皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

国民が皇室に望むもの

2024-11-19 03:22:11 | 皇室の話(3)
令和6年11月15日に三笠宮妃百合子殿下が薨去された。

多くの新聞紙等で、妃殿下のことが報じられているが、
その中で、例えば、11月16日読売新聞の「貫かれた皇族の品位」という記事がある。

そこに以下の記載がある。
-----引用開始-----
百合子さまは宮邸での一人暮らしでも、皇族としての品位を貫かれた。
 老朽化した宮邸を改修した時、自分の浴室の段差を解消する工事より、職員用の施設の修繕をするように望まれたと聞いた。夏の静養に入られるのは、明治天皇の命日7月30日の祭祀が終わってから。親しくしてもらった義姉秩父宮勢津子妃の8月25日の命日や9月9日の誕生日には墓参できるよう、静養を終えて帰京することを常とされたという。
-----引用終了-----

これを読んだとき、国民が皇室に望んでいるのはこういうことだと改めて実感した。
御公務でいろいろな場にお出ましになられなくても、こういう方がおられるということだけで、ただただ十分に有難い。

ただ、こういう在り方を望むというのは、皇室に対する押しつけ、国民のエゴになってしまうのだろうか。

この記事の以下の箇所も、とても印象的である。
-----引用開始-----
百合子さまに仕えたある宮内庁職員は、宮中のしきたりを重んじた大正天皇の后貞明皇后の薫陶を守られていると感じていた。「つつましやかだが一本筋が通った方だった。戦前の皇室の空気をまとったたたずまいに学ぶことが多かった」と、敬意をこめてふり返った。
-----引用終了-----

「つつましやかだが一本筋が通った」
これを生涯続けるというのは難しい。
偉大なことであると思う。

「戦前の皇室の空気をまとったたたずまい」
失わていくというのは、寂しいことである。
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男系継承の意義についての曖昧な議論

2024-11-07 23:47:15 | 皇室の話(3)
前回、「男系派の国会議員はちゃんと仕事をしなさい」で男系継承の意義についての説得力ある説明ということを述べたが、これまでの男系派の主張を見ていると、その内容については概ね以下の分類ができるのではないかと思う。

1 長く継続してきたことの重みがある
 126代にわたって継続してきたということ自体を重視する考え方である。これについては、客観的な事実として主張しやすく、それなりの説得力があると思う。
 ただ、なぜ男系で継続しなければならないのかについて、本質的な答えにはなっていない。
 また、継続してきたことによって生じた、いわば事後に成立した価値観ということであり、歴代のその時代ごとの日本人の信念であるとは言えない。
 要するに遺産を大事にしようという話である。竹田恒泰氏は法隆寺の木造という譬えで、この立場を説明している。

2 皇位の本質的なものは男系でなければ継承できない
 筆者も男系派であったころ、何とかこの観点での説明ができないかと随分考えたものである。
 八木秀次氏のY染色体の話は、この観点での説明に根拠を与えるものであるように思われ、飛びついた人も多かっただろう。
 ただ、Y染色体のことを昔の日本人が知っているはずもなく、また、Y染色体を持ち出すと神話とのつながりが破綻するし、また、神武天皇のY染色体は一子相伝というわけではないので、やはり皇位の本質的なものとは言えない。

3 歴代の皇室・日本人は男系継承を信念としてきた
 1と合わせ、過去の女性天皇が即位後に結婚したことはないということも論拠にしたりしている。
 ただ、皇室・日本人が男系継承を信念としてきたということであれば、何らかの文献にその旨の記載があってもよさそうなものだが、それがない。

4 天皇としての役割は男性でないと果たせない
 これが本音なのかもしれない。昔よく取り上げられたのは、称徳天皇(孝謙天皇)という女性天皇による道鏡問題である。
 また、宮中祭祀のことを持ち出して、女性では穢れの問題があるので支障ありと主張したりする。
 ただ、男性天皇でも武烈天皇のように、問題のある行動(史料の上ではだが)をしている人はいる。
 また、祭祀の問題についても、過去の女性天皇が祭祀をしておられたことを踏まえると、やはり説得力がない。そもそも皇祖神が女性神である。


結局のところ、1を根拠にしつつ、2があるんじゃないか、3のように言えるんじゃないかといった具合であり、本音では4もあるが表立って展開する度胸もなく、曖昧な議論になっているというのが現状であろう。

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男系派の国会議員はちゃんと仕事をしなさい

2024-11-07 23:44:00 | 皇室の話(3)
令和6年11月5日17:00、夕刊フジより配信の「皇位継承に関する国連勧告に反論 松原仁氏「全く容認できない」日本国家の骨格否定「政府に外交力の欠落があったのでは」と題する記事がある。

松原仁氏の主張については、何を言っているのだろう、という感想しかない。

「皇位の男系継承は天皇の正統性の根拠であり、これが崩れるならば日本の国家の骨格の否定につながる」とのことだが、「日本の国家の骨格」とは、そんなことで崩れてしまうようなものなのだろうか。

