昨日日経新聞に載っていた記事に目が点になりました。
「競育」の時代(上)「世界が相手」0歳から塾: 日本経済新聞
子育て世代の教育熱が都市部を中心に高まっている。グローバル化が進むなか、教育に関心の高い親たちの間で、我が子が将来、世界各国の人たちと勝負する時代が来るとの認識が広がっているためだ。
「競育」の時代(上)「世界が相手」0歳から塾: 日本経済新聞
子どもの教育についての記事でしたが、この見出しがすべてを語っています。
今は0歳から教育競争、つまり競育が始まっているんだとか。
小学校に入る前に塾ですでに足し算、漢字を習い、ネイティブスピーカーによる英語の発音レッスンを受けるそうです。
取材をしている先の塾のキャッチコピーは「差がつく前に差をつける」。
特に自分の学歴にコンプレックスをもっている親が必死になる、と書かれていました。
はー・・・・。
思わずため息がでてしまいました。
このグローバル時代、産まれてすぐから子供に知識を叩き込む時代になってしまったのか。
子どもだから、脳みそが柔らかいし素直に教えられたことを吸収するのは確か。そういう意味では学習効率は良いのかもしれないけれど・・・
私はこの教育方法には賛成できないです。
と、いうのも脳みその発達って段階があると思うんですよね。
3歳ぐらいまでってもっと感覚的なことだったり、情緒をはぐくむ体験をさせてあげた方が子供も楽しいと思うし、感情が発達する気がするのです。
それこそディズニーランドに行ってパレードをみて感動する、とか
キャンプにいって自然の中で生活する、とか
外国につれていく、とか。
大人になったときにそういった体験が記憶に残らなくても、その体験をした瞬間は子供なりにすごく感動や刺激を受けるだろうし、それがゆくゆくその子にとって情緒が育つというか、感情が豊かになる気がするのは私だけなのでしょうか。
そういう段階を経て小学校にはいったら学年ごとに応じたお勉強を進めていけば十分なんじゃないかなあ・・・。
うーん。
今はそんな呑気な教育じゃだめなのだろうか。
私が早期の英才教育に疑問を抱いてしまうのは、親戚の女の子を見ていたからかもしれません。
彼女は3歳の頃から公文だなんだとお稽古事漬けの毎日でした。
だから当たり前だけど小学校にあがる頃には周りの子よりもずば抜けて出来が良く、頭が良いと言われていたし、本人も「自分は頭が良い」と思いこんでいる言動が端々にみてとれたのです。
小学校にあがってからは塾にも通い始め、勉強勉強の毎日。
おかげで小学校では頭の良い子と評判でしたが、雲行きが怪しくなったのが中学校に上がってから。
お受験の後、大学までエスカレーターで行ける地元では有名な中学校に入学して以降、プツンと糸がきれてしまったように勉強をしなくなったのです。
いや、そうじゃなくて勉強をしても周りの実力が勝っていて、自分が上から下になってしまったことでやる気が一気になくなったようなのです。
親である私の従妹は彼女がその中学受験に合格することが目標のすべてだったので、成績が下がり続けることにもはや口はださず、その子の成績はみるみる転がり始めました。
そしてエスカレーターで高校、大学に進学しましたが、高校からはどっぷりアニメにはまって勉強のべの字もなく・・・・。
気が付けば困ったちゃんになっちゃいました(笑)
それでも本人は22歳になった今でも「自分は賢い。本気でやればできる」と真剣に思い込んでおり、幼かった時期の優越感から抜け出せていないから驚きです。
身近で彼女の成長を見てきた私としては「あんなに従妹が教育熱心で注ぎ込んできた情熱とお金はなんだったんだろう」と正直思ってしまうんです。
だったら小さいうちは遊びの中で感情とか人間関係を学んで、勉強はそれからでも遅くない気がして。
だけど、こんな日経の記事を読んだら、今はそんな呑気なことを言っている時代じゃないのかなあ、とも。
グローバルになればなるほど子供に負担がかかるなんて、なんだか皮肉だな。