皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

秋篠宮殿下のバッドサイン

2024-12-09 20:29:02 | 皇室の話(3)
令和6年11月25日、秋篠宮皇嗣殿下のお誕生日に際しての記者会見が行われた。

この会見については、すでに様々な報道が行われているが、以下の箇所が注目されている。
-----引用開始-----
殿下
そういう状況であると、何か宮内庁に求めるといってもですね、やはり以前とは大分状況が違うとは思いますし、例えば何かで宮内庁が抗議をしたとします。でも、それがどちらの方向に振れるかが分からないわけですよね。そういう中で、何か要求する、何か頼むというのは、私はなかなか難しいのかなというふうに思っています。恐らく、あれは何ていうのでしょうね、「いいね」じゃない方の、逆の、あれをとにかくクリックするぐらい、それ以外私はなかなか思い付かないですね。
-----引用終了-----

映像では、バッドサインのジェスチャーまで披露。



バッドサインを「とにかくクリック」で対応されているのだろうか。
想像すると、何だか面白い。

今回の会見では「いじめ的情報」という発言にも注目が集まったが、情報の受け止めの仕方が、何とも気になる。

-----引用開始-----
そうすると、いい情報悪い情報ということは抜きにして、誰もが情報発信できる時代です。したがって先ほどお話しした当事者にとるといじめ的情報、これについて果たして全体のうちのどれぐらいの人たちが、そういうものを出していて、またその割合がどうなのか、そういうものを俯瞰ふかんしてみないとどういうふうに受け止めるかっていうのは難しいと思いますし、俯瞰ふかんできる状態じゃないと、受け止める側もきちんとした判断にならないのではないかと思っています。
-----引用終了-----

殿下が情報に着目するのは、その量ということであって、中身の質ではないようなのだ。
バッシング的情報、いじめ的情報につき、とんでもない量が押し寄せてくるのであれば、確かにそれは大変にしんどいことだろう。

ただ、中身について、的外れの中傷にすぎないのか、それとも意味のある批判が含まれているのか。
どうせ読んでしまうなら、そこまで読み分けるべきではないのだろうか。
それとも、全部ひっくるめて、嫌な情報ということなのか。

しかし、今回の会見で改めて思ったのは、中傷とか、嫌みのような批評の仕方というのは、良くないということである。

これから本当に必要なのは、客観的な根拠と確かな論理による普遍性のある批判を真剣に行うということであろう。

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