半年前の試験は、11月という事もあり、気温が低く、そして強風のためボロボロでしたが、
この日は天気も良く風もなく、絶好のコンディション。
脚に負担がかからないように、ウオーミングアップは、ゆ~~~~っくりと行い、
本番です!
落ち着いているつもりが、矢張り緊張していたようで、
得意のスタートでタイミングを狂わせてしまい、出遅れ・・・
道中、リカバリーを試み、
ゴールイン!
タイムは・・・
1分11秒フラット(自己新記録だった)
合格発表を待つまでもなく、といったところです。
1980年当時、これで落ちたらどうすりゃいいの?っていう好タイム。
これで、一安心?
と、思いきや。
師匠の一言
「今度は二次試験だからな!」
わかってます・・・
続く
6月の入試に向けて、練習再開です。
バイトの3か月間、自転車に乗ったのは、12月に松戸競輪場で行われた「クラブ対抗」という草レースだけ。
練習してなかったけど、参加費払ってエントリーしてたし、協賛企業が多く、賞品が良かったので(笑)
結果は、速度競争が予選落ち、ポイントレースは予選、決勝共、ゴール1着のダブルポイント狙い(わかる人にはわかります)で3位入賞。
真面目に練習してる人、ごめんなさい(笑)
バイト前に注文していたフレームも出来上がってきて、部品も新しくして、シューズもオーダーして・・・
部品で強くなるわけではないんだから、「練習しなさい」って話だよね。
再開直後、大宮競輪場で行われた「一都三県」に出場し全て予選落ち、1,000㍍のタイムは・・・
憶えてないですね、忘れたいほどロクでもないタイムだったのでしょう(笑)
それでも、徐々にタイムを縮めて一次試験が射程圏に入ったかな?って勝手に思っていた4月頃、競輪場で師匠と顔を合わせました。
実は、師匠がプライベートで忙しく、ずっと独りで練習していたので、これではいけないと思ったようで、
その場で、師匠の家に連れていかれ(一旦自宅に着替えを取りに寄って)一週間ほど「合宿」が始まりました。
いやもう、今思い出しても練習したな、って感じで・・・
まず、今までやったことのない早朝練習。
朝食後、再びロード・トレーニング。
午後は、競輪場で、受験するライバル?仲間?と汗を流します。
まあ、どこが猛練習なの?って思われるかもしれませんが、兎に角きつかった。
師匠は、現役の競輪選手なので当然、競輪に参加するわけですね。
なので、師匠の競輪参加が待ち遠しかった(笑)
本当はこんな事考えてはいけません。
1,000㍍のタイム、師匠との合宿前は合格圏内にの1分12秒台が出ていましたが、
その後は、落ち込み師匠も心配してたようです。
実際は、疲労した状態でバンクに行くので、ヘロヘロで好タイムを出しようがなかったですけどね。
師匠も試験の二日前から練習量を落としてくれ、身体が軽くなってきたところで、試験当日です。
6月某日、一次試験、平塚競輪場。
前夜、色々と余計なことを考えて一睡もできずに試験会場へ。
もうね、俎板の上の鯉状態で、「早く終わって楽になりたい」
って感じで試験開始。
続く・・・
中学、高校と趣味でサイクリングを続け、
夢は、自転車で世界一周、なんて思った事もありましたが、
並行して競輪の世界にも興味がわいた1977年、高2の時、
中野浩一(福岡35期、現評論家)が世界戦スプリントで優勝した記事を見た事がきっかけで、
競輪選手を目指すことになりました。
と、いう事で、
高3の時、自転車競技会にコンタクトを取り、「愛好会」に入会、競輪選手への第一歩です。
自転車競技会は主に競輪開催業務に携わっており、自転車競技スポーツ競技者の養成もしています。
当時は一次試験が1000㍍のタイムトライアルで1分15秒がボーダーライン。
因みに、高校記録が1分9秒、日本記録が1分7秒でした。
自分の場合は、1分20秒から始まって、すぐに1分18秒までタイムを縮めたものの、
その後は横這い、
なので、適性試験での受験を選択。
試験は、自転車を使用する「技能試験」と100㍍走、立ち幅跳びの「適性試験」の二種類がありますが、
自転車のタイムが出ない時点で才能がなかったんでしょうね。
高3で受けた45回生の試験は一次で不合格。
当時は、年2回募集してたので、高校卒業後の6月を目指して練習に励むも、
タイムが出ずに、またまた「適性試験」で願書提出。
よく考えてみれば、タイムが出ないから適性で、という考えがそもそも甘かったですね。
勿論、不合格・・・
次の試験は11月、47回生を目指して練習の日々です。
実は、高校卒業後、競輪選手に弟子入りして練習を見てもらっていました。
夏が終わった頃から力が付いてきたようで、
1000㍍も1分12秒をマーク!