思想・信条の問題ということかもしれないが、もし、本当にそう信じているのであれば、それならばそれで、もっと真剣に男系継承の維持について取り組むべきだと思うのだが、政治家としてそこまでの行動をしている様子は見られない。

男系継承の維持のためには、現皇室においては悠仁親王殿下が唯一の希望となるが、悠仁親王殿下の交際相手(お嫁さん候補)を探したりとか、やるべきことはいろいろあると思うのだが、何かしているのだろうか。
旧宮家の男系男子の子孫の養子案ということなら、説得に回って候補になってくれる方を探すとか、やってみればよいではないか。

それに見合うだけの行動を伴わないで「日本の国家の骨格」などと口にすれば、かえってその値打ちを下げてしまうことに気づかないのだろうか。

国民の一人である筆者として、「全く容認できない」話だ。

松原仁氏は、「政府は外交力の欠落があったのではないかと深く反省するべきだ。日本の国の長い歴史風土を諸外国に知ってもらうことは極めて重要だ」と述べているようだが、「日本の国の長い歴史風土」ということと男系継承とはどう繋がるのだろう。

あまりに説得力がなさすぎる。

結局、自分自身で何も理解できていないのではないだろうか。

男系継承を維持するべきという主張をするのであれば、何よりも必要となるのは男系継承の意義についての説得力ある説明ということになるであろう。

松原仁氏に限ったことではないが、国会議員というのは議論が仕事なのだから、もっとちゃんと仕事をしないとダメだ。
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愛子さまの順位についての正しい理解〈パート2〉 (河西秀哉氏のコメントで浮かび上がる秋篠宮殿下の異例性)

2024-11-06 22:11:10 | 皇室の話(3)
令和6年10月31日7:02、AERAdot.より配信の「愛子さま振袖姿で2回目の園遊会 皇族方の「並び」を超えてご一家の会話に思いを馳せてしまうワケ」と題する記事がある。

この中に、「象徴天皇制に詳しい」という河西秀哉氏のコメントが掲載されている。
-----引用開始-----
■悠仁さま出席なら愛子さまより前
「天皇陛下と皇后雅子さまの後に、皇位継承順位1位で皇嗣の秋篠宮さまと皇嗣妃の紀子さま、天皇家の内親王である愛子さま、そして皇嗣家の内親王である佳子さまという順番です。これは皇室典範にある“身位(しんい)”通りの並び順です。
 ご身位とは、日本の皇族の皇室内部での身分及び地位の差異を示す区分のこと。現代日本の皇室、皇族の身位は、天皇陛下、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の順です」
 秋篠宮家の長男、悠仁さまは、9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年に仲間入りされた。今回の園遊会には出席されなかったが、今後、ご出席される場合、このご身位からすると、「秋篠宮さまと紀子さまの間か、秋篠宮ご夫妻の隣か、いずれにしても愛子さまの前になります」と河西氏は付け加える。
-----引用終了-----

河西氏の言っているのがおかしいというのは、以前このブログで「愛子さまの順位についての正しい理解」という記事を書き、そこで示した通りなのだが、実に奇怪な考え方だ。

「これは皇室典範にある“身位(しんい)”通りの並び順です。」とあるのだが、河西氏は身位という言葉をどこから持ってきたのだろう。

皇室典範には「身位」という言葉は出てこない。

皇室典範の第5条には「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。」という規定があり、並べ方としては河西氏の言う「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の順」と合致している。

ただ、これらは「親王」「親王妃」「内親王」などの概念としての並べ方なのであって、具体的な個々の親王、親王妃、内親王の方々の並び順を示すものではない。

そのことは、例えば、歌会始の詠進歌の並び順を見ればよく分かる。

宮内庁のホームページに「お題一覧(昭和22年から)」というページがあり、これでどのような並び順になっているかが分かるのだ。

例えば、平成6年を見ると、当時の天皇の娘である清子「内親王」は、天皇の弟である正仁「親王」よりも先になっている。

個々の方々の並び順がどうなるかについては、皇族身位令という旧制度下の法令で定められており、現在も基本的には踏襲しているのである。

河西氏の謎なところは、「身位」という言葉を持ち出しつつ、どうも皇族身位令を読んでいないらしいところだ。

「皿婆」がどうのといったネット記事を読む前に、「皇族身位令」をまずは読まなくてはいけないのではないか。

皇族身位令については、このブログの「愛子さまの順位についての正しい理解」で紹介したところだが、個々の方々の並び順につき、天皇が最初というのは当然の前提とした上で、以下のように定めている。

皇族身位令(昭和22年5月2日廃止)
第一条 皇族ノ班位ハ左ノ順序ニ依ル
 第一 皇后
 第二 太皇太后
 第三 皇太后
 第四 皇太子
 第五 皇太子妃
 第六 皇太孫
 第七 皇太孫妃
 第八 親王親王妃内親王王王妃女王
第二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス
前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス
第三条 親王妃王妃ノ班位ハ夫ニ次ク内親王女王ニシテ親王妃王妃タル者亦同シ

