里帰りしたときのこと。
新大阪駅まで車で送ってくれたクマ子父母。
この時、駅の改札口で母から「新幹線で読みなさい」と手紙を渡されました。
新幹線の中で、さっそくクマ子は手紙の封を切りました。
クマ子へ、から始まる母の手紙。
万年筆でしたためられた母の綺麗な字がそこにありました。
「クマ子へ
クマ太郎が産まれてから二ヶ月、私もクマ太郎から多くを学びました。
クマ子もよく頑張っていましたね。母親として5点満点なら5をあげたいけど、ここは厳しく4とします。
これから先、クマ吉さんとクマ太郎の3人の生活が始まります。
知り合いがいない地での育児は大変でしょう。決して無理はしないこと。無理をしてあなたが体を壊したらクマ太郎も困ることになります。
何かあったらすぐに連絡ください。離れていますが、出来る限り協力します。
クマ吉さんと仲良く2人で力を合わせてね。
いつも応援しています。
母より」
横をふとみるとクマ吉の膝の上ですやすや眠るクマ太郎。
クマ吉もうとうとしています。
なぜか。
涙がこみ上げてきました。
母の手紙にはまぎれもなく母の無償の愛がそこにあったのです。
クマ子はとにかく母に反抗してばかりでした。
小さい頃から躾に厳しかった母。
箸の上げ下ろしはもちろん、
和室のふすまの開け方、閉め方。
角盆丸盆の持ち方、
緑茶の入れ方、
畳での挨拶の仕方。
洋室の扉の開け方閉め方、
紅茶の入れ方、
挨拶の仕方に言葉遣い。
手紙の書き方に時候の挨拶の使い方。花の名前まで。
どこにいっても恥ずかしくない女性になるように、と茶道も教えられました。
でも、どんなときも母は私の母でした。
子供の頃は夜、寝る前にベッドの上で一緒に本を読んでくれました。
体調が悪い時は必ず側にいて、胸をトントン、と軽くたたくようにして寝かしつけてくれました。
思春期になり、反抗してばかりになっても、それでも私を常に心配して愛してくれました。
家を飛び出してイギリスに勝手に行ったとき。
頻繁に母から手紙が届きました。
必ず時候の挨拶から始まる母の手紙。そして2行目には必ず元気ですか?と。
そしてクマ子が母になった今も、母は母なのです。
私はどれほど母に愛を注がれてきたんだろう。
今、自分が母になり、母の気持ちを思うと、胸がきゅうっと締め付けられるような、甘いような、なんともしてない感情がこみ上げてきて。
お母さん、ありがとう。
はっきりと言葉に出してしっかり母に感謝を伝えたことがあっただろうか。
これからは都度都度伝えよう。
お母さん、ありがとう、と。
母からの手紙は私の一生の宝物になりました。