昔日本で放映していた、永井豪原作アニメ「鋼鉄ジーグ」。版権管理がいまほどシビアでなかった時代に、格安で
だから今でも、当時のチビっ子だった世代には抜群の認知度らしく、この映画が発表されたときは良くも悪くも騒ぎになったらしいですね。でも蓋を開けてみれば、イタリアアカデミー賞で最多16部門ノミネート最多7部門受賞という輝かしい評価を受けています。まあ思いで補正はあるでしょうが。
ただしこの映画は、「鋼鉄ジーグ」の実写版、ではありません! (←ここ重要
SFではないしロボットも出ない。いうなれば「鋼鉄ジーグ」をキーワードにした男と女の再生の物語になるのかなぁ。つまり…
町のごろつきであるエンツォは、盗みを働いた時に超人的なパワーを身につける。その力を自分の欲望のために使っていたが、世話になっていたセルジョが取引の中で殺されてしまい、成り行きで娘のアレッシアの面倒を見ることになる。アレッシアは「鋼鉄ジーグ」の大ファンで、片時もジーグのDVDを手放さない。エンツォにジーグを重ねつつも互いに惹かれ合うが、そこに組織のリーダーであるジンガロがたち塞がる。
こんなあらすじです。どう見てもイタリア版パシフィック・リムを連想するものじゃないです。わりとそれを知らないまま観て、思ったのと違っただの期待外れだのおっしゃられる方がちらほら。何のために予告編があるというのか(力説
一応ダークヒーローと銘打たれていますが、どちらかといえば、今はやりの<~~ZERO>の物語に当たるように感じます。あえて言うと出てくる人物みんな「底辺」です。その「底辺」の物語なのです。
不気味なまでの違和感を醸し出すアレッシアの「壊れ方」とその理由・背景の描写が秀逸。それらしい理由付けはいくつか出ていたけど、なぜDVDを観ているときに泣き叫んだのか、なぜ鋼鉄ジーグなのか。彼女の口癖にはっとさせられる闇の深さ。直接的ではないだけにより胸に迫ってきます(深読みしすぎかも)。
ソレを裏切るかのようなエンツォの行動は、やっぱりクズやなこいつ、とダメ押ししていて、だからこそクライマックスへと盛り上がる布石になっていると感じました。
あとエンツォが若いアレッシアに戸惑うというかドギマギするというか、扱いにくそうな態度が面白い。イタリア男といえばスマートで女性の扱いに慣れていて息をするように女性を口説くステレオタイプを想像します(失礼)が、ホントのところはこんな感じなのかも知れませんね(女性になれてないだけかも知れませんが)。
ただ、ラストの殴り合いはちょっといただけない。超人同士の戦いとくればもっと派手な演出をしても全く問題ないと思うのですが、トーンダウンしてしまった。普通の人間の殴り合いにしか見えませんでした。ここで盛り上がらないっていうのも、評価がいまいちな理由の一つなんだろうなぁ。
ストーリーはあってなきがごとしで、壮大なテーマが心に訴えかけるようなこともない作品だと思います。エンツォは所詮小悪党にもなれないその日暮らしのごろつきでしかない。のし上がるためにギラギラしているジンガロとは全く正反対。関わり合いを避け隠れるように暮らし、そのくせ力を得ると大金をせしめたては高価なプロジェクターを買って、アレッシアの好きだった鋼鉄ジーグのDVDを観ようとする。そんな「ごろつき」です。かっこ悪いです。そんなエンツォのブレブレの情けない行動が、逆にちょっと愛おしいと思えてしまう、そんな映画かも知れません。
余談ですが、じつは初めてiTunesでレンタルしてiPhoneSEで観たのですが、画面の小ささよりも画面への映り込みが激しくて気になりました。自分の間抜け面が映像越しに見えるなんて超萎え萎えです(´・ω・`)
23:34追記/タイトルの「皆はこう呼んだ」の部分。作中ではジーグの名はアレッシアの口からしか聞けません。これは最後にわかります。だからこそ、<~~ZERO>物語であり、鋼鉄ジーグなのです。これを書き忘れてました(´・ω・`)
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