不登校・いじめの問題Ⅱ、その時代背景。
(2)、親・先生・地域の連携・協調が大事な訳
Ⅰの項では、不登校・いじめの原因は、「その子の対人関係の未熟さや親・教師との人間的つながりの希薄さにある」。
ゆえに、「教育の目的・学校教育は人づくりにある」と指摘させていただきました。
次に、その時代背景について考えると「現代の子どもたちが何を求め、何によってどう病んでいるのか」、を理解しないと解決するには程遠いモノになってしまう訳であります。
高度成長期の社会が残したモノ、利便性は向上しモノは豊かにそして情報があふれています。反面、物質文明のあおりを受け、親の過保護・干渉、享楽的社会風潮が自己中心的な傾向を強め、欲求不満だけが増大し、反抗心とストレス解消のため、子どもたちは大人(外部)が知らない「閉鎖的社会」の中で、「イジメ」問題を引き起こしているのです。
要は、高度に発展した現代社会の中で、我々大人が残した負の遺産、歪んでしまった後遺症であります。これらは、家庭・学校・社会が果たすべき役割を自覚し、後手後手に回ってしまった対策を今こそ真剣に論議されるべきであると考えます。
子どもを責める前に、大人がこれまで何をしてきたか、モノ・カネ中心の価値観では己の利害得失のみ、社会全体のモラルなどは二の次、親の責任逃れに終始してきたのです。教育に関しての親の願いは「イイ学校に入って、イイ仕事を見つけ、カネを稼ぐ」こと。
モノの豊かさのみを追求し、信頼、人への思いやり、親切心など顧みることなく、自分の存在や価値観の選択すらいい加減なものになっている。
今の「イジメ」問題は結局、親をはじめとする大人・社会の問題として反省すべきであり、そのためにも「学校の役割とは何か」・「地域の関わり方」、こう云った教育環境の改善・整備を真剣に論議すべきであります。
「イジメ」は、人権侵害の問題、決して許されるのもではありません。
そのために子ども本人・親・学校間の信頼関係、学校全体での取り組み、対話を重ねる事、地域との連携も必要、風通しのイイ教育環境が望まれます。
私も過去を振り返れば、劣等感も人一倍、恥ずかしい想いもしたし、偉そうに背伸びもしたし、反抗的になったり拒絶もしてきました。今となってはそれもいい思い出でしょうか。
「人と人がどう関わって行くか」と云う基本的な問題とするなら、やはり、「子どものことは子どもから聞くのが正解」でしょうか。
続く。