他の条文もあるのだが、天皇御一家と秋篠宮家の関係であれば、この3つの条文で十分だろう。
第一条で「第八 親王親王妃内親王王王妃女王」とあるが、これだけでは個々の「親王」「親王妃」「内親王」の並び順が分からないので、それを説明したのが第二条と第三条である。

第二条で「親王」「王」は皇位継承の順序、「内親王」「女王」については皇位継承資格はないが皇位継承の順序に「準ス」(長系長子だが姉より弟が先)こととし、第三条で「妃」は夫の次という基本ルールが定められている。

これを踏まえて、天皇御一家、秋篠宮家(悠仁親王殿下を含む)の並び順を示すと以下のようになる。

 天皇陛下 
 皇后陛下
 愛子内親王殿下

 秋篠宮殿下
 秋篠宮妃殿下
 悠仁親王殿下
 佳子内親王殿下

これが皇室の伝統を踏まえた並び順として、本来の姿なのである。
自ずと家族単位となるのだ。

ただ、ややこしいのが秋篠宮殿下の扱いだ。
単なる皇嗣であれば上記のとおりなのだが、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法」が影響してくる。
同法第5条で「皇太子の例による」と定められ、令和2年11月には立皇嗣の礼が行われた。
このことを踏まえ、秋篠宮殿下の配置を皇太子と同様にすることとした場合は、以下のようになる。
これが現在の並び順ということなのだろう(悠仁親王殿下については未実施)。

 天皇陛下 
 皇后陛下

 秋篠宮殿下(皇嗣)
 秋篠宮妃殿下(皇嗣妃)

 愛子内親王殿下

 悠仁親王殿下
 佳子内親王殿下

これは皇族身位令第一条で、「皇太子」「皇太子妃」の位置づけが「第八 親王親王妃内親王王王妃女王」グループとは別枠の先順位になっていることによる。

家族単位の並び順ではなくなってしまったが、それは、愛子内親王殿下が秋篠宮家の並びに入り込んだのではなく、秋篠宮殿下と秋篠宮妃殿下が天皇御一家の並びに入り込んだというのが実態である。

河西氏にしても家族単位の並びの方が望ましいという考え方のようだが、それを阻む原因は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法第5条と立皇嗣の礼なのであり、秋篠宮殿下と秋篠宮妃殿下の配置の異例さにあるのである。

河西氏は悠仁親王殿下につき「秋篠宮さまと紀子さまの間か、秋篠宮ご夫妻の隣か、いずれにしても愛子さまの前になります」と述べているが、まったく頓珍漢な話だ。

どこをどう解釈しても、そんな風にはならない。

並び順については、筆者としても、最終的にはその都度の儀式や行事に相応しいように決定すればいいと思うが、伝統を踏まえるということからは、天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法あるいは立皇嗣の礼を加味したとしても、令和の御代において、天皇陛下の子である愛子内親王殿下が秋篠宮家の悠仁親王殿下の後ろになるということはあり得ない

読者もほとんどいなくなってしまったこのブログでいくら言っても仕方のないことだが、専門家を名乗るのであればいいかげん恥を知りなさい

それにしても、河西氏は悠仁親王殿下の配置につき「秋篠宮さまと紀子さまの間か」とも述べているが、どこからそんな発想が出てくるのか全く不思議である。

個人的には、なんだか面白そうなので、これについてはやれるものならやってもらいたいところだ。
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平成の呪縛を打ち破れ。最強の真言「一本眉」

2024-11-04 12:32:27 | 皇室の話(3)
令和6年11月3日8:00、現代ビジネスより配信の「上皇と美智子さま、二人の「画期」となった「1975年の事件」をご存知ですか…そこで起きていたこと」と題する記事がある。

平成のお二人の物語の昭和時代編といった内容である。
よく知られた話ではあるのだが、改めて読んで見るとなかなか感動的だ。

ただ、当時のお二人の輝きというのは、昭和時代という背景があり、そこには昭和天皇の存在感というものがあった。
このお二人には、引退された今、次代を輝かせる方面での存在感を期待したいのだが、それは無理な注文なのだろうか。

それにしても、当時、これだけ素晴らしかったお二人が、50億円超豪邸の秋篠宮家を偏愛するというのは、いったいどういうことなのだろう。

宮家の立場で50億円超豪邸というのは、かなり破壊的な堕落である。
それを偏愛するというのであれば、同罪であろう。

若い頃は素晴らしかったのに、高齢になってから衰えて訳のわからない人になってしまったという、よくあるパターンなのだろうか。

そろそろ、平成の呪縛から、皇室も国民も、解き放たれるべきではないだろうか。
そのための最強の真言は、「一本眉」である。

自らを省みると、平成の呪縛のかなりの部分は美智子様の美貌に由来していたように感じる。
そして、「一本眉」を想起すると、その呪縛が薄まり、消えていくのを感じる。

実に効果的であるというのは、筆者の体験談である。
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