「これって受かるんじゃないの?」
と、思って臨んだ一次試験。
タイムは・・・
1分15秒9・・・
一次のボーダーは1分15秒5、だったそうです。
たったの0.4秒ですが、そこに何十人と入ってるわけですから。
負けは負けです。(結構潔い)
諦める気持ちはなかったものの、金が無い。
家に負担を掛けたくなかったので、住み込みでバイトを探しました。
といえば、親孝行に思えるが、
練習したくなかった、というのが本当のところ(笑)
最初の一か月は工場で、次はスキー場のホテルで二か月働いて、
2月末に22万円のバイト代を手にして千葉に帰ってきました。
「さて、試験の資金も出来たし、あとは練習あるのみ!」
続く
2月26-27日、日本競輪選手養成所において実施いたします。
日本競輪選手養成所第119回(男子)及び第120回(女子)選手候補生の卒業記念レースの模様を生中継いたします。
【インターネット中継】
- ■ 放送時間
- 2月26日(金) 午前9:50~最終レース終了まで
- 2月27日(土) 午前9:50~閉会式終了まで
- ■ 配信先
私が卒業記念を走ったのは、今から40年前。
同期にはスピードスケートの五輪選手がいたこともあり、在学中からマスコミの数が多かった印象があります。
訓練と違って、観客の前で走れる嬉しさ、誇らしさを感じたものです。
今回も、前回に引き続き、「無観客」での開催になりますが、悔いの無いように精一杯頑張ってほしいですね。
いつもの事ですが・・・
スイフト買ってから、2年ちょっと。
1年目に台風被害で傷ついたり、
あと、
これは、自分が悪いんだけど、
2回、3回?位、後ろぶつけたりして、
ただね、
スイフトは元気です(笑)
で、
本日、
↓取り付けました!
【スイスポ】スイフトスポーツにNEO PLOT フットレストバーNEOを付けた理由と感想【ZC33S】
愛車のスイフトスポーツにNEO PLOTさんのフットレストバーNEOをつけた感想動画です。
納車してからすぐに装着しているので一年使った感想...
youtube#video
↑YouTubeでおススメしてたので、
おススメポイント
理由その一:運転姿勢の安定のため。
理由その二:クラッチとの移動距離を短くするため。
だ、そうです。
運転してみて、
左足が近い、という違和感がありますが、
乗ってるうちに慣れるんじゃないかな?
と、思ってます。
てことで、
はじめての改造(?)でした。
いつもの事ですが・・・
スイフト買ってから、2年ちょっと。
1年目に台風被害で傷ついたり、
あと、
これは、自分が悪いんだけど、
2回、3回?位、後ろぶつけたりして、
ただね、
スイフトは元気です(笑)
で、
本日、
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おススメポイント
理由その一:運転姿勢の安定のため。
理由その二:クラッチとの移動距離を短くするため。
だ、そうです。
運転してみて、
左足が近い、という違和感がありますが、
乗ってるうちに慣れるんじゃないかな?
と、思ってます。
てことで、
はじめての改造(?)でした。