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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

自民党はダメだね(皇位継承問題)

2025-04-08 23:54:50 | 皇室の話(3)
令和7年4月7日20:50、朝日新聞より配信の「自民・麻生太郎最高顧問 安定した皇位継承「今国会中に法成立を」と題する記事がある。

この問題については、立場を変える発言をしてしまうと、あっと言う間に支持を失ってしまうであろうから、同じことを言い続けるというのも分からなくはないが、もう少し真面目に考えたらどうなのだろう。

----引用開始----
 皇族数の確保は喫緊の課題だ。方策として、まず、皇族に禁じられている養子を行えるようにし、皇統に属する男系男子、いわゆる旧11宮家の子孫の方々に皇族になっていただくことは極めて重要だ。
 (女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族にする方策もあるが、自民党として引き続き検討していきたい。
----引用終了----

最初に「皇族数の確保は喫緊の課題だ」と言っているのだけれども、皇族数の確保につき、どういう観点で重視しているのだろうか。

1 皇位継承資格者である皇族の数の確保が重要ということなのか。
2 皇族と家庭を共にするメンバーとしての皇族の数の確保が重要ということなのか。

もし、1と2の両方の観点で重要ということならば、「(女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。」ということには結びつかないはずだ。

近代より前は、皇族としての身分の得喪は必ずしも婚姻によっては生じないようであったが、明治の旧皇室典範以降、夫婦と子供で同じ身分ということになっていたはずである。

女性皇族につき、婚姻後も皇族のままとするのであれば、配偶者と子も皇族としなければ、近代以降の皇族の概念は、いったい何だったか、ということになるのではないか。

また、女性皇族の結婚相手につき、民間の身分のままということで、本当にうまくいくのだろうか。
結婚相手が民間の身分のままであれば、営利活動、政治活動、宗教活動は自由ということになる。
世間的な常識人の範疇であったとしても、これらの自由の行使は皇族の配偶者という立場では問題になることがあるのではないか。
「そんなことは無いはずだ」というのは、そういう立場に立った人間に対し、際限のない自制を求めるということになるのだろうけれど、皇族としての身分の保障なくして個人の自制心に依存するというのは、制度設計としてあまりにお粗末なのではないだろうか。

そもそも、なぜ皇族の数が、ここまで減ることになってしまったのか。
そのことをもっとちゃんと考えて、策を講じる議論をするべきなのではないのか。

筆者としては、やはり、皇族としての人生が、非常に生きづらいものであり、その生きづらさはますます加速しているという問題があると思う。

もちろん、衣・食・住については、とても手厚い。
しかし、プライバシーの確保という点では、悪化の一途である。
特に、未成年の頃から、非常な注目を集めてしまい、あれこれと論じられてしまうという最近の状況は異常である。
皇室の歴史の中でも、極めて異常な状況になっているということは、もっと意識されるべきであり、どうせ皇室に関する法制度の議論をするのであれば、皇室のプライバシー確保のための法的措置につき、検討をして欲しいものである。

このプライバシーの確保の問題には、異性との交際という問題もあり、若い皇族の方々にとって、この問題はとてつもなく大きいのではないだろうか。

世襲、世襲と言いながら、これだけ異性とのお付き合いが難しくなってしまった時代というのは、かつて無かったのではないだろうか。
小さいころから、あまりに注目され過ぎてしまっている。

大人になって、公的な御活動が始まると、それに応じて公的な存在という側面が強くなっていくであろうから、出会いも難しくなっていくであろう。
できれば、成人する前に、自分と自分の人生に相応しい伴侶を見つけられるようにするのがベストだろう。

そのためには、制度上の手当だけでは不十分であり、皇族という特殊な人生に対する世間の意識改革も必要になるであろう。
そういう面においてこそ、政治家としての役割があるのではないのだろうか。
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