先生の側・立場から。先生も人間、気分のいい時・悪い時もあります。「生徒をやる気させるには、先ず、先生をやる気にさせる事」。
今さら、「教育の本質」をよく分かってみえる方に、差し出がましく述べては、失礼でもありますが、「人間的教育(子どもの命を育むこと)」に関しては、ナオザリにされているのではと思うケースがたびたび見られるのは残念であります。先生が先頭に立って子どもの人権を守り(人権尊重)、「イジメ」から子どもを救う、子どもと触れ合い・子どもをやる気にさせ、子どもの成長に夢を抱く、生き生きとした「人づくり」に心血を注ぐ先生の存在がどれほどいるかによって、学校の良し悪しが決まると考える訳です。
今回被災地のボランティアに出かけ、「地域の活力はどうやって活かされているのか」、自分なりに考えて参りました。
なんといっても、この災難からは逃れるわけにはいかず、何事も自分たちで解決しなければ前に進まず、それゆえ地域の団結力次第で甦ることも可能なんです。今の子どもたちにも、こうした地域づくりの体験を是非学習してもらいたい。家族はもちろん隣人を知り、地域を愛する心が芽生え、感謝の気持ちを抱く、これは大人になって素晴らしい体験として役に立つ。人間・人格形成にはこの「ふれあい」が実践力と共に豊かな心を育む絶好の機会ととらえる訳です。
もう既に、冬の「餅つき大会」に向けて、もち代を募り(チャリティー)、次につなげています。
「子ども時代は勉強せずに遊んでばかりで、よく親に叱られた。」と云う人がほとんど。今の学校教育に必要なこと、「学ぶ」ということは基礎的なこと(日本語もまともに喋ることが出来ない子に英語の学習にばかり力を入れる親が多い)、「遊ぶ」と云う事の中にも学ぶことはある。
「あれもダメ、これもダメ」の減点主義ではなく、子どもの健全な成長を願う親、先生であってほしいと願うばかりです。
今の「教育」について、私なりの支離滅裂な発言、お許しください。他にも言い足りないこともありますが、基本的なモノ「人づくり」が「教育」であり、今後の日本の成長を占うのは「教育」であることだけは間違いないと考えます。
続く。