無い選手生活を送る事を願っています。

さて、前回からの続きです。
1980年当時、競輪学校の合格者は100名ちょっと、
自分の時で、確か・・・600人位受けたと思います。
一次で600人→200人
二次試験で半分が合格です。
一次が1,000㍍一本だったのが、二次では1,000㍍に加え、200㍍のダッシュ、学科(国・数・社)作文、身体検査、面接と、多岐にわたります。
問題は、実技に200㍍が加わった事。
内容は、「400㍍の助走後200㍍のタイムを計測する」となっております。
助走でバンクの上部を走って、2コーナーから山おろしでダッシュをかけるわけですが、
この種目は大の苦手でして、当時は(今もかな?)バンク上部を高速で走る事が好記録の条件と考えられており、タイムが出ないと更に高速で走るよう怒鳴られアドバイスを受けます。
「遅いんだよ!(上がね)だからダメなんだよ!全力で走れ!(上をね)」
で、仕方なく素直にアドバイス通りに走りますがタイムは出ない・・・
当然です。
そもそも、その走り方はダッシュ力に難がある人(半面、持久力の優れた人ね)に適しており、自分のような持久力に劣る者には向かない走り方ですね。
大体ね、例えば自分みたいな陸上競技出身の人間に「全力で走れ」と言えば、全力で走りますから。
例えば、陸上で、全力で走った後、スタートラインにつくようなものです。
私だったら、「脚に負担がかからない範囲でスピードを上げればタイムが出るよ!」と教えます。
と、今なら言えますが、当時は怒鳴られるのが嫌でしたから・・・
間違った走りをしてましたね。
このような、間違った指導法にも負けずに、練習に励みます。
あ、師匠は当時としては珍しく理論的でした。
二次試験前には師匠遠征の為、休養日になる、と指折り数えて楽しみにしていたところ、
同僚の選手に練習を託されました、全く余計なことをしてくれます、気遣いに感謝して(笑)「合宿」に参加。
二次試験、集合日の朝まで練習して(朝から独走を走って)、そのまま家に寄ってレーサーを輪行バッグに詰めて、そのまま電車で競輪学校に出発しました。
やれやれ、これでノンビリ出来ます。
続く



最新の画像もっと見る

コメントを投稿